おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

  年 賀 状

2012-12-31 23:02:03 | Weblog

 二〇一三年明けましておめでとう御座います。
初めて紅白歌合戦を通しで見ました。総力大結集の歌の祭典ですね。歌手の方々の一生懸命さがひしひしと伝わりました。
 終わって除夜の鐘の音の余韻が響いてきます。間もなく初日の出が見られることでしょう。
 今年もよろしくお願いいたします。

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 ミ ス テ リ ー 旅 行

2012-12-26 13:54:07 | Weblog

  恒例のミステリー日帰りツアーに一番年下の孫娘と参加した。
集合場所の星が丘で「ここから見ると東山タワーが近くて低くみえるわ」といいながら、カメラを向けるとギブアップ「電池容量が無くなりました」と標示された。やれやれ!
 孫は大学生の女の子にしては、法外な値段のカメラを買って貰って、持ってきてご満悦である。
 名古屋インターを入ると今年は東名高速を走るので、ラッキー!途中サービスエリアで休憩して先ずは旧東海道の金谷宿の急な石畳の峠の散策である。
 ここで初めて日程表が配られた。私には、大変な難所なので、芭蕉句碑のところで、待つ事にした。
 次は石原マリンステーションで昼食、にぎり寿司を中心にした海鮮バイキングだったので、何度もハンターし、カルパッチョや蟹の味噌汁が美味しかった。
 次に訪れたのは静岡浅間大社で、今年一年のお礼参りである。
 この地方最大の神社で神部神社は第三代崇神天皇の御代に駿河の国視の大神として鎮座された。
 浅間神社は醍醐天皇の勅令により富士山本宮より分祀された。
 大齢御祖神社は応神天皇の時「安部の市」の守護神として創祀され静岡の地主神である。
 この三社の他にまだ四つほどの神社が鎮座されて居り孫は今丁度歴史で習っているとか言って、あらたかな偉容をカメラにぱかぱか納めていた。
 バスは見渡す限りの茶畑の牧野が原を通って途中土産物屋や駿府工芸館へ寄り最後の観光、ヤマハリゾート嬬恋の幻想的なイルミネーションを見せてくれた。
 そこの滞在が長かったので、二人でレストランで軽食をしてバスに乗り込んだ。
 ミステリー旅行はしばらくの時間行き先を明かさないが行った事の無い所へ行けた今年は大当たりであった。
 年の瀬さながらのお土産も付き、その上お抹茶やら安倍川餅やら酒かすやらも買い込んで、藤が丘からはタクシーで帰った。
 お正月に写真を見せてくれるのが楽しみである。

   俳句  庚申堂昔も今も山眠る

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  日 進 市 の 今 昔

2012-12-18 10:59:01 | Weblog

    日進市の今昔                       


岩崎に住みながらこの街の歴史に疎い私は先ずパソコンで日進市の市史を検索した.

 「名古屋市東部に位置する広陵地帯で人口九千人くらいのぱっとしない静かな町であった」と私達がこの町へ越してきた昭和四十三年頃のことが書かれていた。

面白くなってそれ以前の成り立ちはと調べると、千八百八十年頃は浅田村、梅森村、折戸村、蟹甲新田村、香具山村、岩崎村、北新田村、岩藤新田村、米野木村、三本木村、藤島村、本郷村、藤枝村、白山村、と名乗っていたとある。 村の字をはずせば今私が会員をしているゲートボールのチーム名其の侭である。

一説には日清、日露戦争に於ける巡洋艦「日進」の活躍に因んで「日進村」とつけられたと言う説もある。

 ローマ字表記ではHのない右から読んでも左から読んでも「nissin」となっていて、マンホールの蓋は南部では市の花の「あじさい」が北部では山城がデザインされている。九千人の町が九万人にふくれあがった過程を書くのは至難の業なので総括は又の折にして生前、夫が町内会長をしていた時に配っていた重厚な「岩崎誌」を紐解くことにした。

 この街の代表的な岩崎城の正確な築城年代は不明で織田信秀(信長の父)の支城であったと言われ、長久手の戦いの前哨戦において、岩崎城の城主丹羽勘助氏、次弟の氏重以下約三百名は羽柴秀吉側の池田信輝軍六千の攻撃により全員が討死したと伝えられる。

 落城した後は三百年以上も整備されることなく、丘や薮になっていた。怨霊が泣くと言って余り近隣の人が踏み込まないのにそうとは知らず、近くに住んでいた私達は散歩がてら、この「つわものどもの夢の跡」の枝を掻きわけ歩いたことがある。

 現在の五重構造の模擬天守閣は千九百八十七年(昭和六十一年)に築城され周囲を「岩崎城址公園」として整備された。

 その北に御嶽山という低い山並みがあり、岩崎御嶽山と呼ばれ木曽の御嶽山から分霊した信仰の山で、山の中心には御嶽神社があり江戸時代からの神霊碑がたくさん建立されている。修験者の格好をした人と良くバスで乗り合わせたものである。

 昔の名残で神社や寺は十二ほどを数えるが、妙仙寺の保育園の園長(今は閉園)さんは遠く私の母の里、岐阜県の昭和村近くの寺の尼さんだった人で、私より十歳くらい年下の従妹と一緒に学校へ通ったり遊んでいたりしていた方であったので、驚くと同時に懐かしかった。
 産業は戦時中亜炭坑がいくつもあって掘削や運搬に従事する者も多かったが現在は衰退した。

 今は大学が幾つもあり文教地区となっているが、岩崎誌には民話や方言も収録されていて、得がたい史誌である。編纂、執筆委員であった牧 弘氏も亡くなって久しい。                  

    俳句  眼鏡して逢左風土記を冬篭り 
         「 早春賦」小さく歌ひて冬籠り

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 初  雪

2012-12-11 10:10:49 | Weblog

 師走十一日の朝は雨戸を繰って吃驚、予期せぬ初雪が、庭の木一面に積もっていた。
 これは今日のゲートボールの定期大会は休み、休みとばかり、キャプテンに電話で確かめようとしたが、昨日の句会で携帯電話を忘れてきてしまったのである。
 困った事に彼女は最近本体の電話を取り止めて携帯電話一本の人である。
 平日の練習日は一〇時開始であるが、今日は八時と朝早いので、車で迎えに来てくれる筈になっていた。
 連絡出来る何かのよすがが無いかと、毎月配ってくれる印刷物を見ても電話番号が入っていない。これでは念願の増員も出来ないよと、手帳を繰っていると、新規登録する時に聞いたであろうナンバーが記入してあった。
 かけてみると「あるんですってよ」とのことで、慌てた。
 皆もまさかと思ったと言いながら、選手宣誓があり始まってみると、雪が降ったり止んだりで「粉雪は積もるけどぼた雪は積もらないのよねー」と一二月の開戦記念日を身を以って知っている平均年齢七十歳以上の男女のメンバーは健闘している。
 私達岩崎チームは赤池に勝って三本木に大差で負けた。未だ戦っている人達を待っている間女性群は、ストーブを專用して話しに花を咲かせていた。
 ここいらでエッセーの宿題の「日進の今昔」の昔のことを知ろうとしたが、TさんとSさんは生え抜きの此の地の人であるが
、「山と薮ばっかりだったよ」と言うこと以外には余り話が聞けなかった。
 無事に大会が終わって後かたずけをしてから、キャプテンに交流館へ走ってもらってそこで二人で昼食をした。
 保管していてくれていた携帯電話をもらう時「一日一つづつ問題を起こしています。一昨日はお風呂を一時間焚きました。昨日は携帯を忘れました。今日はこれストーブに近寄りすぎてダウンの半コートの前を焼きました」と言って職員を笑わせた。
 笑わせたおまけに昨日エイデンで買った万歩計の取り付け方と見方を小さな字の取り説を見るのが苦手だからと言って教えてもらった。
 家に帰ってパソコンを開けると知人のSさんから
  〇初雪や俳句談義の長長と
とメールが入っていた。私の知人同士が久しぶりにアピタでぱったり遭ったとのことである。昼過ぎには雪は降らなかった。

   俳句 恒例の道路工事や初氷    

       社より手廂でみる郷の雪


 


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 今年の紅葉狩り

2012-12-02 11:42:52 | Weblog

 星が丘三越のライオン像の前で当日10時半に「もめん文集」のメンバー13名中、5人が1年振りで顔を合わせた。
 30年来付き合っている内、羽抜け鳥ならぬ夫を亡くしたりした寡婦の4人と主催(御主人持ち)とである。
 このような声掛けが嬉しい4人は、私以外は文章力のすぐれた人達で気心の知れた仲間である。
 東山植物園の入場料が私とMさん以外は名古屋市の恩典で200円とお安い。そぞろ歩く程に観る程に紅葉が真っ盛りでぎんなん等の黄葉も陽に照り輝いてそのコントラストが何とも言えなくきれいである。
 空気が澄んでいて池に写る逆さ紅葉の景も情緒たっぷりである。
入り口で呉れた紅葉狩りのチラシには、写真募集のイベントが記載されていたせいか多くのマニアが至る所でカメラを向けたり翳したりしている。
 私も水車小屋と、実りの稲と紅葉を被写体にしようとしていたら後ろから両肩を、むんずとつかまれ移動させられて「此の位置からこうしてカメラを向けるの」と知らないおじさんが教えてくれたりして、也有園の前の池を右廻りに歩く友達等と左回りに歩いている私と一刻はぐれそうになったりした。
 カメラ好きではない私が結局は今の時節柄3台もあるので、ここいらで本格的に覚えようとカシオの小さいのを持ってきてあれだけシャッターを切ったのに写っているのは11枚きりであった。
 特に肝心の風景が撮れていない。俳句を詠むにはカメラを携えては駄目と言われるが、句も詠めず写真も満足に撮れず臍を噛む結果となったが、そんなにあれもこれも欲張ってはいけない。
 タワーのレストランでの食事時には友達同士、入れ歯のことやら耳が聴こえない話で盛り上がって楽しかったのだから。
 腰の痛いSさんを気遣って動物はお面のような顔とお尻のマントヒヒだけを見て陽短かな秋の日を後にして、来年の新年会の約束をして別れてきた。
 84歳、一番齢上のМさんは無事に西尾市に帰り着けただろうか。
  
   俳句  折り節の営み終へて照紅葉 

        人影と落ち葉の舞ひが撮れて居り

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