おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

  こ の 一 年

2008-12-26 08:54:32 | Weblog

 「今年の漢字」は、例年のように清水寺貫主が墨痕あざやかに書かれた一字、それは「変」であった。

 本当に私達をとりまく環境は、国の内外とも大小様々な「変」ばかりであった。筆頭にあげるのは、政治で、一年そこそこで首相交代をした麻生政権のことである。

 その支持率が三ヶ月で半減して十六%になるなんて、施策の発表があるたびに、目に余る誤読がこんな漢字も読めないのかと、首相としての資質が問われている。従ってことがスムースに運ばない。

 経済では、世界経済が、グローバルな転換期に入ってしまった。いわゆるサブプライムローンで、自分の力ではどうすることも出来ない。 何かに翻弄され始めてしまって、そのテンポがあまりにも速いものだから、人々は落ち着いてきちんとものを考えるゆとりがない。

 世界的なこの不況は、わが国でも天下のトヨタとかGMが輸出や販売の赤字に拠る減産を始め、多くの企業が収益の下方修正をするに及んで、一気に不況風が吹き始め街には失業者があふれて、就職難の時代になった。個人が主体性をもって生きて行くのが難しくなってしまった。

 私には五人の孫があるが男性は一人である。この秋折角、N大学の修士に合格したのだから、思慮した進路へ行って欲しいと蔭ながら願っているが、ノーベル賞の受賞で湧く校風を他所に就職活動をする様子ある。その年齢の者の陥いりやすいのは、「今此処で就職しないと生涯賃金は半分になるんだ」と言う強迫観念である。

 人間は生きる意味を見出す為に生きているのだから、自分の血肉になるものを豊かに持って好きなこと、楽しい事をたくさんストックしてをくことが大切である。

 私のこの一年はと言うと概して幸せであった、ブログ引用の私小説じみた本を一冊出す事が出来たし、健康であったし、可処分所得を心得ていれば、政府の高齢者いじめも免れた。

 来年はワーキングプアなどのない、住みやすい世の中に世界中が変革されていく事をひたすら願うのみである。

 御つき合いくだすっていた皆様方ありがとうございました、どちら様も良いお年をお迎えくださいませ。

  俳句  ○ 地に足を変な烏の時雨来と 

       ○ モネ展を寡婦の姉妹の師走かな

 

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  老 い と 病

2008-12-23 10:49:29 | Weblog

 私は、結婚して名駅近くに住んでいたので、何かにつけて親戚、知人が良く立ち寄った。

 その日も、大学を卒業して就職した会社の研修に大阪へ出かけるKさんを見送る妹との待ち合わせ場所となった。

 背が一メートル八十センチもある好男子の彼が先に現れたので、私は親替りのように「どういうつもりで御つき合いくだすってるの」と聞いた。

 「私はいつも父から、三年先五年先のことを見て現在を生きるように言われています」との即答だった。

 二人は恋愛中であった。

 やがて鴛鴦夫婦の家庭を築き、一男一女を育てあげた。癌センターで胃を半分摘出する入院もあったが、所属の会社の代表として、テレビで繊維の専門的な説明をしたりした。

 定年になったら、夫婦で海外旅行に行く筈の妹が倒れた時、Kさんの対応の良さで、七分以内に日赤の救急に運ばれたので命は蘇生した。

 私は脳と自律神経とのかかわりを、知らないが頭が指令するように手足が連動しないという、大変な病気が残った。

 若年で介護の等級もとれず、夫婦にとっての頼みの息子一家はアメリカに転勤中で姪(娘)は乳飲み子を抱えていて自分の家庭と両立させながら、名古屋から岐阜まで通って良く尽くした。

 それとひたすらKさんの献身の十年であったが、この一年余り姪の確かな判断で、人生の大半を過ごした千種区の施設へ入り、お互いに身の回りのことは干渉しなくても良くなり自分自身の体調もよくなかったKさんであるが、孫との携帯メールを楽しんで居られたのにある朝、食欲が無く熱が下がらなくて、そのまま逝ってしまわれた。

 葬儀の挨拶で甥は「父もそうでしたが、私も研究者です。」と言った。今年は名大の卒業生の三人がノーベル賞に輝いて、湧いているが、彼も、其処の修士も持ち就職した会社から、東大でも学ばせてもらった、バイオテクノロジーの博士である。

 両親は不本意な躰になっても、満足していたのであったろう。代が替わるということは、ある種壮絶な覚悟が要ると思ったこの秋の惜別であった。 車椅子で参列している妹が痛々しかった。

