おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

日 帰 り 旅 行 二 題

2013-07-31 18:47:22 | Weblog

 連日の暑さに、どうせ私にはポリシーなんて無いのだから、息をしてるだけで、御の字よと遊ぶことにした。
 手始めに、二十三日バス旅行の桃狩りは宅配(明治牛乳)の招待であった。
 地下鉄の始発に乗るく朝五時五分に家の前までタクシーに来てもらった。 名駅西六時二十分にバスは出発しお隣さんは孫と同い年の既婚女性であった。半田から一番電車で来たとのことであった。
 バスは新東名を静岡まで走り山梨へ入った。右に見える富士山は裏側で頂に層雲がかかり未だ雪渓があった。たなびく裾野は無くて、つんぼり高い山であった。 
 河口湖のほとりのレストランで昼食をして直に「みさくぼ農園」へ着き桃狩りとなった。桃畑の下で机に並べてある冷やした桃に沢山の包丁が用意してあった。
 今年は成熟季に良く照ったので、甘味が抜群とのことで美味しさに舌つつみをうったが、せいぜい二個までである。若い彼女は五個頂いて堪能したと言った。
 例年のようにワイナリーや宝石店で時間を取りほぼ予定通り八時前に帰名した。
 中、二日置いて今度は孫と「日本平から久能山へ、三保の松原から富士山を眺め清水港クルーズをする」というバス旅行に赤池から出発した。
 亡くなった友人のYさんとは丸子のとろろ汁がらみで、日本平へ、娘とはイチゴ狩りがらみで、清水港へと行ったことがあるけれどもう何年も前のことである。
 孫も大学生の折り富士山の五合目から御来光を拝みに頂上まで登ったと言っていたから、私への思いやりで同伴してくれたのであろう。
 清水港からも羽衣の松からもその日はどこからも富士山は見えずがっかりだったが、ロープウエイで上った東照宮では、仁王門で私が待っていると孫は東照宮の高い階段を上の先まで登り家康の墓まで参って来た。
 待っている間、家康の手形に自分の手を合わせてみたり、書付を見て大きい姿の先入観であったが、百六十センチ五十六キロとは昔の人は小さかったのだなあと思ったりしていた。
 ロープウエイから屏風岩や駿河湾が眺められた。
 土産物屋で旅行会社の肝いりの冷凍魚いろいろの詰め放題があったりして、荷物が嵩んだが赤池の駐車場に車を預けて置いてくれたので、疲れた割には殆ど予定通り八時には家に帰りついた。
 孫との楽しい一日であった。

  俳句   富士山を裏側に見て桃畑
        灼熱の夕日は山も焦がし居り
        パノラマの如き天空雨後の怪

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 緑 の カ ー テ ン

2013-07-22 06:55:33 | Weblog

 いつもの年のよう に六月初めに窓辺にゴーヤを二本植えたが天候不順で蝶や蜂が舞わずいっこうに生り花が咲かなかった。
 指の骨折にかまけて、そのままにしていたが蔓が延びるので床の間の掛け軸掛けを使ってネットを張った。
 やがて訪れた娘が、家も今年は生りが悪いと言っていた。婿にネットの内側に巾の広い簾を架けてもらうと風情が良く日に日に大きな葉がはびこるのが透かして見え、さながら若緑に囲まれた姫様気分で毎日が楽しい。
 前には母を真似て朝顔ネットであったが、ぱっと開いた朝の内は気分が華やぐけれど、おびただしい花の萎れたのを始末するのに忙しいので或る年につるむらさきに変えてみたが、熱い日中に紫色はぱっとしない。
 そうこうしている間に今のゴーヤブームが訪れた。消エネと相間ってゴーヤ情報花盛りになった。
 娘は今年も梅雨らしい日が巡ってきたら上の方でいっぱい生り出して保存に困ると言っている。私は主をカーテンに置いているので実の方は程々である。
 子供の頃父が、苦瓜を煮てくれと言っては生るのを待って茄子と油揚げとで炊かせて珍味にしていたことを想うと沖縄産のゴーヤは長く大きい実である。
 その父を私の見合い結婚の相手の聞き合わせに案内してくれた西区の従兄弟から結婚五十五年のパーティを熱田神宮で行ったとデジブックが届いた。
 私達は五十回を目の前にしてついえてしまったことに想いを馳せる。
 六十回目までお元気でと返信すると今度は緑のカーテンの中でゴーヤを手にした写真が送られてきた。
 あちらもこちらも方々が猛暑の中を緑のゴーヤの七月である。

