おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

 梅  雨 入 り

2011-05-28 22:20:11 | Weblog

今年は半月も早く梅雨入りした。
 台風前線が西から北上してきて、日本近くにあるからだと言う。私としてはまだ季節的な感覚の受け入れ態勢が出来てなくて、抜き打ち感が否めないが梅だけは大きなのを一キロ程買ってきて瀬戸の本塩で漬けたところである。
 季節感と言えば四月末にお隣の東郷町の「ふれあい広場」で尾張地区のゲートボール大会があって、仕合に行った折その周りの田地がもう一面に苗代の水が張ってあった。
 起しても無い硬いままの野面の日進と比べて、僅か二十分程車で走っただけでこんなにも違うものかと、はらはらした一ヶ月であったが、作物の早稲と普通米との違いなのかやっとこの二、三日水鏡になる程一面が水田になって来た。
 その中でも一番に田植えがなされて、たっぷりの水に短い苗の行列が行儀良く頭を出している所があった。
 その横には若緑の苗が出番を待ってぎっしり風にそよいでいた。きっとこの土日にはいっせいに植えられるのであろう。
 その大会の折昔住んでいたところの懐かしいチーム名の方達と出合ったので、知人の消息を聞くと6年ばかり前のこの時季に亡くなったとのことであった。
 私と同じ齢の男性で机を並べて仕事をした面倒見の良い方であった。お母様は百歳でもまだ畑仕事をされて元気だそうで、
その町に城が出来て久しいのに一度も尋ねた事が無い今昔を思った。
 名古屋の街中で会社勤めをしていると、暑かろうと寒かろうと梅雨であろうと、一向に意に介さずに目の前の仕事に明け暮れて過ごしていた。
 子供の頃、梅雨時に妊婦が生っている梅の実を木からもいで食べて命を落としたりした。さぞかしすっぱいものを身体が要求したのであろう。
 夏蜜柑の食べ手がなくて木の周りに滂沱と落としたままにしていたりする今からは、戦時の食料不足の事等考えも付かない事である。
 梅の何の成分が悪いのか聞くと母は食中毒だと言っていた。そんな事を思い出しながら、かりかりと実梅を二、三箇齧っては漬けた。  
 これからひと月くらいじめじめした季節になる。心して清潔に暮らすことが肝要である。
  
   俳句  地震の地に追い討ちかくる梅雨の入
        バス停で乗り遅れたり黄沙の日

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 東  北

2011-05-18 14:40:19 | Weblog

 2010年の9月に4日間の東北巡りの旅をした。
あたかも今回の震災や津波の来るのを予想したかのように急いて欲張った始めての東北六県の旅行であった。
 郡山の駅を降りるとそれからはバスで1、猪苗代湖2、裏
磐梯五色沼3、蔵王のお釜4、中尊寺・金色堂5、角館・武家屋敷6、田沢湖7、十和田湖8、津軽伝統工芸館9、奥入瀬渓流10、小岩井農場11、厳美渓12、松島と行程が組まれていた。
 今迄名所として耳にしていたけれど瞼や脳裏に描けないところばかりだったので多いに満足をした。
 私は多分に今迄読んだ本の影響を受けていて、乙女の像を見れば高村光太郎の智恵子抄や道程を、松島と言えば芭蕉を想った。
 陸奥の「松島」は「天の橋立」「安芸の宮島」と共に日本三景の一つである。
 遊覧船に乗って芭蕉コースの島巡りをした。
女性ガイドが百以上点在する中から、夫婦岩、仁王島、小藻根島、長命穴、鐘島、鷺島、材木島、兜島、鎧島、伊勢島、小町島内裡島、双子島、雄島、恵比寿天狗島など名称やら由来やらを説明してくれ桂島には今尚、四百人の住民が住んでいるとのことであった。
 芭蕉コースのパンフレットも買ったが、芭蕉が立ち寄った瑞巌寺や塩釜神社は遠景をみただけであった。
 今回の地震では瑞巌寺の修行道場には三百人の観光客やら被災者が寝泊りして修行僧の献身的な世話になったと聞く。
 松島の町は汚泥に覆われ静まりかえっていたそうで、国道45号線も冠水したそうであるが、島巡りの観光船は四月二十九日に運行を始めたらしい。
 地震の余波が静まったら今度は此のあたりに絞ってもう一度訪れたいと思う。
 こうした名所旧跡ももとを正せば、自然災害などがあって長い年月をかけて淘汰されて出来た所も多々あるのであろうと今回改めて思ったことである。
    
  俳句 ライブはね葉裏のそよぎ春疾風
      弁天の小さき祠花菖蒲

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五  月

2011-05-05 12:14:30 | Weblog

 五月ももう五日の子供の日になってしまった。
一日メーデー、二日八十八夜、三日憲法記念日、四日みどりの日と暑くも無く寒くも無い良い季節である。
 が、私は四面楚歌である。別に敵に囲まれている訳ではなく、いじわるされているのでもないが、これは齢のせいで巡り合わせの問題である。
 いちいちあげればきりがないが、筆頭には、けんか相手の妹が「世界一周豪華客船でいく八十日のクルーズ」に出航して行ってしまった。 ノートパソコンや携帯電話などしっかり携えて行ったのに何の連絡も無い。
 彼女も横浜でテープを投げても、受け取ってくれるのは他人であったりして、やはり送りに行ってやれば良かった。
 娘の嫁ぎ先の両親はどちらも今介護の要る病人である。近日中に見舞いに行かなければ。
 病人と言えば去年の夏「炎昼や献体告げて不二男逝く」と私が詠んだ従兄弟の奥さんが階段から落ちて打ち所が悪かったらしく認知症になってしまったと聞く。
 私が俳句教室を彼女がエッセー教室を紹介しあいここ数年べったりの仲であったTさんの場合、癌の抗癌剤を投与し始めると最初はよく連絡があったし病院へお見舞にも行ったが、最近ではうんともすんとも言って来ない。
 このブログを製本することを教えてくれた九十歳でボルボに乗っていた尤もパソコンに精通していたNさんも、頚椎の損傷で痛くて腕を上げる事もできなくなってしまい、さながら私は一人で製本と言う職工さんをしている。
 俳画を習ったY女史も二度
目倒れて入院中と聞く。奈良まで勉強に行って来ては教室を開いて私達に教えていてくれていた。
 そのほか風のたよりに聞かでものがのことが幾つか耳に入ってくる。
 
只一つ救いがあるとすれば、陽気が良いのでゲートボールの大会が、市長杯とか、東尾張北部大会とか、老人クラブとか、高齢者大会とか参加しきれないほど数々組まれている。
 そうしてそういう球技は上達したくてモルヒネみたいに、のぼせさせてくれる。
 今しばらくはそのあたりで、命の浄化に励むとしよう。そのうち夏休みにもなろうというものである。
 すでに早い処では苗代の水が湛えられている。

 俳句  藤房の揺らぎの中にぼーと居り
      球場のグリーンベルトや聖五月
   

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