  俳句 歳用意出来る楽しさ老いてなほ

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師 走

2008-12-13 08:56:18 | Weblog

 師走の声を聞くと思い出す事がある。

そんな昔の事をと言われても、私の中では昨日のことのように思われるのである。

 昭和三十年代お歳暮には、まだ実用品が罷り通っていた。私の家の店でも、石鹸の六ヶ入りを、デパートへ納める包装に追われて、二人の男衆が手さばき良くこなしていた。

 そこへいつの間にか幼稚園から帰ってきていた五歳の息子が、どさりと何か持ち込んできた。まるで猫が獲物を捕って見せに来たように興奮している。

 それはツリーを彩どる電飾で、子供には一抱えもある嵩のものである。

 私はとっさによそから盗んできたものに違いないと思い「どこから持ってきたの?」「どこのお店からとって来たの?」と、ひきつった声で、むちゃくちゃ子供のお尻をぶっていた。

 見かねた年配の男衆の一人が寄ってきて、「子供だから悪気はなかったんでしょ。一緒に行って謝って来られたら」と諭してくれた。

 子供の手を引いて、五、六百メートル先の「このお店」と言う玩具屋へ行きことの次第を言って謝ろうとするのに、折からの師走の忙しさで、「あらそう」「本当、ありがとう、その辺に置いといて」と、あっけなかった。

 まだ親の手の離れない幼児を手放しにしていた、私の日常が反省され、やりきれない気持ちであった。

 考えてみれば、店を営んでいる立場としては当時でも、消耗品としてマイナス分を5%位は計上していたものである。

 私もレジを打って伏目になっている時に、商品の口紅など小さなものを喉もとからブラジャーにはさんで持ち帰る客を、見つけても何も言えずに胸のつぶれる思いでいたこともあった。

 当節ではマンモス市場になった分、企業の損失くらいに思うのか、学生やら大人までが平気で万引きをするようになった。

 あの時子供の気持ちも聞いてやらずに、むちゃくちゃ叱った事を師走になると必ず思い出す。私にとっての一大事件であった。

 今では三人の子を持つその息子が、ここへ立ち寄る度に「振り込め詐欺に、ひっかかるなよ」と言い置いて行く。無い袖は振れぬのに。

  俳句 観る人を聖樹が迎ふ美術館 

     トナカイの電飾壁画摩天楼

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暮れの予感

2008-12-04 08:38:56 | Weblog

 車も荷物を積みすぎるとパンクする。

 私も師走こそは、逆転の発想をして積み荷をしすぎないよう人の話に乗らない、本を購はない、出かけない、知らぬ存ぜぬで家に籠ることにしようと決めた。

 ところが第一声飛び込んできたのは、母が週に二日行く老人施設で転んで骨折はしなかったが、顔が両頬とも黒く腫れあがってお岩さんだと言うのである。

 月一回の俳画教室で、来年の干支の牛を画いて居る所へすぐ下の妹から、見舞いに駆けつけようと携帯へメールが入った。午後人との約束も反古に出来ないし、出たついでに美容院にも行きたいと言うと「貴女は自己中」とさんざんな言われかたである。

 今朝タッチの差で一時間一本のバスに乗り遅れて自転車で走ったので帰宅したのは四時すぎであった。

 そこへ卓球友達のYさんから、六日の芭蕉忌顕彰句会と、学院であるパソコン写真の修整講座とが日と時間が重なったので、私の名前のままで出席をすると言って講座の申込書を取りに来た。

 次は娘から二月に行くイタリヤ旅行の打ち合わせに明日二時に行くから、同行者呼んどいてとメールがきて、電話も鳴るので、急いで出ると図書館から、頼んでおいた本が返却されたから取りにくるようにと、音声に吹き込んだ無機質な声がした。

 何の事はない例年並みの忙しい師走になりそうである。と嘆いてもけ結局は自分の責任と言うことか。(二〇〇八・一二・四)

 俳句  朝早くスワンの比翼愛でにけり

        美しい国日本

テレビをつけると、「キミハブレイク市場最大規模ヘリ映像上から視ると」①富士山②大仏③花火④五千台の車⑤東京タワー⑥大都会東京、と言うのを放映していた。

 夕食やら入浴やらで、集中してみられなかったが東京を写す中で小学生唱歌「春の小川」はここでつくられたとその頃のセピア色の田園風景やその川の様子を、今はコンクリートをたどって行くと高架の下やら、地下へ潜ってビルの下を流れたりしている。

 田園調布の町並みが放射線状なのは、パリを真似て造ったのだとかパーキングホテルの海蛍は豪華客船をイメージして作られたのだとか東京湾のアクセスラインは直径二百メートルもあったり、山の木の茂りに巨大な目ン玉を二つとかラブレターの封筒のオブジェとか正にど迫力の画面で二時間見た人が羨ましかった。

 こんなに美しい国日本で何で毎日悲惨な事件ばかりが続出するのであろうか。

 掘り返されて建物と道路と車ばかりの日本の国民は、管理体制の中で飼育箱の栗鼠のような生活を強いられて季節になっても落ち葉焚すら出来やしない。<落ち葉だ 落ち葉だ落ち葉焚き>今にこの歌も小学生唱歌から消え去るのではあるまいかと自然破壊を憂うることしきりである。

 俳句  落ち葉敷き枯山水の整へり

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