おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

  製  本

2017-08-29 19:26:21 | Weblog
>「日進エッセーの会」に10年程前から所属している。3年位経ったころ、講師の能戸先生が息子さんの近くへ行かれることになり先生をやめられた。送別会の写真を見ると20人は写っている.それ以降先生のみならず、亡くなられたた方々や体の不調ででてこられない方は枚挙にいとまがない。主宰のもとで、先生なしでやっていたせいばかりではないであろうが、今はたった6人である。一年に一回「石火光中」という同人誌を発行するのであるが、7月の例会の折、もとにぎわい交流館の職員であり、しかも印刷屋であったというKさんをまじえて万端抜かりなく製本業務が進む手はずになっていた。ところがその月末に彼は亡くなった。それでどうする?の考慮もあって急遽26日と28日の二日間朝9時から17時まで印刷機と裁断機のあるにぎわい交流館で各々の分担よろしくフル作業となった。80代の3人がもたもたしていても、70代のH氏が印刷やらむずかしい表紙のミリ単位の配分までをしるしをつけてきて、ホッチキスの力仕事までも手がけてくれ首尾は万端、業者に依頼したほどの出来栄えで130冊が完了した。窮すれば通ずとはこの事か。それにしても市会議員一人入れて、7人で95頁なので3篇も4篇も出したりして皆さんはともかく、私は老人力に今いち自信がない。

   俳句 今朝秋のあの人も逝きうらがなし
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製本

2017-08-29 18:15:56 | Weblog
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毎年の墓参り

2017-08-16 13:26:20 | Weblog
<独り居が安気と言う時は過ぎて、今や何をそんなにストレスを抱えているのと思うほど、それぞれが重荷になってきた。
 お盆になって十四日例年のように、息子の車の運転で実家の墓参りに行った。
 我が家の墓参りは毎年十三日までには仏を迎えに行くのであるが十三日は句会があり、(二十四人中七人欠席)自分の足が無いのと供花を持参してきて一緒に行ってくれる娘が今年は、姑さまの入院やら栃木から六日から来ている子供一家の孫の熱が下がらないので、大わらわである。
 彼女も立派に祖母になったわけであるから、私がいろいろせっつく訳には行かない。
 おそがけながら、我が家の墓に先に参ってから行くことにして盆らしくほほずきなど持って行ってみると、直系はありがたいものである。男の孫であろう今年も、ぢぢさまの好きであった、大関の上選のワンカップが供えてあった。
 そこを出ると息子は渋滞しない道を熟知していて、県境の入鹿池の向うあたりが、混んだだけで車は雨模様のうっとうしいほど濃い緑の稜線を越えて美濃の私の両親の墓に着いた。持参したひとだかえの花を、八基もの墓に継ぎ足しでさして「来年のことは判らないが今年はまずまずお参りできました」と挨拶した。
 としこさんが一人待つ実家に着きなつかしいわと仏壇に線香をあげた。祖母と茄子や瓜で馬など作っていた濡れ縁もそのままである。
 私の慣れないスマホのメールが未着信だったらしく、弟は商売で富山へ出かけて留守,歯科クリニックの跡取り一家はやはり嫁さんの実家へ子供ずれで出かけて留守。家と言う箱物もこうなると大変で彼女の実家も母様なきあと空き家借家はともかく三軒もみている。
 「辻や」の前の妹夫婦と四人で一時間並んで待ってうなぎを食べて四方山の話をして高速を飛ばして帰った。
 さあ十五日我が家の本番のお盆の筈が襖をはずして全員が集まるようなことをしなくなってからはそれぞれの家のお盆をしたり、夏休のちび達を海に連れていったりするので、私が思うようには集まらない。
 従って私一人が追善菩提に日文の会館へタクシーで出かけた。一昨年来会いたかった方に会えて一緒に題目を存分にあげて相乗りさせてもらって帰った。
 これで十八日に仏を墓まで送って行けばとどこおりなく終わる。なんだか勇気が湧いて来た。今年一年守られるでしょう。感謝!      
    
        俳句  百年の実家の蔵の台風禍
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    は だ し の ゲ ン

2017-08-06 17:00:12 | Weblog
Hさんから電話が来たとき私は自分の顔とも言うべき眼鏡がみつからずついと置きそうなところをあちこち探していた。
 電話はわたしの帯状疱疹を心配して御自分もかかったことがあるからと見舞いを言ってきてくれたのである。その時の話題の一つに今月の句会の兼題である「はだし」に話が及んだので「Hさん、はだしのゲンのストーリー知ってる?それほどの苦労はしなかったわ。と言う句なら出来たけど物語に対して作ってちゃ駄目ねー。と私が言った。
 それを覚えていて図書館で借りてきて昨日一日で読んでしまったから良かったらと言ってくれたのに、眼鏡を探すのに頭がいっぱいになっていて、すげない返事をしてしまった。
 「ありがとう」といえば御主人運転の車で持ってきてもらえただろうのに、よしんば 二人が遊んで行かれても抹茶のあてのお菓子はいろいろあったのになどと思うと、とっさの判断力がなかったとうじうじするのである。
 何よりかにより眼鏡が出てこないのが一番の原因である。茶店で忘れたか、バスの座席にちょいと置いたか、気になりだすと必死になるからどうしようもない。きっぱり諦めることも肝要である。

   俳句  草しょいてすっくと立てる赤カンナ 
       はだしのゲンほどのことなき裸足老い
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2017-08-04 14:50:19 | Weblog
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