娘が松坂屋へ洋服を買いに行くと言うので、便乗して行って、新聞店がくれた招待券の「宝塚歌劇100年展」を観てきた。
宝塚と言えば戦前戦後、子女のあこがれの華やかなレビューの世界であった。
私の周りでも同級生の一人が女学校三年の頃試験を受けると言う噂が広まった。汽車通学で地方の有名な呉服屋の子で、美白で容姿端麗、背もあるし男型にでもしたら、うってつけのような人であった。
その呉服屋は近在の、例えば母達四人の花嫁衣裳は全部そこで調達すると言うような老舗であった。
その後受かったとも、落ちたとも聞かなかったから、これも夢の一つに過ぎなかったのかも知れない。
会場を見渡すと、100年からの広告が所狭しと隙間無く貼り巡らせてある。 その狭間に写真とか、説明が掲げられていて、衣装の展示は少なかったが、越野じゅんこのデザインしたものも何点かあり、一世代前の肩の張ったボックス型で最近のは撫で型ある。
私の知った顔では、小夜福子、春日野八千代、八千草薫などがあった。
ちなみに宝塚といえば「すみれのはな」が象徴的な歌で確かその中に「清く、正しく、○○○」とあるのを「私達の校歌は真似して、もじってあるのよ」などと言いながら「清く、雄雄しく、つつましく」の箇所をそのことを意識しながら大きく歌ったものである。
私はあまり関心が無かったので、今回説明を読んで初めて知ったのであるが、小林一三という人が、最初温泉を造ったらあまり流行らなかったので、その敷地いっぱいを劇場にしたのだそうな。
それが当たって有名になり、私達が旅行に行っても宝塚一帯は高級住宅だと眺め東京の成城並みの感覚で居た。
100年の時代を感じるとともに母達姉妹の頃から輝きつづけて来て、今尚「ベルサイユのばら、オスカルとアンドレ編」などとタカラジェンヌの輝きで興行をうっているのは立派なものである。
歌舞伎にしても、落語にしても現代では趣味が多様化して来たからフアンを取り込んで行くのは、むずかしいものがあるであろう。
宝塚も、さわりだけでもテレビで放映してくれると良いのにと思ったりした。
洋服の入った紙袋を二つ三つ提げた娘と携帯電話をして落ち合い会場の前の松栄堂でお茶をしてゆっくり帰った。
俳句 しだれ梅戸の趣のそれぞれに
春風に姉妹で語る母のこと
さまざまな花を活け来て弥生尽