おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

夫 の 忌 日

2020-01-18 16:04:50 | Weblog

 主人の14回目の忌日である。丁度土曜日で而も昨日と比べて随分と暖かい日であった。
 娘夫婦が曾孫二人とその子達のママ同伴の5人で墓参りに来てくれた。

 正月の花が枯れずにいきいきして居て変えるのが惜しいくらいだった。持参した万両や千両、沈丁花、白菊などにかえた。二人の曾孫が桶から柄杓で墓石に水をかけるのが、面白いらしく沢山、沢山かけてやってくれた。このママもこんな齢のときは、夫がよく面倒をみたものである。婿さんが灯明をあげている間に私がお経を唱えた。「一服するに良き日。特に精神の安息が肝心なり」とあった今日の運勢そのもので有難たかった。
 ママは墓石に刻んである「違い鷹の羽」の事を紋のことを聞いてきた。知っているだけのことを答えたが、そういえば夫の姉妹は今や山口町の姉さん一人きりであるから、近々に遊びにいって我家のことを、いろいろ聞いてこなくちゃ。
 車二台を寿司御殿につけて、ファミレスのように六人で食事をして来た。
先週私の妹が尾張旭に入っている施設へ見舞いに連れて行ってくれた息子は今日はまだ現れない。メールをしようか?それとも明日来るかと待とうか。いずれにしても良い一日であった。

        俳句   寒波くる予感の無きや中日本

 

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我が家の新年会

2020-01-06 12:16:59 | Weblog
 以前には座敷と居間の境の襖をはずして、机を三つ並べて卓上コンロを五個置いて毎年蟹鍋をしたものである。 
 十人くらいが集まってお開きの後には女性達は百人一首をしたりした。洗物はママ達がするが、次の日に器をかたずけるのは、毎年私独りで、風邪をひいたりするので、「もう、外でしたら」と言うことになり、此処五年くらいは外食にしている。 
 一月二日一時の鈴のれん欠席は女性の孫一人と、ポルトがルへ単身赴任中の婿さんとの二人である。十一月に会場は「鈴のれん」へ予約をしておいた。 大人十一人と曾孫四人の十五人。が集まった。開会の辞は私で、「去年は娘の婚家先のお母様が、一昨年は息子の嫁の父上がなくなられたので、お悔やみを言い順番から行くと次は私ですが、そういうことの無いよう良いとしにしましょう。」とだけ言った。子供はすくすく育ちなど二世帯の二人ずつの曾孫を讃えることをいわなかった。 息子が「ポルトガルへはいつ行くの」などとカバーしてくれたので助かった。小児二人を連れて三月まで実家に滞在するそうである。 子供の大きくなるのは早くて、去年乳飲み子で畳に寝かされて泣いていた子が歩きまわり、上の二人はお子様椅子でなくて普通の椅子で良いなど背が随分と高くなった。上は一年生である。 彼等はお子様膳や好みによってはカレーなど、大人はビールや、焼酎片手にコース料理のコンロで焼く朴葉味噌のすき焼きがおいしかった。
 やがてデザートも終わり、お開きにすると、お年玉を手にした曾孫達が消防自動車に乗せてもらえると、大喜びで、長久手市の職員の孫について行くので大人達はそれぞれに帰宅した。   夫の墓のふもとで長久手市と隣りあう、日進市民とで、どうやら磐石な一族をなしてきたような気のする新年会であった。     

  俳句  注連縄も晴れし陽射しにたじろがず
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