おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

 日 々 是  好 日

2010-11-25 18:48:20 | Weblog

 尖閣島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきた事で国会論争が毎日毎日同じ事ばかり議論していて、うんざりしていたらこれは又大変、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃し韓国も、それに対して応戦したのである。
 国会の他党の揚げ足取りと言い北朝鮮の計り知れない恐さと言い、家で一人でテレビを見ていると心臓に悪いからここは一番、リラックスをすることにした。
 長久手のNバスで一度乗り換えはあるものの百円の料金で、「ござらっせ」温泉に着く。
予約して置いた美容室で髪のカットと顔のマッサージをしてもらう。
 それが済むとジャグジーにあたって手足をほぐし風邪は冷たかったが外湯の源泉かけ流し湯にもつかった。
 しばらくしてから「あぐりん村」と言う地場の食品販売所で明日の句会であげたい人に土産の「古戦場最中」を買った。
 昼過ぎに家を出て四時には帰宅のお一人様最短コースである。 こざっぱりして翌日は句会。案の定Kさんは花梨を六個ご自分で作ったぶどう酒とともに持ってきてくれていた。
 前に「石火光中」と言う同人のエッセー集を差しあげたМさんはチョコレートと葉書を、Sさんはビール券を、中国旅行に誘ってくれたTさんからは、その折の写真と文化協会の冊子をもらった。
 それには日中友好の際の日進踊りの私の横顔も写っていた。
 肝心のその日の句会は検討句「炎天下」と「昼寝」と「花火」であったが花火に点が入らなかったので三十一人中七位であった。
 「花火」は今までに何句も詠んでいるので当たり前のでは物足りなくて孫をつれてデズ二ーランドへ行った折り、ヒルトンホテルから見た花火が窓いっぱいに近くて、
幼かった孫二人はよろこんでベットでのタンプリンを止めなかった。
 それを「昂ぶりてホテルの窓の大花火」とつくった。昂ぶりてが独りよがりで人には判らなかったらしい。
 いっそ「孫嬉々とデズニ-
ランド大花火」としたほうが良かったかも。
 帰りはOさんが車で送ってくれると言うのでKさんと三人で喫茶店でくつろいだ。
 疲れた疲れたと言う二人を前にシホンケーキにクリームをのばしながら、好きなことをしていると十時から三時までの拘束くらい私はちっとも疲れては居ないなあと思っていた。
  

   俳句  朝顔のいつまでも咲く外来種 
       プリウスの赤き点景大夏野

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文化の日

2010-11-18 08:18:26 | Weblog

 十一月三日文化の日、芭蕉を称える俳句祭第六回が(中日新聞社後援)中区の久屋大通公園の芭蕉句碑前であった。
 発起人は俳句協会「笹」をひきいる伊藤敬子氏である。
 芭蕉が名古屋の俳人と交流し俳諧の芸術性を高め蕉風の確立をしたのがテレビ塔の付近であったとそれを記念して、碑にお参りをしてその年によってソプラノやらフルートやら能など一寸した芸事が捧げられる。
 そのセレモニーが終わると愛知県芸術文化センター十二階のアートスペースに会場が移り顕彰句会が始まる。
 
A氏の会長挨拶にはじまり、ある年は作家の嵐山光三郎日本芸術院会員の竹西寛子今年は神戸大学教授の掘信夫氏などの専門的な講演がありこれが結構面白い。
 事前投句や当日句の選が青柳志解樹、茨木和生、宮坂静生、小沢実、栗田やすし、古田紀一、星野高士、島村生、岡崎光魚、石井いさお、清水青風などの選者でなされる。
 その間壇上では主催の伊藤敬子氏による連句会がはじまり、発句元東大教授・文部大臣有馬朗人氏「町あれば高き塔あり鳥わたる」(この日は文化勲章の親授式で、事前参加)大島宏彦、馬場駿吉、大野浩士の四人で三十六句の連句が巻かれた。
ユーモアあり、意味深あり、風刺ありで興味が尽きない。
 
私は万博会場で行われた時ふっと見学してから興味を持ち参加するようになった。芭蕉顕彰句会にはこれで四回めである。
 最初の時「木枯らしや本町筋に長者町」が佳作に入選したばかりに、毎年風雅な遊びに出席させてもらっているが、それ以降は箸にも棒にもかからない。
 従って「笹」の会員にはならずに、日進市の田舎で細々と二、三、の句会に名を連ねながら一日一句を心がけているに過ぎない。
 いつかどこかの同人になりたいが今回選者に列席されたなかに生まれ故郷の岐阜県の方が居られた。さてどんな方であろうか。
  
