おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

慟哭

2022-10-26 13:45:12 | Weblog

  もう一人の自分が、人知れず心の中で慟哭している。
私とは、ひと廻り年の離れた弟が七十七歳で亡くなった。当節流行りの家族葬の連絡が私にあった。姉妹は六人兄妹であったが今はもう三人で姉妹の一人は養護施設に、もう一人は病気入院をしている。
人ずてに家族葬というものを聞いてはいたので、その覚悟はできていたが、私が悲しむのは、その葬式から三か月足らずの内に、母屋、蔵二つ納屋、離れ、車庫、道具部屋、など、六百坪位にあたるもの殆どを壊したことである。
 我々の、実家は幕末から続く旧家で、当主の弟は十六代目くらいで、家は百二、三十年経っていた。死んだら家を壊すと言っていた事を何で弟にしつかり聞いておかなかったのであろう。嘉永からの菩提寺のお墓もまとめてもらったそうである。
 いまさら「そうか、そういう事なんだ。実家は、建て替えたり、移転したり、壊すこともあるんだ。」と認識したような訳で、名古屋の
伯母の息子(九十一歳)からは、どこで聞いたのか、私を労わる手紙が届いた。お互い所帯を持ってからは、それぞれが、
自分たちの生活に一生懸命であったと言える。私も夫と共に懸命に生きてきた。
 夫の六人兄妹もついこの一年で全員が亡くなったところである。実家は[車道]であったが、今は刈谷市に雑貨問屋をゆるぎなく「豊栄商事」と言う看板で姪やその子供が営業している。
 母の実家も「昭和村」が出来る時、土地を提供するのが筆頭だったのか、私達が子供の頃盆、正月に行っては慣れ親しんだ家が
蔵を残してスーパー銭湯みたいな平屋に建て替わっている。
 弟は一人息子に歯医者を立上げさせて小学生の孫が二人いるが四、五百メートル先なので、母屋のすべてを壊すのに
母と子で何の支障もなかったであろう。
 年甲斐もなく懐かしさと残念さで号泣せずに「ご苦労様」とねぎらうべきであろうと心の整理をしながら、来年三月私と母の誕生月頃に見に行こう。我が家もほどほどに整理をしなければ・・・こちらは夫が初代だから簡単である。
 笑って済ませられる。
コメント
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