今、私は複雑で不愉快な気持ちである。隣に広い土地を持つТ建機が大きな鉄骨の建物を建てだしたからである。
着手するのにタオル持参で挨拶に廻られたしそちらの土地であれば、おめでとうとは言っても苦情は言わないのが本筋であろう。
町内で一番古くから住んでいるのは当家である。私共が昭和の終わりに此処へ移って来たときは南側は広い雑草の空地で、境は柵であった。柵の間からも太陽が降り注ぎチューリップ等四季の花が花壇に良く咲いた。東側は一段と高い県道大府線沿いの広い草原の空地であった。ゴルフのウッドを持ち出して私でも130ヤードは飛んだとかいって孫をあそばせながら楽しんだものである。秋には「あれマツムシが鳴きだしたちんちろちんちろちんちろりん」と小学生唱歌を唄ったりして、いい気なものであった。
4,5年経つと南側の土地には大きな学生マンションが建った。東側はТ建機と言う業務用の車をリースする会社が事務所と洗車をする建物を建てて、街の発展と共に台数と土地を南に北に随分と広げて行った。そうして今回の大きなビルの建築となった。
地ならしに今までのコンクリートをはがすときなど地震かと思うほどの音量や地響きだったりした。一昨日など岐阜県から旧友が尋ねて来てくれたので半日程外に出ていて帰ると、おそろしく大きくて高い鉄骨の組み立てが大勢の人足で見事に立ち上がる所であった。
南の窓際に生活の拠点を置く私は高い建築現場からまる見えなので、昼でもカーテンを引いて電灯をつけている。今まで朝日や宵の月が見えた東の空はどうなるのであろうか?建ってみなければ判らないが、二階でやぐら炬燵に入りながら愛知学院の正門の桜が見えた頃が懐かしい。
街が発展する時は住民もおびただしい変化を受けるものである。
俳句 若葉して家中の窓開け放つ
(二00一八・0六・二一)