おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

結婚式

2008-11-23 23:58:50 | Weblog

 十一月三日、実家の一人っ子の甥が岐阜のグランドホテルで結婚式を挙げた。

 歯科医師の彼はインターンを終へてから、親戚のデンタルクリニックへ勤務医として就職し、優しい気性なので人当たりも良くフアンの患者さんを沢山持っているとのことである。

 彼はインプラントを主に研究していて、院長は幼稚園を経営していて亡くなった母の跡も継いでいるので忙しく、手となり足となっているのであろう。

 式に参列した人達は、院長一家をはじめ、その道の人が多く学生時代の友人グループは、前日からこのホテルに滞在しての出席であった。

 教会での挙式に人気があるのは、今迄大切に育てた娘の腕をたずさえて花婿に引き渡すと言う敬虔なイベントが、功をそうしているのではあるまいか。出席者が、皆で賛美歌をうたうのも寿ぎの一体感があって良い。

 指輪の交換や誓いの言葉など一通り式が終わると、洋植物のベランダに出て、カクテルを頂きながら写真を沢山撮った。

 披露宴でカップルを、つぶさに観察すると花婿は背がたかく、花嫁はにこやかで人怖じしない、すけるような色白の美人である。花婿の母もキメの細かい色白だから、その先でどんな子供が生まれるかと楽しみに思えた。

 仕事に研究熱心な彼は遅かった春と言うべきか三十四歳で、お嫁さんは大学卒業したての二十二歳である。

 甥の祖父いわゆる私の父母はひと回りも歳が違っていたが、こうゆうことも何かの縁か、世間には、何代も続く婿養子と言うこともままある。

 次々と出てくる御馳走に舌鼓をうちながら、華燭の展も終わりあっという間に二時間半がすぎてお開きとなった。

 私も二、三の人と名刺の交換をしながら、改めて思ったことは、この席に九十去歳の祖母様がお二人出席されていたので考えついたが孫が五人もいるのだから、箪笥にしまいこんでしまっている白生地で色留袖を染めて仕立てておこうと。

 息子が嬉しそうだ、嬉しそうだと何度も言って喜んでいる弟を眺めて、私は母の替わりに涙が出るほどその事が嬉しかった。

 帰ってすぐにパソコンにカードを入れて二十枚程の写真を刷り上げた。早く届けてやりたい。ちなみに五十二年前私の結婚式も十一月三日であった。

   俳句 見上ぐれば綾よ錦よ金華山 

      紅葉きて古老吟ずる金華山

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菊の花

2008-11-14 15:00:54 | Weblog

 名鉄バスセンター行きのバスは、いつも名古屋、新栄の花屋の前で、信号待ちになる。 この花屋では芸術文化創造センターで、知人が発表会をする時、お祝いに送呈する花束を造ってもらう。

 いつもたくさんの花があふれているが、十月以降は、そこのウインドウは菊のオンパレードである。江戸菊、嵯峨菊、薩摩菊、伊勢菊などと書いた短冊で標示してある。私はこの中の江戸菊が花弁が細くて大きく開いているので、好きである。

 子供の頃実家の花壇は、千日紅やダリアが終わると清楚な黄菊、白菊、えんじ色などの路地菊が順番に咲いた。畠にも咲くので学校へも時々持たせてくれた。

 どうしてそんなに、花をつくるのと聞いたら、お墓の花に困らないようにとのことであった。墓は寛政からのが、十基程並んでいて、毎年盆に墓参りに行く。

 娘の頃父が黄色の小菊の懸崖の鉢を移すのに触発されて、職場の上司に教わって厚ものに挑戦した。しかし出来上がりが貧弱だったので、やはり野に置け菊の花、とか思い、それからは活け花に専念した。

 結婚してからは、子供の小さい時よく名古屋城へ菊人形を観に行って、芝居の役者の衣装の菊に感激したものである。今年はTさんとMさんとの三人で岩崎城の菊花展を観に行った。良い日和で、出品者の方々のご自慢の立派な出来栄えの菊を、何枚も写真に撮った。

 清らかな白菊は故人の生前を思い出すのでこれには弱い。姉とも慕う二歳年上の従姉妹のみーちゃんが亡くなった時には泣けた。嫁ぎ先で、幼稚園を経営していて、当時の森山文部大臣が視察に来られた時並んで写している写真では、(週刊誌に掲載された)癌の気配はしなかった。

 今我が家は、信州へ林檎狩りにいったときに買った花弁の長い先がピンクで、もとが白い可憐な、お気に入りが毎年咲く。まだかまだかとの心配をよそに、十一月三日の文化の日には必ず咲く。以前はこの日を明治節と言って、菊はわが国の皇室の紋章である。

 俳句 ○ 時雨る前ここ一番と畑の青

     ○ 鷹の舞一枚撮りてバスに乗る

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第44回吉例顔見世2代目中村錦之助襲名披露

2008-11-05 12:33:12 | Weblog

 娘が中村錦之助の襲名披露に御園座へ連れて行ってくれた。萬屋錦之助の甥の信二郎が2代目中村錦之助を、襲名したのであって、歌舞伎に疎い私には観て楽しむだけのお芝居である。

 通の人には、ごひいき筋の役者がいるものである。私が結婚したての頃姑に着物を着て時々お供させられていた。

 舅や夫と7代目の幸四郎のことや歌右衛門の口跡が良いの悪いのと話していた。今と違ってテレビで歌舞伎を良く放映していたので、それがある日の姑は銭湯の一番風呂に入ってきて、3時頃からテレビの前で正座をして観ていた。

 現代のテレビもわーわーきゃーきゃー言うのを半減して、こう言うものもやってくれれば良いのに。

 外題の1番目は「天満宮菜種御供」(時平の七笑い)で右大臣菅原道真に左大臣藤原時平があらぬ嫌疑をかけて、寄ってたかっていたぶり、大宰府へ左遷筑紫へ流罪に処しあとでほくそ笑むと言う今も昔も変わらぬ政争の一端である。

 2番目の外題は坂田藤十郎の喜寿記念で「京鹿子娘道成寺」を長唄に合わせてのさすがの女方の踊りぶりである。

 その白拍子の花子が道成寺までの道のりを、毬唄、花笠、など恋する女心を時には可憐に時には切なく時には激しく手拭や、つつみや鈴太鼓をもって舞い果ては清姫の怨霊の蛇となって押し戻されるまで1時間以上を踊り通す。

 扇雀、鴈次郎、藤十郎と名前の変わった中村玉緒の兄でふっくらした顔である。

 ずいぶん前になるが親戚の加奈ちゃんが、踊りの名取になった時に披露した、安珍清姫は此処から先の舞いと知る。

 いよいよ3番目の外題「祇園祭礼信仰記」(金閣寺)と佳境に入る。

 勧善懲悪の悪の大善が、金閣寺に幽閉した慶寿院尼と狩野直信の妻雪姫を信二郎改め錦之助が役どころは真柴秀吉で、非凡な才知で救出すると言う内容である。信二郎はテレビドラマで活躍していてお茶の間で人気のあった故萬屋錦之助の甥である。

 今か今かと期待していた襲名披露の口上がないと思ったら、去年の4月に歌舞伎座でされていたのであった。名古屋へはそれだけの時差があったと言う事で、私もよくよくKYである。

 歌舞伎ではないけれど、隣に居る娘に白のベレー帽子を被せて今2000回に近いとか言う森光子の放浪記の初演3日目を名鉄ホールへ観に行ったことを懐かしく思い出す。

 俳句 ○屋台の灯大きくなりし虫の声

    ○菊人形悪役もまた美しく

 

コメント (2)
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