携帯は大学3年生の孫からであった。暇を見つけて来てくれると言う。この季節待った無しに伸びる庭の木を、少し透かしてもらうつもりである。私がいちばん気にしているのは2本の枇杷の木である。
子供の頃母の里には家畜小屋のある裏山へ行くまでの広い裏庭に、1本の大きな枇杷の木があった。梯子をかけて傷をつけぬように大切に採ってくれるジューシーな実を、従姉妹と珠玉のように手に受けたものである。水密も雫が滴るおいしさで、家畜小屋の向こうは、ひとやま桃畠のなだらかなスロープであった。秋には蔵の南の柿畠の柿も出荷していた。
家督を継いだ叔父は東洋のデンマークのミニチュアの構想を心がけていたのか、遊びに行く子供たちは、羊や、牛の乳をのんだり兎とたわむれたり夏休みの楽園であった。
そんな幼児体験があったせいか我が家に実生の枇杷が生えてきた時には天の恵みと喜んだ。今年は沢山の実をつけたのでネットを張った。叔父や父は果実には幾日もかかって紙の袋掛けをしていたものだがそのはずである小鳥はネットにもぐりこんで迄啄んでしまう。
4月5月はN様がもぎたての甘夏を何度も届けてくださり、さあ今度は枇杷をと言う時に手首を負傷してしまった。熟れ時の朝の小鳥の歓喜の囀りはそれは、それはけたたましいものである。私はただただ眺めているだけで、出入りする家族に言っても、買えばと言うくらい気が無い。
「鳴かぬなら鳴かせてみしようほととぎす」一旦ばっさり伐って2,3年は駄目でも私の手に負える高さに仕立てるつもりである。
俳句○ 逝きし人初生の枇杷しらぬまま
○ 熟れし枇杷いたちごっこで鳥と採る