おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

東 日 本 巨 大 地 震

2011-03-24 16:48:37 | Weblog

 

  その時私はベットに寝転がって浅井隆の「二〇一四年日本国破産」を読み終わってジンバフエに続いて日本もと書かれていることに思いを巡らせていた。
 くわしくは三月十一日二時半過ぎのことである。あれ、地震それにしては横揺れが長いわ、テーブルの下にもぐろうかと立ち上がると治まったのでテレビをつけた。
 マグニチュード8の地震が発生しましたと言うと同時に、地震や津波の情報を放映し始めた。刻々と広範囲の惨状が映し出されていく様を胸がつぶれる思いで眺めた。
 被災から十日、惨状は日が経つにつれて広大な範囲に及ぶ事が判り「東日本巨大地震」とマスメデァもそれ一色になって世間を騒がせることとなった。
 海外からも多くの支援の手がいち早くさしのべられた。
 私の家の隣の実家は、宇都宮で幾日も連絡が取れないので憔悴した顔をされていた。実は一昨年奥さんを亡くされ子供もないので、故郷に既に墓を建て、こちらの家を売り出身地に家を買って移ろうと準備をされている真っ最中であった。
 親戚は静岡の一軒の外は、みな仙台とか石巻とか東北ばかりである。
 晩年の母体回帰の夢は果たせるのかと、私も大層気をもんだが五日目に避難先と連絡がとれ皆さん元気とのことで安堵された。
 百四十年来とか史上類がないとか言われる今回の地震は、地震、津波、原発と三つ巴なので始末が悪い。文明社会の副産物の原子力発電の災害はチェルノブィルに次いで世界筆頭であろう。
 鰻登りに判明していく数は二十一日現在で死者8,450行方不明12,909負傷2,701建物127,065とまだまだ増えそうである。
 救援はガソリン、電気、道路事情、放射能汚染などがからんで近ずけなかったりとままならない。
 東北なので、雪にもしばしば見舞われて被災者の苦労は生きた心地がしないであろう。私はただ所属しているグループの義援金に参加するくらいで、固唾を呑んで手をつかねて見ている。
 夜半目覚めて布団の追い掛けをしながら不自由をしている避難所の方達はこれすらままならないのだと、自分の今に感謝して列島の一日も早い復興をとひたすら願はずには居られない。落ち込まない、落ち込まない。大悪起これば大善来たるを信じたい。


  俳句  卒園児ジャングルジムの天辺に 

       留鳥も飛び来る鳥も湖の桜

 

 

 

 

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お 水 取 り

2011-03-12 08:10:45 | Weblog

二月中旬に申し込んでをいたバスツアー「結城神社のしだれ梅と奈良、春日大社東大寺の、お水取り」に行く日が来た。
 三月も九日と言うのにめっぽう寒い。「おしゃれをしてこなくて良いから温かくしておいで」とメールして置いたのに、二人の孫娘は言い合わせてか黒のロング靴下の可愛い格好をしてきた。
 上着は私も共にファーの衿の冬装束である。
集合場所の名駅西の噴水の所を「お父さんはねここで小学校二年生まで育ったのよ、新幹線が出来るからと立ち退きになってしまってね」と話すと興味深く聞いていた。
 バスが出発し、関のサービスエリアで思い思いの昼食の弁当を買った。
 津の結城神社では各々に名前がついた二百五十本の梅が咲き誇り、白やピンクのしだれ梅も本当に美しい。春の陽射しがさんさんと降り注いで梅の香りに包まれた散策は旅行客をおおいに楽しませた。
 重いカメラを持ってきて正解だった。下の孫が報道カメラマンよろしくシャッターを押し、携えていてくれたからである。
 バスは名阪自動車道の奈良への登坂斜線に入り天気予報通りだんだん寒くなって行った。杉の樹林が多くて花粉症の下の孫はさかんに目や鼻を気にしていた。
 春日大社の駐車場につき、
足の早いガイドに伴われて鹿苑を通り鳥居をくぐり立派な社に入ると、上の孫はとりたての車の免許の安全運転の祈願をしていた。
 若草山の前の「永楽」にひとまず入り夕食には間があるので、男性のガイドが二月堂の下見に一行を連れて行った。
 若草山の山焼きは終わっていて、黒い焼け跡の稜線がそれを物語っていた。鹿が沢山いて寄ってくるのだが無表情なのがやるせない。
 四十五段の石段を登り本堂やら大松明やそれの通る廊下の欄干を見て周った。ご利益の火の粉を被ろうと場所取りをしている善男女も沢山いた。
 「永楽」に戻り夕食をして土産物の手配をしてから本命のお水取りを観に出かけた。千二百六十回も続いているというこのお参りは日に何回もお水を捧げるところからついた呼び名と言う事である。
 拝観者は刻刻と増えて四時半から七時までも立って待つ足のつらさと寒さは、殊の外で孫はホカロンを買いに走っていた。
 七時になって火の祭典が始まると何万人もの観衆と共に、大松明が一本ずつ間断なく火の粉を夜空に乱舞して走り、十本が燃え尽きる壮観さを眺めた。
 カメラは夜景モードにしたらしいがフラッシュをたかないでとのお達しなので、どんなふうに撮れたのかカードを孫に持たせてやったので私は未だ見ていない。
 イベントは待つ間が華で期待が大きいほど終わってみれば、これだけのことかと思うものの百聞は一見に如かず、帰りに雪が降りしきっていた所もあったが、大学卒業する孫と大学入学の孫との三人で一緒に行けたのは良かったと十一時過ぎに帰宅した。
 
  俳句 大和路を修二会に詣る旅衣
      梅が香にそぞろ歩きの京言葉

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私の桃の節句

2011-03-04 06:30:09 | Weblog

三月三日は雛祭り、赤飯を炊いても一人で家にいるのでは、面白くもないしと美容院を予約した。 
 妹から遊びに行きたいと電話が来たが時既におそし。妹が来るんだったら足助まで中馬のお雛様を観に車をとばしてくれたかもと思うと残念だった。
 三月一日は私の七十八歳の誕生日で、土曜日に娘が木曽路でランチを一緒にしたあと三越で洋服を買ってくれた。日曜日には息子がきて浜木綿でご馳走してくれた。
 家族全員で喜寿の宴席を設けてくれたばかりのような気がしているのに、一年はあっと言う間で本当に早い。
「ござらっせ」の美容室でカットと美顔マッサージをしたがこの一両日寒の戻りのように寒いので、冬中一度も風邪をひいてないからと昼間の入浴はやめて早々に帰宅した。
 過ぎたるは及ばざるが如しちっとも楽しくないなあ、テレビや新聞のこれでもか、これでもかと言う破天荒なニュースに驚いたり心を痛めたり入学試験に纏わる携帯電話事件などこれから日本はどうなるだろうかとなどとグローバルな考えはやめよう。
 もっとつつましく足下を見つめて楽しい事を探して暮らそうと思って入浴をしていると、薄暗がりにインターホンが鳴ってY新聞が明日の御園座の石川さゆりの券を持ってきてくれた。
「湯道楽」という温泉の割引券つきのパンフも一緒にポストに入っていた。またまた過当競争をと心配したりせずに、昨日だかの運勢欄に思いがけないものが届くとあったのを、これだと思うことにした。
 妹に「五時開演だけどいかない?」と電話をすると高齢者の運転試験を午後で申し込んであるけど間に合いそうだからと言い私はゲートボールが午前中だからと御園座の入り口で会うことにした。  演歌であろうと天井桟敷であろうと姉妹一緒に観れるのが良い
 明日を楽しみにして今日一日を感謝で閉じる事にした。

 俳句 はらからと菱餅の青摘みにし日

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