おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

ま ず は 気 が 晴 れ た

2012-01-27 21:13:35 | Weblog

 後輩のAさんが瀬戸ものの龍を届けてくれて居たりしたこともあって、お礼に梅沢富雄の芝居を見に行ったり、句会に出席したり、ゲートボールの新年会でご馳走を頂いたりしても、何の希望も持てずに鬱々としていた。
 エッセーも風景描写や心理描写が緻密には出来ないし、書籍を読むには目も悪くなった。面白い事がない。
 ところが今日ポストに意外な封書が配達されていた。
 以前この「おにゆりの苑」を送っておいた文芸評論家の「清水 信」氏の書評が載った書籍である。四日市文章集団XYZというアンソロジーで沈んだ気持ちが払拭された。丁度ネタもないことなので、此処にそれを載せることにする。
 
書評  水谷淑子の「おにゆりの苑」四号は、平成一九年から年一冊のプランで刊行してきた個人誌的文集だが、造りからいっても単行本といえよう。この第四巻は七八歳の記念という。序文を寄せるのは、今は関東に去った能戸清司である。名古屋での能戸エッセイ教室の門下であるが、最も真面目な門下生でもあったのだろう。
 八〇歳には句集を出す予定の由。それ故に、この本にも多くの自作の俳画が組み込まれていて楽しい。もちろん句作もふくまれる。
 多分、その巧拙は、若さの発揮の前では問題外であろう。旅行をしたり、ゲートボールをしたり、観劇したり、元気なものだ。
 まとまりの良いエッセーの批評の替りに書中の数句を引く。

 ・ 春の雨庭に忘れし移殖鏝 
 ・ 行き暮れて吉野の里の花曇 
 ・ やどかりを見ておりし子の買わず去る 
 ・ 門球の声達者なり炎天下 
 ・ 冬桜久女の墓を見つけ得ず                  以上

 一号、二号のように中部の文芸上ではなかったが、中日新聞と清水信氏との両方へ送らなければならないところを新聞社へ送らなかったので没かなあと思っていたところなので、ちょっぴり救われた気がする。

   俳句 一族の声たからかに屠蘇祝ふ
 

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故 宮 博 物 院 展

2012-01-19 08:19:40 | Weblog

  寒い沁みた日にコンビニでチケットを買って一人で出かけた。
名古屋松坂屋で一ヶ月以上展示されている北京・博物院展を観に行こうと妹を誘ったら、中国物等観たくも無いと断られたのである。
 今迄中国のものは折にふれてちょいちょいと数点づつを目にしていたが、一級文物一六点から始まって二〇〇点もが一堂に集められいるのを観るのは始めてである。ぞろぞろと前の人の流れに従って観て歩いた。
 五五〇年間の紫禁城の宝物の展示の仕方は「一部、故宮の妃たち」まつりごと、たしなみ、娯楽、ファッション、食卓「二部、故宮の子供達」皇子、皇女たちの教育、生活などと各四、五〇点づつテーマごとに飾ってあるので観やすい。
 妃達の白玉、碧玉、金、銀、珊瑚、の
身の回り品、娯楽にまつわる工芸品や時計、盆栽、香炉痰壷など七宝焼きもあり、美容のベストや髪飾り、妃の普段着、ネックレスや翡翠のアクセサリーなど、食卓の物では、大椀、小椀、酒器やら箸まで並べられていた。
 掛け軸や衝立もあり、多くのそういうものの地模様やバックは今年の干支でなじみの深い龍ばかりであった。
 一族の写真の中には、私達の良く知る溥儀の顔もあった。
 故宮故宮と渡辺浜子が生前良く歌っていた。名古屋ドームが一五個も入るほどの広さがあると言う博物館は明と清の王朝の五〇〇年間の繁栄の証を一八〇万点も収集していてユネスコ世界遺産に登録している。 
 それらの文物を
富士美術館協賛で展示している此処名古屋松坂屋の美術館は平日なのに大勢の人なので、係員にリサーチすると未だ多い日は六千人の人出であったとのことである。
 充分観甲斐があって満足した私はいつものように出た処でポストカードを5枚買い天然の瑪瑙の美顔器ローラーを買った。
 妹はもう一度豪華客船に乗って行くから姉さんも行かない?と言うしタイタニックのようにこの間、イタリヤの船が沈んだじゃない・・・
 孫の一人は四月から語学留学にオーストラリアに行くと言うし皆さんグローバルでいらっしゃる。
 私はせいぜい近いうちに久しく行ってない徳川美術館へ行こうと日短かな夕方のバスに揺られていた。

 俳句  冬木立もののふの如並び立つ
            翻るショール恥ずかし広小路

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七 草 粥

2012-01-10 06:52:17 | Weblog

 寝正月もほどほどに、いつも通りゆっくりと自分にエンジンをかけ始めた。
六日と八日は句会に行き、「あさくま」で行われた新年会に参加した。九日はゲートボールの初練習で、久しぶりの顔合わせであったので、練習は一ゲームだけで終え、ストーブを囲んで雑談をした。
 七草粥の話になり早速、九十三歳のKさんは「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」とすらすら七草の名前を口にし、三百八十円のスーパーで売っているセットを買って、ちゃんと炊いたと当たり前のように言う。
そういえば、三年前に九十三歳でなくなった母もたのしそうにそう呼びたてては唄っていた。
 「あなた去年もそうしたと、おっしゃってたわね」とIさんと私、 「私達は戦争中に一草入りやニ草入りのお粥で、ごまかされていたのでいつになっても、あるもの草で済ますけど、あなたは戦前の、正常な生活体験の記憶があるからね」と言うとやはり親がきちんとそうしていたからだと言う。
 今年は娘が家庭菜園でとれた小蕪を持ってきてくれたので、一杯の御飯に三株もいれ、芹の代わりに菊菜を少し加え、軟らかく炊いたら蕪がとても美味しくて正月疲れの胃が持ち直した。
 八日の句会ににぎわい交流館に行った折「サービスで六日から九日まで、五十食ずつぜんざいを振舞います」と書き出してあり、薦められるまま、小梅とお茶のセットで美味しく頂いた。思わぬ正月の味であった。
 
役所の鏡餅か、中日新聞の近郊版に載っていた新年に市長が搗いたもののお裾分けであろうか。日本は本当に食糧が豊富で有難いことである。
 北朝鮮は今貧富の差がはげしく、富裕層は健康のために、わざわざ雑穀を混ぜて炊いた御飯を食べ、肉よりも魚をとるようにしている反面、労働者の多くはスプーン五、六杯のとうもろこしの粉で粥をつくり家族五、六人ですすっていたりすると、韓国統一省の研究院が公表している。
 それにつけても、最近食料自給率が下がり始めた日本では、規格外の食品を平気で廃棄したり、外食に慣れて育つた若者達に「野菜って形があるの?」と言わせることのないよう、改めて日本の食文化を認識させるのが、戦中戦後を生きてきた私たち高齢者の役目であると思う。
 日本人であれば、平安時代から連綿と続いてきた七草粥を伝統食として残してゆきたいものである。

  俳句  七草の粥のひきたつ朱塗り椀
              下仁田の葱焼きながら一人酒

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二千一二年おめでとう御座います

2012-01-02 00:04:56 | Weblog

 ブログの上で改めまして新年おめでとうございます。
 この地方は暖かくて良いお正月でした。来客も多くて楽しゅうございました。
 皆様方の御幸せをお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。(元旦)

 

 

 

 

 

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