夜も働こう。新聞広告でみた一宮市のクラブへ清洲から自転車で走った。
化粧品と雑貨の問屋を倒産してから、一家に押し寄せて来る敵は、毎月毎月お金であった。店舗を失った主人の商売は、お先真っ暗で、他に就職した私の事務員の給料は債権者会議に出た人以外への返済やら、爾後の始末やらで、焼け石に水で何の足しにもならない。
源氏名が要ると言われて「瞳と言う名にします」と出た新入りは、ひっきりなしのもてようで「あなた前は名古屋なの?」とベテランホステスがやっかんだ。
何も言わずに出て行って帰りの遅い女房を眠らずに待っていた夫の詮議と暴力で着ていたレースの上着が頑丈な見返しごとひきさかれた。
それが怖くて二日目から行くことが出来ずロッカーに置いてきた小紋の着物は好みの柄に染めさせたものであったが、訳を言って電話で請求しても帯と共に戻っては来なかった。
世間に迷惑をかけたら切腹と言う私の性分と、被った側の負けと開き直る商人の考え方の夫との違いであった。
まかり間違えばその道に入って居たところを、首根っこを摑んで引き戻されたのである。はでな喧嘩だった割には、一生二人の間で、タブーな一件であり、夫に感謝している。
1970年頃のことである。
俳句 * しらじらと明けの速さや太宰読む
* 夏座敷父の謡のこえ豊か