おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

銀行さんほか

2015-03-25 19:38:58 | Weblog

 パソコンが壊れたので、中古のセブンに買い変えた。
いけめんの若い担当者に説明を聞いていると、ぴんぽんと又来訪者だ。
 「とよた信金です」「いまお客さんなので又ね」
この家の近くに向かいあって「豊田信用金庫」と「瀬戸信用金庫」が建築中である。
 最初はポストまで出ていきそれぞれに名刺をもらって、挨拶を受けていた。
さてどちらが熱心かと思っていると、片方は一週間に二度ならず三度も顔を出す。
 現役中に開設した口座の銀行はコンビにでお金こそ出せるが打ち込みなどは乗り物で行かなければならないので、近くに変えたいと思って居た所なので渡りに舟ではあった。
 どこの家でも銀行には、有縁だと思うけれど、その昔農業銀行を集めて十六銀行にしたという祖父の時代から何かと銀行にかかわりのある家で育った。
 農地解放の後には父は地元の町に大垣共立銀行の支店を立ち上げた。
 やがて本店勤務になると家には寝に帰るだけのような晩年で定年になった。
 私の五人いる孫の内の一人は女性ながら窓口業務ではなくファイナンシャルアドバイザーで成績も良かった。結婚退社をして今お腹に赤ちゃんがいる。
  娘に解約について行ってと頼むと「建ってからで良いでしょう」と言うけれど「三月にやってよ」といわれて根負けした。
 私も生保のセールスであったから外回りの大変さは承知している。
 最近図書館で「池井戸潤」の銀行ものばかり四冊借りてきて読んでいるがそれは、私等が普段目にして居るような窓口業務や外回りの行員ではなく支店本店の中推にいる人たちのそれなりに壮絶な処世を強いられている小説である。
 もう身につまされたり置きかえて考えたりしなくてもよくなった。それでと言う訳ではないがこの人達の為になる事はないかと考える。
 定期を組んだ、[とよ信]
さんは新婚半年だそうだから良いがパソコンのお兄さんは三十三歳で技術も達者であるのに、忙しくて結婚が未だだそうである。良い人があったら紹介してと頼まれた。
 若い人と関わっているとこちらも若やいだ気持ちになるから、不思議である。

   俳句  引継ぎてひ孫生るるや春灯

 

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平 和 と 安 穏

2015-03-11 15:52:42 | Weblog

 目を覚ますと庭には雪が積もっていた。
家の中の用をすませて、八時頃ポストへ新聞を取りに行くと、すっかり道路は雪などなくきれいであった。 
 雪の為にあちらこちらで、交通規制がされているようであるが、愛知県は伊勢湾台風で被害にあった外には災害に会わないと言う点では恵まれている。
 四年前の今日のブログを見てみるとゲートボールから帰り寝転んで新聞を読んでいると、横揺れの地震があり、それは、東北のマグニチュード八の地震であった。
津波と原発との三つ巴で始末に悪いと書いている。
 仮設住宅に入ったまま家の再建がままならぬ老人たちや、原発地区なので、高濃度の空気の汚染が恐くて帰れない人の事など。
 ふるさと創生にあてるために、寄付つきの納税買い物カードを発行したりしているが、マスメデァ各局が騒ぎ立てている割には復興がはかどらない。
 今日の中日新聞の社説に脱原発依存のキーワードとして、「地産地消」ではなく「地消地産」を提唱する元福井県議の提案が載せてあった。、
 地域で消費するものを地域で自給することから始めて、大企業の恩恵に頼らない事だと言う。地域にあるものを生かした地域の為の産業おこしが本物の「地方創生」だというのである。
 先の戦争も庶民には災害と言うべきであったのだ。
 中日新聞に掲載されている「平和の俳句」がこれだけ長く続くと思はなかったので、切り抜いて不用のA4用紙に毎日貼っていたらもう六枚にもなった。
 加えてそれに次ぐ月間賞が新聞一ページにも載ったりして、大層な数の時事俳句を読んでいることになる。
 それもこれも人々は平和で平穏な暮らしを望んでいるからに他ならない。
 災害は忘れた頃にやってくる。
 出来ることは躊躇せずに早く進めるにしくはない。

       俳句   折られたり剪られたりして木瓜の咲く
              
             飛花落下九条の友逝きにけり

 

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誕 生 日 に 続 い て

2015-03-04 13:40:59 | Weblog

 三月一日は私のン歳の誕生日であった。 
 
八十歳からは齢をとらないつもりなので、お祝いと言って、あちこちから食事の誘いが多かったが、有難くも遠慮したい気持ちであった。
 当日は娘が三好のモビックスへ映画「悼む」を見に行くよと九時十五分にやってきた。
 見終わってランチをしたり洋服を見たり買ったり食品を調達したりして帰りに「ダフネ」でお茶をして、帰ると四時、日脚は少し伸びたとは言えもう夕方であった。
 二日は薬を取りにいっていたお医者へ後輩から「其処が終わるのは何時?御馳走するから瀬戸の鰻屋へ乗せて行く」とメールが入った。
 彼女は四日に愛知医大で膝の手術をするので、しばらく会えないと思うと心苦しかったが、「ここんところ毎日なの]でと断った。
 三日は私
が主宰の句座の日である。
 会場への道すがら、句友とランチをしてから望んだ。
 当日はお雛祭りの日なので、気の効く役員のKさんが、花瓶持参で先生の机の上に菜の花と桃の花を活け陶の内裏雛をかざってくれた。
 紺と白の一寸足らずの人形は両サイドにもう1体づつ従えて大人の趣であった。
 
すると言い合わせたようにあの人この人からお菓子のお供えがあり、男性にさすが女子会とひやかされた。
 この日の高点句は
          ○ 江戸雛回り廊下の黒き梁      K
          ○ 金蝋梅やアルプス背負ふ道祖神 A
          ○ 床の間に亡き母偲ぶ内裏雛    N
          ○ 孫みんなおみなごと言う桃の花  T
          ○ 花見旅日取りを決める喧嘩あと  I
          ○ 陶の雛鎮座ましますおらが句座  講師即吟
 等と楽しい三時間はあっという間に終わった。
 来月は期変わりなので初めに総会を繰り入れなければならない。
 従って私も齢をとっては居られないのである。

     俳句    固唾呑み修二会の火の粉待ちてをり 
           
            山城の空賑はせり百千鳥

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