本家の私より二歳年下の義妹がなくなった。
私たち夫婦が独立して出てしまった後、子供の無い兄の後を第一番頭さんと結婚して子供や、孫の代までも問屋の暖簾を一生守ってくれた。私たちには平身低頭の人であった。
従ってお葬式もそれ相応に立派にされ残った夫の会長が痛ましい
脳内出血で隣に住んでいる娘が、朝早くお起しにきたら廊下に倒れて、事切れていたという。入院していた夫が退院してくるはずの日であったとか。
私達も娘と息子と通夜にかけつけた。豊明のティアで告別式は翌日十時半であった。義妹の四人姉妹はこの一年近くの間にばたばたと三人が鬼籍に入られ、一人残った九十一歳の山口町の義姉が葬式の最中にこみあげる涙の嗚咽が声になって咳き上げ身体のふるえが止まらなくなって、筋がつり、列席していた甥たちが車椅子に掛けさせた。
祭壇を飾っている本人の写真はおそらく一番良い顔をしている最近の笑顔であろう。焼き場はいつも慣れている八事ではなくて会社と住まいのある刈谷であった。
親戚はこんな時がコミニケーションの場だとばかり骨拾い迄の間をおしゃべりをして待っていた。。
私も支店であった頃、毎日車で配達に来ていた面影は二十歳のままで歳をとった二人の男性に会い今更ながら年月の流れを想った。
今度は私か山口町だなあと「行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にはあらず」と感慨深く会場を飾った花束を抱いて帰宅の途についた。
俳句 嗚咽漏る義妹の葬の卯月かな