おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

九月末の記

2014-09-29 15:11:37 | Weblog

 九月二十四日、栄の国際ホテルであった保険会社のOB会がもう一日後なら、地下鉄の水入りに逢うところだった。
 竹中工務店の責任らしいが何時間も東山線を止めたりして、大都市名古屋も恥をかいたものである。
 OB会は一番会いたかったKさんが来てなかった。膵臓癌であったらしい。私より十歳くらい若くて、立命出の綺麗な営業成績もトップクラスの人であった。
 最初自転車の前に子供椅子をつけて通ってきていた。家も建てそのお子さん達が大きくなると教育は外国の学校へ出したりして真面目な人であった。
 そのやるせない気分をゲートボールで転換し、[逸の城」というとてつもない新人力士のせいで
連日面白くなってきている相撲をみていると、二十七日、長野県と岐阜県境の御嶽山が噴火をしたとNHKでは、相撲の実況放送を停止して、噴火の被害状況一辺倒になった。
 秋ともなれば山の愛好者は土曜日曜は列を成すほどであったろう。
 大体御嶽山は山岳信仰の山である。信仰なくしてエンジョイするためだけに登っては神の怒りに触れるのではなかろうか。
 昔父の登った頃は、信仰者でなくても、白装束でお払いを受けて登った。
 子供心に「六根清浄」と唱えて父の下山して来るのを家中で待ったものである。
 その二十七日町内の役員会があり、「一年生連れ去り事件」に見る防犯カメラの効用に町内でも設置することになり、箇所の略図を委任状に従って配ってきた。
 二十八日、栗を剥くのは骨が折れて難儀なのに後輩の青ちゃんが沢山くれたので栗御飯を炊いた。
 大根と油あげをたいて、ヘルシーな秋御飯が出来たところへ、娘と息子が来た。娘は似たようなものをしてるんだねと、おでんと海鮮のカルパッチョを持って来てくれた。
 お互い外食にも飽きたからと、それらで昼を済ませて、スギヤマへ化粧品を買いに乗せて行ってもらった。
 二十九日は医者巡り、その次三十日は、十一月初めの吟行会の下見に役員三人で行く約束である。
 人の亡くなるのは世の必定と、もう
免疫になろうとしている所、元社民党首あの土井たか子氏の訃報が報じられた。
 秋彼岸すぎて、事の多い九月尽であった。

   俳句  青紫蘇のハーブティにして終る

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 記 念 講 座

2014-09-21 19:38:10 | Weblog

 市制二〇周年とあって、日進市はこの年多種多彩なイベントを組んでいる。
 その内の一つ七大学連携学長記念講座に申し込んだ。
 先手必勝で、私が電話をした時には既に七つの内、空きが二つしかなかった。
 その一つが椙山女学園大学学長の森棟 公夫氏の「一メートルの決め方(地球の形、大きさ、メートル法)」の講義であった。
 おおまかに言うと地球の形は円形なのか楕円形なのかから始まってコロンブス、マゼラン、ニュートンとがそれぞれ違った学説を唱えそれによってメートルの長さが決まるのだとの事、
 ビーチボールを出して縦線、経線の計りかたを説明された。
 地球が円球であれば経線の長さも同じはずであるが大航海時代にマルコポーロやコロンブス、マゼラン等が地球を一周するも思はぬ島に到着して地球は円球ではないことを表明した。 いろいろな大陸を発見してそれを確認する。
 十八世紀半ばの結論としては
 一、地球は回転楕円体。
 二、子午線(北極と南極を通る面)は楕円。
 三、赤道は円。
 ということになったが、大きさはメートル法が、フランス革命で北極と赤道間を二万キロメートルと定められるまで、なかなか決まらず一八七九年に新たなメートルの原器を作成したが、現在では光の波長で定義している。
 地球の形は回転楕円形からは少しはずれている。
という講義であった。
 今月十二日に亡くなられた私達のエッセー教室の先生であった能戸清司氏はこう言うことを腹に納めての小説「マゼランの首」であったのであろうか?
 課題であったが、難しいからと批評を避けていた「マゼランの首」を追悼の意味でもう一度読み直してみようと思いながら帰宅した。

