おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

  木 犀 が 香 る の に

2013-10-31 09:00:24 | Weblog

 八月末に八事日赤へNさんと見舞いに行ったばかりなのに、Sさんが亡くなった。卵巣癌で一昨日葬式だったそうである。
 現役時代の同僚で、折節に思い出に残る人であった。
 闊達な性分の人で、見舞いの時も寝ていてと言うのに、起きて大きな声で喋っておられた。
 「私が九千円の処に入っていて、夫は七千円の外の病院に入院中なんですよ」
 名大出の自慢の息子が
 「嫁さんの親の敷地内に家を建ててもらったので、夫が其処へは行きたがらないんですよ」
 等等、前歴が喫茶店だったとかで、朝礼が終わると必ずコーヒーを二十杯も三十杯も皆の机に配ってくれた。
 多少のお金は月末に支払っていた気がする。私も懇意な知り合いにコヒーメーカーを設置させてと頼まれたが上に通す事も面倒なのでにべもなく断ったりしたのに、さすがのSさんである。
 車に乗れないのに地区の民生委員もこなし、何かと世話好きな人であった。
 大体自分の親族と北海道旅行をするのに、おおげさにオープンで四五日して帰って来るとお土産にビーズで出来たしっかりした印鑑ケースを呉れたりした。
 万博の折ОBの六人で、一緒に周る約束をした時、途上で乗る私が一列車乗り損ねたら彼女だけが下車して待って居てくれた。先方で合流して夫を亡くしたばかりの私の顔に初めて笑顔が戻ったものである。
 彼女の葬式は息子さんの近くでされたので、参詣者が少なかったのでは?これからは人生の結末はそういう選択肢もありよで必ずしも本拠地に帰れるとは限らない。生きて元気な内が花である。
 私の周りにも予備軍が何人もいる。Xデーを入れられるように、毎日を余り過密にしないでおこう。
 だが今日スーパーで昔の若いお客さんに十年目くらいで逢ったら、「祖母が九十九歳で元気にしていて、一族の誇りです」
と言っていた。ま、どうせ遅かれ早かれその日はやって来るのだから余り深く考えないことにした。
 
   俳句 木犀の香る日友のみまかりぬ 
       起き抜けの体調悪しそぞろ寒

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同 窓 会

2013-10-22 08:41:40 | Weblog

 テレビが伊豆大島の山の崩落を連日放映している十月二十日、雨の中を小学校の同窓会に故郷の「関」迄出かけた。
栄オアシスを9:47分の高速バスに乗り、客は三人きりの一時間をすごし三十九人中十九人が寄るには格好の栄町のすし屋の二階の会場に着いた。
 日露戦争から大東亜戦争になり、食べるものも無い修学旅行もその年だけ無かった幼少期を共にした、顔を見ただけであのころが判り合える仲間である。
 之雄さんの開会の辞があって食事のテーブルをはさんだ向い合わせのあちこちでそれぞれ、会話がなされはじめた。
 字(あざ)が十程あった村の中で私達の町内は学童の数が県道をはさんで十人位と一番多かった。
 俊哉さんが「昭和十年代、記憶に残る宮地の住人」と言う西から順に列挙した名簿をコピーしてきて配ってくれたのを見ると如何に私がお転婆(好奇心の塊)だったかは百軒の80%ほどは、玄関から裏迄知り尽くしている。
 今でも私が瞼に描く古里はこのままなのである。 
 十九人の内、只一人私のこのブログを最初から今に至るまでみているという鉞三さんには、思わず握手をして礼を言った。
 「本にしたら」とアドバイスをくれたので、「五巻までは製本したよ」と答えた。彼は今パソコンの先生らしい。
 彼と隣同士だった春男さんが亡くなってしまったのに一度倒れて、起死回生された好廣さんには「命拾いしたねー」と酒をついだ。
 姉さんは元気だとのこと。女学校一年上級生だったが、あんな時代だったせいか中退をされた。
 入学時手と足を同じ方を出して行進して笑われた恒ちゃんは隣に席を取られたが、ずいぶんと耳が遠くなってしまわれた。
 津島から私と一バス違いで早く来られていた留夫さんが津島市で個展も開き名古屋の癌センターに絵を展示して居ると言う技量の絵を並べて一枚ずつA4の封筒に入れて配ってくれた。
 次から次へと美味しい料理が運ばれてコーヒーまで済ますと早くも席を立つ人があり、男性陣は二次会と言うこともあろうが、閉会の言葉もないまま解散になってしまった。
 せっかちな私の言動はどうだったかと反省するが思い出せない。
 帰りはその絵の津島の留夫さんと一宮の清ちゃんと(ブログに綿虫のタイトルで書いたことがある)の三人で高速バスで帰り私だけ一足早く栄オアシスで降りた。
 あの人と喋りたかった、この人に話しが聞きたかったと言う心残りもあるので、次回を期待して健康に留意して過ごそうと思う。

