おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

          枇杷の木

2008-06-30 21:39:30 | Weblog

 携帯は大学3年生の孫からであった。暇を見つけて来てくれると言う。この季節待った無しに伸びる庭の木を、少し透かしてもらうつもりである。私がいちばん気にしているのは2本の枇杷の木である。

 子供の頃母の里には家畜小屋のある裏山へ行くまでの広い裏庭に、1本の大きな枇杷の木があった。梯子をかけて傷をつけぬように大切に採ってくれるジューシーな実を、従姉妹と珠玉のように手に受けたものである。水密も雫が滴るおいしさで、家畜小屋の向こうは、ひとやま桃畠のなだらかなスロープであった。秋には蔵の南の柿畠の柿も出荷していた。

 家督を継いだ叔父は東洋のデンマークのミニチュアの構想を心がけていたのか、遊びに行く子供たちは、羊や、牛の乳をのんだり兎とたわむれたり夏休みの楽園であった。

 そんな幼児体験があったせいか我が家に実生の枇杷が生えてきた時には天の恵みと喜んだ。今年は沢山の実をつけたのでネットを張った。叔父や父は果実には幾日もかかって紙の袋掛けをしていたものだがそのはずである小鳥はネットにもぐりこんで迄啄んでしまう。

 4月5月はN様がもぎたての甘夏を何度も届けてくださり、さあ今度は枇杷をと言う時に手首を負傷してしまった。熟れ時の朝の小鳥の歓喜の囀りはそれは、それはけたたましいものである。私はただただ眺めているだけで、出入りする家族に言っても、買えばと言うくらい気が無い。

 「鳴かぬなら鳴かせてみしようほととぎす」一旦ばっさり伐って2,3年は駄目でも私の手に負える高さに仕立てるつもりである。  

 俳句○ 逝きし人初生の枇杷しらぬまま

   ○ 熟れし枇杷いたちごっこで鳥と採る

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      手負いの怪我

2008-06-21 13:59:34 | Weblog

 福祉会館へ30分もはやくついたのに、もう私が誘ったダンス教師をしているIさんと卓球相手のYさんとが面識でもあったかのように歓談していた。

 Yさんが誘ったFさんも来て4人になった。さあ始めようと乱打をしながらダブルで出来るから対角線で、打ったらというと、Iさんは「私は、このきれいなフローリングの床で教えるステップの練習をするから」とのこと。

 それじゃ「カウントをとって負けた方が変わることにしよう」と私が言って乱打ちをやめてスコアをとりだした。余りにむきになりすぎてまだツー、ファイブの時、右のコーナーに強く入った球を逃がさじと後ずさりして転んでしまった。

 3人は「頭、頭、ガツンと言った」と言うが、私としてはついた左の手首が痛かった。

 日曜日なので救急病院へいったらと言ってくれても、たいしたことはないわとハンカチを濡らして冷やし「良いから、良いから」と時間いっぱい遊んでいて家に帰った頃から、手首が腫れて来て痛むのでメリケン粉に酢をたらしてとき、それを貼って包帯をしているところに、来合わせた息子が、「それみたことか、だからそんな歳をしてやるなと言っただろ明日になると痛んできて骨が折れていたりして」と言って帰って行った。

 次の日整形でレントゲンをとると私には、ヒビにみえるけれど骨折と言われギブスをして肩から白い三角布でつっている。

 勝負には3策あってしかるべしと言うのに、わーっと必死になった自分が居ただけであった。                   

 卓球をすることに家族などが全く反対でゲートボールにしたらと言ってくれていたのだった。

 本当に私にとっては、Ⅰ週間前のブログの記事「諸刃の剣」を地で行ってしまった。(諸刃の意味が解らない)とメールをくれた人はいるけれど、ただし剣が細かったなあ、牛刀でなきゃ駄目だったなあ、福田さんも、胡錦濤主席に相対するには日本刀の心では細すぎるよ等と人には解らぬ勝手なことをほざいている私である。こうして5週間くらい左手は、左足と口でおぎないながらの生活が続くことになる。

