八月末に八事日赤へNさんと見舞いに行ったばかりなのに、Sさんが亡くなった。卵巣癌で一昨日葬式だったそうである。
現役時代の同僚で、折節に思い出に残る人であった。
闊達な性分の人で、見舞いの時も寝ていてと言うのに、起きて大きな声で喋っておられた。
「私が九千円の処に入っていて、夫は七千円の外の病院に入院中なんですよ」
名大出の自慢の息子が
「嫁さんの親の敷地内に家を建ててもらったので、夫が其処へは行きたがらないんですよ」
等等、前歴が喫茶店だったとかで、朝礼が終わると必ずコーヒーを二十杯も三十杯も皆の机に配ってくれた。
多少のお金は月末に支払っていた気がする。私も懇意な知り合いにコヒーメーカーを設置させてと頼まれたが上に通す事も面倒なのでにべもなく断ったりしたのに、さすがのSさんである。
車に乗れないのに地区の民生委員もこなし、何かと世話好きな人であった。
大体自分の親族と北海道旅行をするのに、おおげさにオープンで四五日して帰って来るとお土産にビーズで出来たしっかりした印鑑ケースを呉れたりした。
万博の折ОBの六人で、一緒に周る約束をした時、途上で乗る私が一列車乗り損ねたら彼女だけが下車して待って居てくれた。先方で合流して夫を亡くしたばかりの私の顔に初めて笑顔が戻ったものである。
彼女の葬式は息子さんの近くでされたので、参詣者が少なかったのでは?これからは人生の結末はそういう選択肢もありよで必ずしも本拠地に帰れるとは限らない。生きて元気な内が花である。
私の周りにも予備軍が何人もいる。Xデーを入れられるように、毎日を余り過密にしないでおこう。
だが今日スーパーで昔の若いお客さんに十年目くらいで逢ったら、「祖母が九十九歳で元気にしていて、一族の誇りです」
と言っていた。ま、どうせ遅かれ早かれその日はやって来るのだから余り深く考えないことにした。
俳句 木犀の香る日友のみまかりぬ
起き抜けの体調悪しそぞろ寒