  俳句 今年竹混じりて薮の深さ増す
     
      寝返りて句のあれこれを酷暑かな

 

 

 

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  郷 愁

2013-07-12 14:21:20 | Weblog

出た時ついでに、いろいろ用事を果たしてこようと盛夏のバスに乗った。
 もう梅雨明けする頃であるが、この二、三日滅法暑くて、連日三十六、七度の猛暑である。先ずは藤が丘のA銀行に寄ってコンビニでは用の足せない振込みを二件してマナカの券をたっちして、地下鉄に乗る。
 松坂屋の南館の八階で「杉山寧」の絵画を観た。絵の判る私ではないけれど、名画は本当に上手くて目の保養になる。
 本館の中元売り場へ行く時、エレベーターで私と車椅子を押した夫婦と三人だけでその方はよくよく見知った顔なのに思い出せずに挨拶を交わしていると車椅子の奥さんに「名前が判らずに物を言ってるの?」と笑われた。別れてすぐ前に所属していた日進の市民教室の句友であったと思い出した。
 七階の売り場には思ったものが無くて地下一階へ下りて、出す相手の好まれそうなものを発注した。
 次は上前津で下りて本日本命の大須のワキタギャラリーの写真展である。二十回目で十一人展と言うのに、私達の俳句の先生の「大名古屋ビル」の六枚の写真が話題になって、始まる当日か前日のテレビで放送もされて、夕刊サロンからもスタッフが来たそうである。
 一年以上足しげく通っておびただしい数撮られた中の六枚であろう。解体されてしまったビルの写真を私も外の人とおなじようにじっと眺めた。
 屋上のビヤガーデンで家中行って仕入先の招待で飲んだことなどを懐かしく思い出した。時期は、ずれると思うが先年取り壊された青年の像の写真もあった。この辺りへは、今日のように 暑くて眠れぬ夜は近くに住んでいたので乳母車に子供二人を乗せてよく涼みに行ったものである。
 この写真の中で、壊されることになった大名古屋ビルをこちらから見ている人を配した写真がドラマチックで好きである。
 郷愁と言うと山や川など田舎ばかり思っていたが、こちらに嫁いでそれまでの四倍程も愛知県人でいると、おのずから郷愁も変わって来ていることに気がついた写真展であった。御盛況おめでとうございました。

   俳句 活きの良き回転寿司の鯖を引く

       幼なの日鯖街道の味噌煮かな

 

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水 琴  窟

2013-07-04 08:48:44 | Weblog

  句座の帰りにNさん宅へ水琴窟を見に先生と句友三人がついて行った。
門を入ると、広くは無い庭に石灯籠もあり、良く手入れされた庭木がぎっしり植えられてあって金木犀や柿、山椒などの間に紫陽花や薮じらみ、かいづか伊吹、しだは三種類くらいあって、とくさの横でどくだみが十字の白を咲かせて居る所にその水琴窟はあった。
 蹲に雨水が引いてあってその水が溢れると三つ並んだ水琴が地下で音を奏でるのである。
  梅雨の晴れ間なので柄杓で水を流し、穴に筒をあてがって金属性の澄んだ音色を聞いた。
  甕の底の真ん中に穴を開けて逆さまにし受け皿をセットして埋めるのであるが素焼きの甕が一番良い音を奏でるそうである。
埋めてない曰くのありそうな絵柄の壷のも二つあって、まさに水琴窟屋敷である。
 下から見上げると二階のバルコニーには写真を撮るときの仕掛けみたいなものが垣間見えた。現役時代NHKで音響効果に携わって来られたNさんのその延長の趣味の世界が拡がっているようで八十八歳生き甲斐でるんるんである。  

  氏の俳句  梅雨入りや音まんだらの水琴窟 
          白磁枕冷えたる曲の寝覚めかな
          俳諧の秋立ち昇る水琴窟 
          野分あり鳴りつかれたる水琴窟  
          八十八(やそはち)や水琴窟と初戯(そばえ) 
          雨安居おらが春だよ水琴窟 

 運転免許を返納されたので、車庫の跡にもまだ夢が広がりそうな予感がする。ビールも自分で造られるNさん、ちなみに岩崎城の水琴窟も彼が埋めて造られたとのことである。
   
     俳句  富士詣で白装束の孝若き

          山開き世界遺産の賑わへる

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