十五日頃の新聞は、ここのところ戦後八十年、八十年の記事がにぎにぎしい。
さて我が家の今年のお盆は例年と変わらず、事前に息子が盆提灯を設置しに来てくれた。
それに先立ち仏間の障子を、二本張り替えた。置き物も拭いて並び替え、仏壇の掃除も痛い腰を
我慢しながら、完璧にきれいにした。
十四日に娘宅の七人が、到着、緑区の自分の家の墓掃除をしてから、来るので先ずは
抹茶を一服、男性二人は二服召し上がる。曾孫二人は十二支のえとを玩具がわりにして、あそんでいる。
下の児が這い這い自由でつかまり立ちが、出来るようになっているのも可愛い。
経本に赤丸をつけて、おいたので、私が御導師をつとめて、自行化他を簡単にすませ、「家内安全、一家
和楽に」で占める。供花を持ってお墓参りに行く。
二、三日前に「ひさご」で会食した男の孫の家族であろうか、じっちゃんの好きだったお酒のワンカップが供えてあった。
予約してあった「来多のや」へ直行し「ひつまぶし」に舌ずつみをうって帰って行った。
二十五日からスイスへ旅行だそうだが仏のご加護が、ありますように。
十五日は、稲沢の孫夫婦が、一社の妹を乗せて三人でやって来た。やはり前日と同じように抹茶をお水
立てで頂いてから、仏壇に手をあわせ、私を乗せて「鈴のれん」へ食事に行った。
この夫婦には秋に第一子が産まれるらしくおなかも少し目立つようになっていた。車も一人一台の時代
なので、若葉マークのついた白い新しいので来ていた。この家で学齢期過ぎまで一緒に住んでいて
デズニーランドへ遊びに行ったりした頃が懐かしい。
私の力ではオルガンの上にのせたパソコンや印刷機が動かせないのを帰りがけにどかせて行ってくれたのが、
嬉しく「おててつないで」や「埴生の宿」をひそやかに弾いた。
短い逢う瀬であったが、じっちゃんも喜んでいる筈である。
一社の妹も旦那が来なかったが、充分心使いのできる、良い奥さんである。
盆提灯障子も明るく家族待つ
百日紅不戦の誓いか高く咲く