おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

藁 草 履

2016-11-23 14:44:03 | Weblog
先月中日ビルの五階であった芭蕉顕彰句会で、隣り合って座ったHさんから次の句会の日にお母様が作られた草履を頂いた。
 今ではどこで売っているのをみても藁に布をかぶせて編んである。旅行に行くと足先が二股で白足袋になったソックスを出してくれるところがあり、それが二、三足あったので、それを履いて草履を下ろしてみた。廊下をふみしめて歩くにはスリッパにはない力が入って良いような気がする。
 七十年以上前小学校の四年生の時、運動靴の配給がとどこおってきたので、工作の時間に藁草履の作り方を習った。子供は作ることが嬉しいので家に帰ると友達のKちゃんと蔵の屋根の下にむしろを敷き母が裏のお百姓さんのところでもらってきてくれた藁束を濡らして大きな石の上で槌でたたいて柔らかくして藁草履を編んだ。左右同じ格好にするには苦労したが面白くて自分で作ったのを履いて学校へ通ったことがある。子供なのでそれもじきに飽きて、私の家は学校の裏の知人の家に頼んであったので学校帰りによると妹の分まで四、五足もたせてくれた。雨が降ったりすると三キロの通学にはよくもって二、三日で半分擦り切れて家に帰ったりした。
 今にして思うと分団の子のそれぞれの家でも親は大変な思いをしていた事であろう。
 終戦になるともうそのときは女学生であったので父が自分の作り付けの靴屋に女学生らしい可愛い革靴を頼んでくれていちはやくそれで通学していた。
 それから幾星霜その後勤めた会社の同期会があると、足が丈夫でありますようにと、こけしならぬ、小さな草履を今流行のカラーのビニールで編んできて配ってくれる人が居て私の家にもカレンダーの横の白い壁に何足か飾ってある。
 齢を重ねるとそんなものまで、原因結果のような意味ありげな尊いものに思えるから不思議である。
 今回この草履をくれたHさんのお母様は私より二歳上で今施設に入っておられるとのことである。きれいな草履に感謝。  


     俳句  藁ならぬビニールで編む草履かな

          シャバーニにひかれて巡る紅葉狩り



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退会は気が重い

2016-11-14 22:21:00 | Weblog
長寿社会になって、日進市も文化やスポーツ等いろいろな講座に入部出来るようになっている。
 私も二〇〇八年にゲートボール部に入ってもう八年になる。
 今年の五月自転車で転んで骨折こそしなかったが、したたかに腰をうった。治療の為電気マッサージに整形へ通い、コルセットをしているようではもう限界である。
「籍は切らずに」と頼んでおいたが、結局は三キロの道を自転車で走るのが怖くなった。
 八年の間に住居や人口が増えてゲートボール場迄の間には信号が今では十三にもなった。私の場合ヤマハの小さい自転車なのに、またいだままで止まつている事が出来ず、いちいち下り、再びちょんちょんぱーと乗るので何回も労を要する。
 元は桜並木の県道であったところを住民を立ち退かせてまで二車線にした瀬戸大府街道なのにどうしてもっと広くして自転車道を設けなかったのであろうか。長久手の歩道は広い。歩道をはしって、人とすれ違う時はひやひやする。自転車はバイクの道を走れといっても指定された縁石から七十五センチでは、危なくて走れやしない。今が思案のしどころである。
 最近はグランドゴルフが盛んで、ルールや審判等の資格試験がきちんとしているゲートボールは人員の増加がはかばかしくない。これも時よ時節である。
 うまくはないけれど積み上げたものを断ち切るのは辛い。気が変らぬ内に明日キャプテンのところへ退部願いに行こう。

    俳句  今昔の学生街や芋洗ふ
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文 化 の 日

2016-11-03 11:10:58 | Weblog
今日十一月三日は文化の日である。
 十三歳の頃「憲法発布を喜んで」と言う課題の作文を書いて学校の廊下に掲示されたことがあったが七十年ともなると内容は忘れた。
 一昨日兼ねて予定の組まれていた「にぎわい句座」の吟行で愛知牧場へ行った。
寝起きに雨が残っていたが皆さん晴れ女が多いとみえてゲストルーム集合の十時には陽がさしてきて三々五々歩きはじめた。
 どこの小学校か黄色の帽子の生徒がクラス単位で歩いていた。
 私は今まで田に居る時は稲雀と言い山に居るときは山がらというのだとばかり思っていた。勘違いも甚だしいと「山雀さん」とあだ名がついた。
 火曜日は馬の調教師の休みの日らしくて、馬場はきれいに箒目のついたのばかりがいくつもあって、がっかりした。それでも厩舎は五棟くらいあったから何頭もいるのであろう。遺伝子のせいか額に同じ白のマークをつけた馬が何頭もいた。
  ○ 白馬居て厩舎を抜ける風さやか
と名句を詠んだ人もいる。小学生の一団は牛の搾乳をかわるがわる掌でじかに、触って興奮していた。牛の背を撫でていたわってやっている子もいた。
 吟行の足の丈夫なメンバーは十字架の塔の丘まで石段をのぼって賛美歌を口ずさんでいた。
 十二時から二時まで選句会を開いたが、先生の批評が後半少しだけ残った
別れ際にジェラードやアイスクリームを店に入っていただいたが、そこの牛乳でこしらえてあるので美味しかった。

        俳句 稜線はコスモス畑仰ぎ見る 
 
           搾乳を喜ぶ子等や冬隣 

           ハロウイン疲れし南瓜ごろごろと
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