おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

幼 友 達

2022-01-20 18:32:17 | Weblog
<trong>夜眠れないと思索の回路はおのずと幼い頃のことに及ぶ。
 八十八にもなると歳の横と上の友達が随分と亡くなり連絡も取れなくなっていく。
 幼稚園から高校を卒業するまで十三年間もいつしょだった豊ちゃんの連絡が取れない。昭和
 三十一年娘の結婚の仲人を頼みに彼の上司のところへ、お母さまの運転ででかけた。
 終わって帰途につく車に乗ろうとすると豊ちゃんが向かいの畑の中に居るではないか。年賀状や電話の途切れることはなかったが、こんなに身近に住んでいたのかと、運転免許のない二人は唖然とした。孫が生まれて熱田さんへ、お参りに行ったあと、仲人さんに報告に行くとこの前と同じようにその家の近くの道に彼女がいた。同窓会ではよく会ったが彼女は結婚後自動車事故に会い杖やカートをいつも携えて居た。豊田市の松坂屋で会って二人で食事をしたりした。やがてご主人が定年退職をすると、家を建て直し、何年もしない内に主人を亡くした。
 それからである。突然連絡がとれなくなったのは。家の電話も携帯電話もいつかけても鳴りっぱなしである。娘が「見に行くかね」と言ってくれたその日に携帯がつながった。脳梗塞で娘の近くの高齢者施設に入所しているという。
 思えば私が保険のセールスで会社勤めを始める時一番に加入を薦めると「今は余裕がないから」と私も知っている姉さんの設計事務所を紹介してくれて、岐阜迄行って最初の成績になり
会社に定着でき十六年間も定年まで勤めることの機根ができたりおろそかにしてはならない。
 幼稚園の時鶏の足を五本書いて笑われたり小学校の通学途上では「おしゃべり娘おしになれ」とはやされたりの仲であった。反対に女学校の時などは通学するのに毎朝誘いに来て、それを見ているお向かいさんが気の毒がるほど待たせたりした。「何で今更新築したの」東大出の息子さんはマンション暮らしだし奈良女子大をだしてお医者に嫁がせた娘さんは遠いしで、誰も住んではいない。「物がいっぱいで売ることもできない」と言って笑って話すが、ここで又仕切り直しで長寿社会を励ましあって生きていきましょうよ。
俳句  歳古れば口に合ひけり薺粥






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お正月

2022-01-02 14:41:29 | Weblog
寒いけれど天気が良くて良いお正月ですね。今年もよろしくお願いいたします。
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