  俳句  曼珠沙華宅地化されて消えにけり

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十五夜お月さん

2014-09-11 11:36:04 | Weblog

 ゲートボールの大会後、周りの叢で萩と芒を手折って自転車の前籠に入れた。今日は十五夜、お月見である。その足で、郵便局に寄り、今朝訃報の入った同級生だったTちゃんに香典を送った。
 田舎の小学校から試験に受かって女学校へ行ったのは四人で、そのうちの一人の彼女は筆頭の気丈な子であった。
 四月生まれで兄さんや姉さんが居る彼女はことごとくに巾をきかせ、翌年の三月生まれで体の小さい私などは、相手にもされない存在であった。
 勿論一学期の級長は彼女で五月生まれのKちゃんが二学期、やっと三学期になるとTちゃんと名前が「ちわ子」と「ちか子」と一字しか違わないTちゃんか私が指名されるのであった。
 女学校一年生の夏に終戦になり、持ち上がりの高校生になった頃やっと落ち着いて勉強に身が入るようになっていた。
 彼女が弁論大会に出る時、それより以前に私が学芸会で狂言のシテをやったり文化部の委員をしていたりしたせいか、私の言うところの演出をことごとく素直に聞いてくれたりしたので、積年の私の劣等感は何だったのかと思ったりした。
 小学校、女学校、高校の同窓会では、いつも顔を合わせ、軽井沢の高原文庫を散策した折は多くの仲間が、有島武郎の自殺した後のカフエでコヒーを御馳走になった。
 嫁ぎ先では、地域の婦人会長もやり世話好きな人であった。
 去年の年賀状には「シングル一番の先輩者が物申す。三月頃の暖かい日和になりましたら名古屋駅周辺で四人集合して(Kちゃん)の慰め会やりませんか?乞う意見」とあったが、 かんじんのKちゃんの足が悪くてそのままになってしまい、今年の年賀状はノーマルでそれには触れてなかった。
 その後、電話で話しをした時はいつになく長く話して今思えば気が弱くなって居られたのかと思う。
 息子さんがお医者でも癌の早期発見とはいかなかったらしい。
 私は、物でも探すように町内中をほっつき歩いて十五夜の月があがって来るのを待ちかねた。やがて大きな輝く月を見たとき、開口一番彼女が逝ったことを話し冥福を祈った。


     俳句  名月よ竹馬の友は今朝逝きぬ

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句集「異空間」にちなんで

2014-09-04 09:04:04 | Weblog

 私は今、句会二ヶ処とエッセー教室とゲートボール部の四つに所属している。句集の百冊が出来上がって来たので先ずは図書館の市民コーナーへ一冊納めさせてもらって来た。
 次に「よろしかったら読んでください」と所属している句会の会員の方に配った。ゲートボールでは迷惑になるといけないので、関心のある人にのみ差し上げた。
 そうしたら、そういうのが不文律の礼儀なのか先生方からは、毛筆の丁寧な祝辞が郵送されてきた。
 親しい方からは、お祝いと言ってビール、キャッシュ、図書券、色紙や短冊、ブックカバーなどが、予期せず送られて来たりして、嬉しい悲鳴をあげた。
 そうこうしている内に数が少なくなったので、親族やメル友に少々配り、同窓会で親交のある、同好の氏にと、最も親しい方に伺いを立てると、この一年間に、一人は亡くなり一人は大病で入院中で、見舞いに行っても、こちらを認識できず、奥様も入院中とのことである。
 若いころはそれぞれ、手紙を頂いたりした人だけに、思わぬショックを受けた。  女性の二人には、断りなくいきなり送ったら、ご自分の環境のことやら、体のことでそれどころではない様子である。
 これら同窓生の様子から、改めて自分の年齢と身の程を知ることとなった。
 後は十月に開かれるかっての職場のOB会二つに一・
二冊持参すれば、恥かしながら、めでたし、めでたしの完配である。
 今更ながら去年の流行語「今でしょ」の言葉を噛締めている。

   俳句 藻刈舟湖面の皮を剥いで行く

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