  俳句 門球の秋季優勝飛機高し     
     寂び寂びと刈田果てなし日の暮るる

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ミステリーツアー

2010-11-08 17:22:58 | Weblog

 めったに電話をしたことのない一番年齢の若い孫に電話をかけた。
 「駄目もとで聞くけど十月三十日私とミステリー旅行に行かな
 い?」
 「三十日なら良いよ」
 「本当嬉しいわ、だったらその気でいるよ」
 「うん」
 「温かくしてらっしゃいよ、お母さんが帰ったらよろしくね」
 当日は台風が通過すると言うので雨になった。値段の安いのと松茸御飯食べ放題クルージングなどのキャッチフレーズがきいたのか集合場所には大型バスが三台とまっていた。
 心配していたように少年を連れた婆さんの一組を見つけただけで、初老の男女ばかりで若い人は居ない。
 添乗員が
 「さあ今日は西か東かどちらえ行くのでしょうかねー」
 と良いながらバスは高速道路に入ってそのどちらの期待も裏切って中央道に入った。
 ええっそれはご免だわ今年中央道で行く旅行は四回目と思っていると、横の孫が
 「眠ったらごめんね」
と言う。大学受験の彼女はせいぜい愛知県の内だと思ったらしい。
 「私昼夜逆転していて夕べ眠ってないの」
 その上車酔いが始まったと言うので恵那峡サービスエリアで休憩した時酔い止めの薬を聞いたが売ってないとのこと、せめて梅でもふくませようとしたが、紀州のくしゃくしゃのは無くて、かりかりのビニール入りを買って、食べたのは私だけであった。
 昼食は飯田野沢菜センターの二階で信州蕎麦の桶の横にたらの芽、ひめ竹、わかさぎのてんぷらがどっさり出ていた。こんにゃくのさしみ、ひりょうずと野菜の煮付け、味噌汁、松茸の炊き込みご飯がテーブルいっぱいに並んでいた。
 差し向かいで一セットらしく両サイドは男女ともおかわり、お変わりと野沢菜の漬物に至るも盛んであった。
 私と孫の前だけが、最後まで減らないのでスタッフの若い男性に事情を話すと、孫の顔を見た男性は探がしたらあったと酔い覚ましの薬を一錠持ってきてくれた。
 次は蓼科高原へ紅葉狩りであった。九十九折がこたえたようなので、展望台えは歩かなかった。
 次は諏訪湖のクルージング、白鳥汽船でマイクから聞こえるガイドの説明を聴きながら一周する。
 雨はやんできたけれど、晴天ならばどんなに水が美しかろうと残念であった。
 それまで休憩をしてバスに戻る度に野菜一キロとか車内のおやつにとお菓子の詰め合わせなど何の説明もなく、座席にどさっと置かれていたりした。下諏訪の食祭館では団子とアイスクリームを、食べ歩きマップと交換してくれた。ベンチにかけて薬がきいて来たらしい彼女に好きな野沢菜のおやきを二個かって渡した。
 土産物がよく売れていて孫も紅色の紙袋に家族へのお菓子を二箱買っていた。その紅色が 白い毛糸のワンピースに焦げ茶のコートにかるがもらしいショルダーと良くマッチしていた。
 秋の日は短く八時過ぎに帰り着いて別れる時、
 「凄く楽しかったわ、又こんな機会があったら、一緒したい    わ」
 「こんどはおフランスよ」
 などと冗談を言いながら雨降りだったのと彼女の車酔いに気をとられていてツーショットの写真を一枚も撮らなかったことをかえすがえすも悔やんでいる。
  
    俳句  秋りんや遊覧船で見る湖岸 
        蓼科の九十九に折れて紅葉映ゆ

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秋 それぞれの文化

2010-11-02 14:35:08 | Weblog

十月二十七日「寿」句会恒例の吟行会は旧小原村へ杉田久女の句碑を訪ねる筈であった。
 ところが此処二、三年市は大型のバスを手配してくれるようになって、そのバスで登って行くと回転するところが無いと言う理由でカットになり、「和紙のふるさと」展示館と工芸館のみになってしまった。
 当日はこの冬初めての寒さで、暑かった夏のなごりで秋装束で行った私は大層寒いめをした。
 バスを降りて工芸館へ行く道野辺には楮や三椏の木が植わっていて稲畑汀子の句「さざんが九」などと口ずさむ人が居た。私は葉を二、三枚摘んで押し花にと手帳にはさんだ。
 和紙工房では職員の指導で希望者が紙漉きをした。親族で五十代の時に来た時は「道」と言う字を漉いたが今回は紅葉をあしらって色紙をつくった。
 お昼に今年は採れ年だからと松茸そばを頼んだがいっこうに匂わなかった。五平餅が美味しかったらしい。
 展示館では藤井達吉とその流れの人の美術和紙工芸品を見て周った。
 前には山内一生さんのものが主流で上の句は忘れたが「山内一生和紙の里」などと詠んだ覚えである。
 二十年近くも経ると次の時代の人の展示になっている。会館そのものも、県から豊田市の管理に変わったと館長さんがおっしゃっていた。
 和紙の封筒やら四季桜を練りこんだ羊羹を土産に買って三時には帰宅していた。
 
十月二十八日は茶屋が坂で妹の車に便乗して名古屋市撞木町の文化の道の二葉館へ行った。旧川上貞奴邸で、もとは確か犬山にあった桃介邸と合併したと記憶している。
 名古屋の文人の年表や著作が展示されていた。
「歩こう文化の道」とうたわれていたが雨降りでもあるし、私達のメインは主税町の掘美術館で開かれている実家のお向かいだった道ちゃん等、三人が出している絵画展なのであった。
 三人とも友達の妹は自分も絵をたしなむのでほうほうと何号なのか大きな前衛絵画を写真に撮っていた。一人は現職の市長らしい。
 此処まで来たのだからと鰻の西本で遅い昼食をして、栄で降ろしてもらって、COP10生物多様性俳句の入賞者のポスターを見にオアシスへ寄った。
 俳句と英訳と写真のポスターが展示されており冊子も入手することが出来た。
 入賞された先生の句も良い句であった。あちらもこちらも芸術花盛りの秋である。
  

   俳句 松籟の小原の里に紙を漉く     
     
 冬桜久女の墓をみつけ得ず      
           ノラ越ゆる今の女性や久女の忌

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