   俳句 敬老日古里近くなりにけり 

      蝗とり食べたる仲の同期生

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吟 行 会

2013-10-12 08:12:34 | Weblog

 十五周年を数える「無限図」と言う句会に所属して八年目である。会員は現在二十四名で、他の句会では吟行を良くするが、この会では去年に続いて二度目である。
 拠点の交流館まで送迎バスを出してくれた「鈴のれん」で昼食をしてから、皆の車に分乗して目的地の「愛知牧場」へ行った。 
 昨日の雨が嘘のように晴れ、いつまでも夏日のように気温は高いが、秋の気配がして吟行には、うってつけの日であった。
 ゲストハウスで先生から「俳句には二種類あって、法則通りと言うのともう一つは、そう言うこともあるよね、あっても良いと言う句である。おしゃべりをしながら歩くと詠めないから一人で歩いてください」と注意があった。
 リュックに手帳とボールペンの出で立ちでそれまで一緒だったKさんと別れて歩いた。
 孫の小さい時には遊ばせに良く来たが、こうして大観するのは初めてである。以前下から眺めたときには十字架も納骨堂も丈なす向日葵の向うに遠くに見えたものだが、こうして縦横無尽に歩いてみると随分近い。ただチャペルの屋根は反対の東の森の中で梢に隠れて見えはしない。
 秋の風情よろしくコスモスが色とりどりに咲いている。コスモスの丘の道に添って歩いた。法則通りと言う例にコスモスゆれるは、あたりまえと言われたのでそれは詠むまい。
 ずっと遠くに黄色い畑の一角が見えたので行き会った句友に向日葵かと尋ねると今は日日草とのことであった。
 牧牛、
牧牛、牧牛が詠みたいと歩いていくと搾乳室があって広い牧舎の片隅にグロテスクな一塊になって寝転んでいる牛と並んでつながれている巨大な牛どもがいたが、狭いゲージに並んでいる鶏を連想してしまい、匂い香りに遠い私にも、糞の匂いはしたが、全く詩的ではないので、写真を二、三枚撮ってそこを離れた。
 ハロウインの南瓜が使用前使用後の姿で置かれていた。
 山の向う側に行けば放牧の幼い牛が見えたかも知れない。自分ながら句作りの感性が無いと思う。
 私の提出句は、

   俳句  調教の馬の足音秋桜
       牧場は風の遊び場秋の昼    である。

   

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミステリーツアー

2013-10-03 10:24:17 | Weblog

 ミステリー旅行の醍醐味は、どこへ連れて行ってくれるか解らないことである。
 今年は中央道や東名は何度も通ったので、そこは、はずしたいが万が一の場合は仕方が無い。
人に世話はかけまいと赤池発を選んで「クルリンバス」で出発の8時20分に間に合わせるつもりでいたのに、息子が来て乗せてきてくれた。
 ふと見ると出発したバスは津の関の表示の看板の下を走っている。やれ嬉しい「尾鷲」へでも行くのかしら、かねがね海釣りに行く息子についていこうとすると、釣り船に乗るから駄目といわれていた。
 相席のお隣さんは東郷町から参加した私より二歳年下の旧知のような人であった。と言うのは、私の郷里から息子に嫁さんを貰い、そのお嫁さんが私の高校の後輩であるのらしい。
 出発して間もなく、二人の間の話しが弾み、旅は道連れ世は情けと仲良くなった。その方はこの道は今年三回目とか言って左手の山頂にみえる城を安土城だと教えてくれたが、今一納得がいかない。レプリカなのかも知れない。
 着いた所は尾鷲ではなく鳥羽であった。昼食は鳥羽の相差町でこの旅行にしては、珍しく靴を脱いで上る料亭の広間で一号車、二号車の客が一緒に食事をした。
 「六十五歳以上敬老の日の祝い」とうたってあるだけのことはあって、さざえ、鮑、河豚鍋、いくらの炊き込みご飯、大きな伊勢海老のグラタン私の歯にはのらないほどこりこりの鯛の刺身などなど、満足のいく内容であった。
 食後の散歩は女性の願いが一つは叶うと言う神明神社と石神さん、長寿のやかたまで歩いて参った。
 五日後の式年遷宮で込み合う内宮は避けたのであろう外宮をつぶさに見てまわった。古式ゆかしい建造物が展示されていた。
 そこを後にして伊勢に来るといつも立ち寄る夫婦岩に抜けるショッピングセンターに寄った。
 今度の台風で縄の切れた夫婦岩をバックにして、彼女と写真を撮り送ってあげると約束をした。
 ただミステリーツアーと銘打つからにはいま少し意外性がのぞまれた。
 八時前に赤池に帰りついたので、八時五分のバスに乗ろうとしたら、またまた息子が迎えにきてくれて、旅行社からの土産や、買ったものも多くて、それはそれで助かった今回の旅行であった。

    俳句 遷宮の挙式の町のさざえかな
        猿三匹バスを見送る秋夕焼け

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする