、 子供の頃、母の里へ行くと祖母が、濃尾地震の恐ろしさを竹薮でさえ目の前がぱっくりと口が開いて断層が出来たとよく語ってくれた。
祖父が、危篤という知らせがはいり、父母がでかけて行ったので、初めて子供だけで夜をすごすことになった。
その晩、昭和二十年の年明け、夜中に大きな地震があった。二階で寝ていた四人姉妹が互いに声をかけあって、階段を下りる時、踊り場との継ぎ目が十センチもあいたので下迄落ちるのではないかとびっくりした。そんなころは戦争一色であったので新聞に大きく報道されることはなかったが、後に三河地震であったということが判った。
昭和三十四年九月に中部地区は巨大な伊勢湾台風に見舞われた。
我が家でも、前年出産した、ばかりの赤ん坊の枕元、ほんの二、三十センチのところへ欄間のガラスが割れて落ちてきた。、座敷に雨が、じゃんじゃん入りこむので、未だ新しい畳だからと持ち上げたら、縁の下から床ごと水が吹上げ、泣くにもなけずに、舅達の部屋に固まってテレビに齧りついていた。
当然水は床まで浸水し、店舗や倉庫の商品の何ケースもが水につかった。
あとかたずけが大変でしばらくお風呂は名駅の旅行者用の湯にばかり行っていた。中川区から店へ通ってくる従業員の小母さんが幾日も出てこないので、夫が食料など持つて尋ねて行くとまだ屋根の上で生活していて、舟を漕いで行ったという話であった。
今年も地震による災害が、全国各地で発生し新潟県の中越沖地震に至っては、柏崎地区の方など二度までも憂き目に遭われたと聞く。
災害の備えと言っても人様々であるが、先ずは住居と地域社会の安全対策(防災)が大切かと思う。家具の転倒防止にチエンをつけた。それと先年空き巣にはいられて被害にあったとき、家財保険から僅かばかりの賠償金が出たので、転ばぬ先の杖にとその保険に地震特約をセットした。
俳句 * 絹雲のグラデーションや鳥渡る
* 渡り鳥母国と同じ水尾を引く