おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

         私の愛するグッズ

2008-07-29 22:52:12 | Weblog

 グッズとはいつも自分の身近に置いて使う小物である。

 今迄は宝石、バック、靴、帽子の類が多かったがこの10年特にここ2,3年はイヤリング、ブローチなどはすぐ落としてしまうし、イタリヤ製の靴も下駄箱に収まったままである。

 今の私のグっズはもっぱら老眼鏡である。いちどに3ヶフレームの色違いを買って、楽しんでいたのが1ヶは枕元で1ヶは掛けたままで折れてしまい、後黒縁が1ヶだけよと心もとなく感じ始めるとそんな時私の場合決まってそれを予感したかのようになにかが起きる。

 あれ?3ヶ目のが無い。その日に乗せていただいた車の人や行った先へ訪ねても何処にも無い。ギブスをして左手を首から吊っていたので、軽くて小さな物入れにしていたから車の乗り降りに飛び出たのでは。

 子供の頃母にお姉ちゃんは何を買ってやっても駄目無しね(田舎の言葉で大切にしない事)とレッテルを貼られていた性分は一生直らない。

 なんとかしなくちゃと眼鏡を買うことにして、去年の日記と銀行通帳とレシートを調べる。くしくも7月27日に振込んでいた。その会社へ電話注文をするともう翌日料金引き換で運送屋が配達してくれた。

 便利な世の中である。それにしても1年に3ヶはねー。家の中のあちこちに眼鏡立てを置こうと一人ごちながら梱包をはずしていると、その前の日に乗せていただいたTさんから車の中に眼鏡が落ちてたと知らせて来た。

ケースの中の写真の裏に名前と住所が書いてあったから、いつもこんなにしてるのとおっしゃるので「いえねパスポートを申請に行った時のままになってただけよ」と言うつもりがパスポートが言えない。最近物の名前や人の名前を暫くかんがえたりするようになった。

 グッズの4ヶを何年も大切にして行きたいのに、私本体がくすみはじめたようである。

  俳句 ○ 竹簾朱房の色もあせにけり 

     ○ 古戦場田に白鷺の舞い降りる

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           暑  い で す ね

2008-07-29 08:14:09 | Weblog

 猛暑お見舞申し上げます。

 連日の35度以上、しのぐのが大変ですが立秋まで無事故でがんばりましょう。

俳句 ○噴水にしばしの憩い散歩道

   ○噴水に飛込みし子の叱られず

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        最近の福田首相

2008-07-19 16:31:38 | Weblog

 さあさあ皆様お立会い。

この日本国の先がみえぬとお嘆きの皆様お立会い。

 小泉政権の折、さえない様子だった、ほうかむりぢいさんが、首相になった途端突如として肩で風を切る紳士に豹変し、今迄の安部さんよりは、ましと思わせてからもう小1年になる。

 自民党のマニフェストを云々しても法案自体を変えなければ山積した個個の問題は解決しない。

 いくら自民党内で政策を充実させることが福田政権を支える大切な事と息まいたところで、年金、医療、地域格差等の諸問題は、意図的に時間をかけて引きずっているとしかおもえない。

 この問題は、これだけ内閣の支持率が低くなれば福田降ろしの解散風が吹き来たって早晩解散するなり政権交代をして解決するであろう。野次馬としては、今回開催された主要国首脳会議(北海道洞谷湖サミット)の成果の程を見てみよう。

 議長を務めた福田康夫首相が「最近のサミットと比べ極めて重要だったのは、世界規模の課題が切実に人々の生活に影響をあたえるなかで開かれたからだ」と満足気に意義を総括した。

 その洞谷湖サミットは7月9日3日間の日程を終えて閉幕したが世界全体の温室効果ガス排出量の50%削減の長期目標をG8首脳にすんなりと受け入れさせる事は無理であった、アメリカが中印を仲間にいれないのは何とした事?福田首相の力不足であった。

 総括骨子は、そのほかに ※北朝鮮の核計画申告 ※拉致問題の早期解決 ※原油食料価格上昇の世界的な問題 ※イランの濃縮ウラン ※中東和平のイスラエルパレスチナ交渉 ※ミャンマーを文民政府にする件などであったがそれらの交渉は福田内閣の支持率が浮揚するところまで行ったようにはみえない。

 あいかわらずの横ばい支持率である。

 民主党との捻じれ国会を反映したわけでもあるまいが名駅前には華麗なスパイラルタワービルが建った。解散は?総選挙はあるのでしょうか。さあさあ瓦版は売り尽くしました。

 俳句 ○ 夏草の猛り慰霊碑埋め尽くす

    ○ 茄子もぎの音もうれしき濃紫

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    着物はすたれた

2008-07-10 00:01:01 | Weblog

 私と同年輩のKさんは句会に良く着物を着て来られる。着こなしもうまい。

平安、鎌倉、安土桃山、江戸、明治と時代の遍歴を経ながら日本の着物文化の粋を集めた風俗がいくら第2次大戦で、国民服に統一された時代があったとはいえここまで非日常のものとなるとは想像もつかなかった。

 復古調でまだまだ需要のあった昭和43年こちらに越してきて、通勤可能な所をと安定所の紹介で3軒ばかりの企業を廻ったが社長の第一印象が良かった上に従業員も若い男性が多くて活気のある、婦人会組織販売の呉服の会社に就職した。

 営業社員が政令都市の婦人会長にコンタクトをとってくると決まった日時に決まった場所え(公民館が多かった)横槽の大島紬を車に積んで行って展示会をするのである。衣桁にかける間も惜しんで24反入りの段ボールケースを幾つも逆さまにひっくり返すと待ちきれない会員さんたちが何万円もする反物を餅でも拾うように2、3反抱えて柄選びに余念がない。伝票仕切りの私はトイレへ行く暇もない程だった。

 派手な社員旅行では、名所で見かける観光客がウールの見本帳の何番を着ているとか今度会う人は何番を着てるのだろうかとか話題にし、9月に入社したのに冬のボーナスは吃驚するほど多かった。

 新社屋を建てたり営業所をふやしたりした頃から着物が流行らなくなって来てそれに伴う不協和音のかずかず、体制の甘さを見て取ってひそかに商品をストックする頭の黒い鼠、洋品のニット製品を韓国でロットで流して作らせて山程在庫を抱え込んでしまったりした。

 私は3時に銀行がしまってから、何千万円ものお金を同行者なしで一人で地下鉄で行って銀行の裏口え届けたりとかユニーで在庫をはかせるのに立って居られなくなるまでの過酷な出張販売をしたりしたがとうとう10年働いても退職金すら出ない結末だった。

 商売は時代の趨勢に押し流され出すと本当に怖い。3年程して社長と偶然中日ビルのエスカレーターで擦れ違ったが、あのおしゃれな人のズボンのポケットの淵が擦り切れていたのを私は見逃がさなかった。

 俳句 ○ 羅物を着て販売の背筋伸ぶ

     ○ シンセサイザー立夏の窓をゆるがせて

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