おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

 先 ず は 成 就

2014-06-21 20:38:21 | Weblog

一寸困ったことや悩みがあると、朝刊の運勢欄を見る癖がある。この二三日私の心象風景をまのあたりに見ているようなことばかりが書かれていた。
 その一つ心のしこりの句集のことであるが、昨日すりあがって持ってきた。表紙の色が依頼した色と違っていて、心が浮き立つ想いにならないけれど先方は前回と同じと言う思い込みで努力をしてくれたのらしいから、良しとしよう。さっそく今日先生と役員に五冊を謹呈した。
 本命の展示会は朝九時集合で、一番早く行って居ると今日来れない筈のNさんが、「皆さんであがって」と洋菓子の差しいれを持ってきてくれた。
 来るべき筈の人が次々と集まってきて先生は金型ならぬ木の枠を夜中に作ったと言って持ってきて、そのせいで一挙に事が運び、天井から吊り下げるのも他の男性が、間隔良く飾りつけた。
 私がタクシーで花瓶や花を持って行くと言うと女性のYさんが「そんなことしなくても私が車に積んでいくわよ」と言ってくれたので、負んぶに抱っこで安心していたら、ミニ水琴屈、花瓶や扇子などの小物が色々、はては西陣織りの帯まで机に延べられて、パンフの敷物として品が良い。
 タイトルの「にぎわい句座発表会」の字は書道教室もされている先生の字で立派な看板の役をなしている。
 個性あふれる句が壁面にぶらさがり、来月の七夕を彷彿とさせる。私の出来立ての句集も、病で不参加のTさんのと一緒に並べた。
 ミニ句会展ながら遜色の無い風情を呈してきた。今日新聞の折込と共に入って来た「中日ホーム」には私達一同の写真と地域貢献の記事が 掲載されていて、先生がズームしてきて飾って下さると言う。
 本当に本当に皆さんの御蔭です。
明日は芳名帖ならぬ、サイン帖を持って行って来なければ。
 三十日の撤去の日まで私は側にある目医者に通いながら、それとなく目配りをしていようと思う。

 俳句  ひとつこと思い詰め居て明け易し

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  植   物

2014-06-10 12:32:54 | Weblog

 この時期庭木を向こうにして窓際にゴーヤを植えるようになった。
今年もゴーヤを三株とミニトマト一株ピーマン二株を植えた。トマトとピーマンはプランターである。
 植物は片時も成長を待ってはくれない。トマトの茎はごつごつと曲がり出したしゴーヤは何本となく蔓を伸ばして、となりのボケや菊にからまり始めたので、ここは一番ネットのお出ましと倉庫のネットを取り出してきて張った。
 やがて一人では食べきれないほどゴーヤがぶら下がるであろう。
 旬の食材と言えば苦い思い出がある。
 終戦の翌年の今頃であった、自転車の後ろに筍を積んで四キロばかり離れた母の里へお米の無心に行かされた。
 そこでは伯父夫婦と従姉のちかちゃんの三人が蚕の世話で忙しくしていた。
 跡取り娘のちかちゃんは女学校の専攻課だったと思うが「こんなものを持って来て筍など家の薮に幾らでもあるわ」と言っているのが聞こえた。
 伯父が「関がそんな事を言って来るのは初めてだから気良く持たせてやってくれ」と言っていた。
 盆や正月に遊びに行った時の長閑な雰囲気とは違ったものを感じた。
 お米を積んで家に帰り、母にそれを言うと怪訝な顔をした母は「確か裏の薮は淡竹であって孟宗では無かった筈だけど」と言った。
 母も地主の娘でお嬢さんであったから、そんなことには気付かないうちにお嫁に来てしまったのであろう。
 戦後農地解放や、凍結があったりして大変な食糧難の時代があったのである。
 今では何でもあり、捨てるほどの環境で育つ子供たちには思いもよらない事であろう。
 ちなみにちかちゃんは今年米寿で健在なので、従姉会には会う事が出来る。
 今朝ピーマンの初生りを二個取った。

   俳句  からからと白き春蚕の繭市場

        読経せる夏座布団や波の柄

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