 俳句 ○ 諸々を漬けて怠りなき梅雨入り

    ○ 岩絵の具うっすらカビて病癒ゆ

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      現代病

2008-06-11 23:49:43 | Weblog

 日曜日、東京秋葉原の歩行者天国で25歳の男がトラックを運転して通行人に突入3人をはね、4人を刺殺すると言うショッキングなニュースに慄然とした。

 1月には東京品川区で戸越銀座の高校2年の少年が男女5人に無差別に切りつけた事件、3月の茨木県土浦市で8人が死傷する事件と、どうしてこんなに類似事件が、頻繁に起きるのであろうか。7年前の同じ6月8日は大阪教育大付属池田小で男が児童8人を殺し15人を負傷させて世間を震撼させた同じ日だと言うでは無いか。

 今回の加藤智大被告も、どの新聞を見ても前例に劣らず優秀で、真面目だったと書いてあるが、成績が優秀と言う言葉自体、学歴社会の名残ではないか。学校の成績等普通なら良しと考えて人間第一主義でいくべきである。

 親も子育てを間違えていた。携帯のサイトに本人が書きこんだところによると親に手伝ってもらって良い点を、とっていたとのこと、親の見栄で点取り虫にしてはいけない。それは子供に欺瞞を教える事であって世の中をあなどって、舐めてかかる。大人になって挫折をしたとき甘え根性の者は、悪いのは社会や世間や他人であって自分ではない。きれる衝動を抑制出来ない性格になってしまっているのである。

 派遣社員は給与も雇用状態も不安定でその孤独さから、考えれば考える程落ち込んで短絡的に殺人にまでおよんでしまうのか。

 私も若い男性に職場の体験を機械以外Ⅰ日中誰とも喋らない生活は、異常だと気づいてつとめて外の世界に交流を求める努力をした。その結果が今の嫁さんだと聞いたことがある。自分の話を聞いてくれる人が必ず1人は居ると確信して相手をみつけるべきである。生き物は特に人間はひとりではいけない。異性が駄目なら考え方や趣味の共通する人達と群がるのが良い。

 現代病に対抗するには、自分で賢くならなければ勝つことは出来ない。

  俳句 ○ 旅終えて少しうつろや春たくる

     ○ 閉鎖せる運河のよどみ夏きざす 

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諸刃の剣

2008-06-03 00:12:25 | Weblog

 5月から、好敵手を見つけて卓球を始めた。相手は古くからの知り合いであるが、お互い卓球好きとは知らなかった。

 相対して行うスポーツは、力量が、対等でないと、楽しくないし、続かない。その点、彼女は私より7歳も若いので、私をどう思っているのかは分らないが、体重が多過ぎる。このハンデイは私との年の差と相殺であろう。彼女はかっての私の仕事の先輩の娘さんで、母親をけっこう長い間看取られた末この三月におくられたばかりの寂しい身であった。

 たまたま 岩崎地区に綺麗で、立派な福祉会館が出来、あらかじめ申し込み手続きをしておけば、無料で使用出来ることがわかった。給茶機もあり、コーヒーだけが、30円の有料である。

 汗をかいてフーフー言いながらも、打ち続けたいばかりの二人である。彼女はラバーのバットを握って持つ。昔は私もその持ち方であったが、ベテランと思われることを憚って、保険セールスの仕事先で、仲間に入れていただくときから、持ち方を変えた。

 セールスと言うのは、押せ押せムードばかりでは駄目で、担当先の休憩時間は楽しもうと言う卓球好きのグループの人達と、一緒になって、私もけっこう楽しく遊んでいた。遊びながら立てているアンテナには、直接仕事の獲物はかかってこないけれど、いざという時には声をかけてもらえるメリットがあった。

 退職して10年、今迄途絶えていた身には、はっきり言って二人だけで打ち合う2時間は、きつい。もう一人仲間を見つけなければ!好きと言うだけで、躰に無理をして、諸刃の剣にならないように、気をつけなければいけないと思う。

 テレビに良くでる孫のような「愛ちゃん」を真似て「さあっ。さあー」と掛け声をかけてスマッシュボールをきめた。

 俳句 ○ 夏めきて提灯花のひしめける

    ○ 水郷の暮色にゆれる柳の芽

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