何と「夕刊サロン」の記者が、私のこの「おにゆりの苑」の取材に来ると言う。
家の内も外も一生懸命掃除をしてタクシーで来た女性記者を迎えた。
茶菓の用意の怠りもなかったが、何の目的で、何を、どう言う風にと言うことに考えが至らず名刺を出されたのに、つぶさに見ることもなくこちらのを渡す事は忘れてしまった。
聞かれることにも素直に情熱のあるところを披瀝すべきであったが、見当はずれの四方山話をしていた。写真を撮るときは、鏡をのぞくくらいの余裕をもってちょっと待ってもらえば良かったのに、何枚も撮られる間中眼鏡をかけるのを忘れていた。
「どこでされているのですか」と言われてキッチンのオルガンの上のパソコンを指差した。一人住まいなので、家中が書斎みたいで、その時の気分の赴くまま至るところがノートパソコンの仕事場であり得る。ある時は庭に向かって、ある時は背と手もとに電灯を、又ある時はやぐら炬燵でなどと言えば良かった。
俳画を描く時は大きな食卓に画材一式を拡げて、などと言えば良かったと後になってマニュアルを思い描いている。
二日前に知らせて来ているのにリハーサルをして置くべきであった。
それにしても二、三行のことらしいが一時間半の滞在で何をどんな風に書いてくれるのであろうか。
六月十三日頃の夕刊に載るそうであるであるが、眼鏡の無い顔の皺を一応女性らしく苦にしている。
俳句 朝顔のたぐり寄せたきはかなさや
飛騨路路来て探し当てたる朴葉鮓