おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

約 束 し た の に

2013-01-27 20:21:24 | Weblog

 暮にすぐの妹が倒れて救急車で愛知医大へ運ばれた。
予想外の事で非常に驚いた。彼女は息子と二人暮らしである。その甥が、「ノロウイルスで、ICUに居るからまだ見舞いに来てもらうには当たらない」と言うのである。
 それでもとパジャマを買って娘の車で様子を見に行くと、鼻や口に管を入れられて高めのベットに横たわっていた。
 コインランドリーへ行こうと車に乗ろうとした瞬間のことで駐車場に倒れていたところを近所の人が、見つけて救急車を呼んでくれたのらしい。
 その妹が個室へ入れる日を一日千秋の想いで待って、一月も二十二日になって実家等から来た妹弟達を案内して行った。
 「やっぱり、きょうだいに来てもらうのが一番嬉しいわ」「お姉ちゃん助けてって泣いていたのよ」などと訴える。
 話し相手に飢えていたのであろう、いろいろ話してくる中で「ハワイに行って居た時」と何度も言うので「え、いつ」「今回」とか「こないだ」とか言う。
 そこを辞してきて高速を走って行く妹弟達と彼女はここのリピーターだったのよと言って浜木綿で食事をふるまいながら瞬間でも記憶装置が止まるとハワイに行ってたなんてね妄想が湧くのかねーと話題にした。
 弟にいたっては認知症だなどという。
前に(2012年8月11日)此のブログに「約束」というタイトルで私の保険が満期になったらハワイへ遊びに行こうと約束したと書いたことがあるが、それはどうなるのかしら、早く元通りに完治して欲しい。

    俳句  別れ来て後ろ髪引く冬の月

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能戸清司  「夜は明けない」の書評

2013-01-18 05:45:52 | Weblog

 第二次世界大戦中日本の占領下にあったマレー半島は戦後再びイギリスの支配下に置かれ一九四六年マラヤ連合が発足した。
 これを心良く思わぬ者達がマラヤ共産党の武装蜂起を呼び起こすこととなった。
 しかし中国系が多いマラヤ共産党はその戦いをマラヤ民族全体の解放戦争としたものの、さほど人々の支持を得ることは出来なかった。
 主人公は第二次大戦の折、中学校から士官学校に進んだ。市谷の校舎から休日ごとに銀の襟章をつけ、真新しい軍服姿で街に出てくる時の自負心は行き交うすべての人々から羨望の視線を受け、羽毛でくすぐられるような快い羞恥に悶えた。それに続く士官候補生、そして少尉任官、死をかけた栄光の甘さであった。
そんな自分が 終戦を迎えたマレー半島から、おめおめと焦土と化した日本に帰る気には毛頭なれず、解放軍に身を投じニキと名乗って異質の栄光を勝ち取ろうとした。  
 しかし開放軍はマレー半島に於ける共産主義と言う主体性が希薄なばかりにすべての活動の規範を中共に仰ぎ、中国の出先機関かと思える現実に、翻弄された。こうしてその後一二年もの間嘱望されてはいたものの民族の違う仲間との軋轢や得体の知れない懐疑にとりつかれていた。

 マレーの共産党も無益な武力の抗争からイデオロギー革命をするようになって、イギリスが親英的な自治政府の樹立を認める方針に転換しマラヤ連邦が独立することになった。
 その式典の日、大英帝国はじめ各国の使節団の中に日本の使節を見つけたニキは「俺は日本人だ、俺を日本に一緒に連れて行ってくれ」と叫びたいのに、首相に着くアブドゥル・ラーマンを撃つ任務を背負って群集の中に居る身にはそれが出来ない。
 人間は選んだ環境と、置かれた位置と、心境が行動を規範するが本質的なものは変えられない、変わらない。「夜は明けない」という短編であった。
 さすが文筆業で一生来た筆者の作品の批評は私には荷が勝ちすぎる。やっと大意が書けた有様である。
 最初同じ一冊に収められている「マゼランの首」の感想を書きたかったが書き足りないのか読み足りないのか、その時代に日本人が、南方の島あたりに居るのが合点が行かず、それに戦の攻防は、洋の東西と言えど源平の陸奥での戦いに似通っているのでやめた。
 マゼランの首より、マゼラン海峡発見の仔細のほうが知りたかった。   

    俳句 知らぬ世の島の仔細や冬籠 

        鴉二羽閲兵するや鴨の陣

 

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初 句 会

2013-01-10 19:03:40 | Weblog

  最近妙におたおたしていて作句するにも、イマジネーションがわかない。
五句携えて句会に出席するのに、正月の連作で行くことにした。
  ①  松籟のはざまに初日おろがみぬ
二階のベランダから学院の森を染めて初日が昇るのを見て、西浦温泉の銀水荘で朝風呂につかりながら初日の出を観たことを思い出して詠んだつもりが、松籟は松風のことと講師に言われた。
 そうだった、知ってることでも忘れるようになってきた。
二日タクシーで初詣に出かけたが前に詠んだ事があるからと元旦に子や孫が来て使った食器類をかたずけていて、ふと庭を見て
  ②  二日はや庭木に蕾点点点 
 点点と。で良かったのに誰にでも判るようにと、おもねたから良くない。
それに梅と言った方が良いといわれた。
 三日こんなに間近で青鷺を見たのは初めてである。
え、鶴の色違い?鶴の赤は可愛いのに、まるきり黒の冠だとバスが信号待ちをしている間、何度も見直して童話の醜いあひるの子を思い出した。
  〇  冠の青鷺立てり三日の田
  ③  冠の青鷺翔てり三が日
としたら三が日とは三日間のことだからお正月にしたらと言われた。
四日はなくて、〇  湯豆腐の湯気の向こうの木の葉髪
を木の葉髪は失礼だし、季重ねになるからと子供の頃湯豆腐が何より好きだったので
  ④  湯豆腐の夜は事足りて眠りけり
詠い切れてなくて欲張り過ぎの評であった。
 毎月会場を申し込んでいる交流館から暮れに此の句座のことを日進市のホームページに載せても良いかと言う文書が郵送されてきたので忘れるといけないからと、即座にパスしますと、書き込んで返送したのが独断だったかと気になりだして、五日振舞ぜんざいのちらしも一緒に入っていたので、句友と三人で訂正に出かけた。
  ⑤  ぜんざいに句友と和して五日かな
其の侭すぎて得点なし。回数を重ねるに従って若い人は伸びて行くのに今年はアンチエイジングを標榜する私が素質がなくて困った一年になりそうである。
 一日置いて、今度はもう一つの所属句会がある。こちらは兼題が出されていて「初氷」と「紙漉き」である。
 と書いて此のブログにプレビュウしないで居たら今日その句会があり二句とも最高点であった。南吉の狐でも出はしないかしら。

  俳句  蹲に魚影のゆらぎ初氷
       雲竜の模様浮き立ち紙漉かる

コメント (3)
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