おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

ソウル

2007-04-30 18:31:38 | Weblog

  去年、沖縄へ一諸に行った山茶花と、今年はソウルに来ている。

 もっと大勢のツアーかと思ったが二人きりである。それならそれでオプションツア-

にすれば良かったのに   一応パンフにある、昌徳宮へ行った。其処は、王家の宮居

で、映画「チャングムの誓い」を見ていた私は、庭花宮や、小鳥の巣にも、感激した。 

宗廟は、李氏歴代の王と妃の位牌が、祭られているとのことでシンプルであった。

 1、411年に建てられたと言う錦川橋をわたると仁政殿があり、此処でも戦争中日

本は格下げのために屋根の模様を変えたんだとか。


  過去の事では、わが国は謝らなければならないことが多すぎる。

 処で、今回の旅は冒頭の鬼百合の苑で書いた菫が,亡くなったので,鎮魂のつもりで

来たと言うのに、山茶花は、食べ物が合わなくて、三日間殆ど何も、口にせずホテル

で頼んだらと言いおいて、ガイドの案内で出掛たエステのせいで私は、風邪をひいて

しまうし、とんだ年寄りの冷や水であった。

 三羽烏であった菫が、やっかんでいるのかもしれない。

 俳句 

 * 春の日や仁川に下りちんぷんかん 

 * チャングムの映画の宮居李咲く    

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山菜採り

2007-04-26 16:59:19 | Weblog

 

 弟妹やら母など、六人で山菜採りに出かけた。前の晩は、

男性もお酒を控えて
早く休んだ。

 道路が混まないうちにと、
出発したのに、ゴールデンウ

イークのせ
いで、北陸自動車道も渋滞しているのが見える。

 ワゴン車を運転している
妹の主人は、急きょ西へ西へと

走って薄墨桜
の、根尾から157号線へ入った。

 山また山と、これでも国道なのと言う細い道を、ひた

走った。 左は山の法面だけど右を見ると、ひやとす

る深い谷底で、故障したらjafも来てくれないよと言

っているうち独活や、蕗の薹が見え始め、車を止めては

ったりした。

 標高千メートル位になると残雪が五メートル程の

い壁になっていたりして、ぶなの木立も新芽さへ出

はいない。

 雪解け水が道にあふれていたりする。萌黄色の蕗の

薹を、こも被りだなどと言って採り、さっきのはなん

だったのでしょうねとひねこびたのを捨てたりした。

 雪山を過ぎると広場があり、やっとお昼のシート

をMさんが、敷いてくれた。

 そこが本命の山菜採りの場所であった。蕗の薹、

赤い掌のサイズの独活、わさび、つくし、クレソン、

こごめ、一時間休憩する間にそれぞれが、思うぞん

んの収穫でクレソンに至っては、黒のポリエチレ

ンの大袋に満杯であった。

 九頭竜ダムに沿って、一時間も走ると座禅草が、

ぽこぽこ見られるようになって、心細がって居た母

が、やっと人里近くなったねと言った。

 平成の湯へ出てその日始めてのコーヒーを飲んだ

のは三時であった。

 都会っ子の主人が食べて嫌いな蕗の薹を、夢中

採っていたのがうれしかった福井の温見峠の旅であった。

 俳句 

   * 雪囲いとりて分水嶺の里

   * 九頭竜や雪しろの水かき集め

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熟年

2007-04-24 22:42:48 | Weblog

 

 世間で熟年という言葉が、言われ出した十二三年程前のことである。

 会社の旅行で、恵那峡ランドへ行った。

 乗り物に乗って遊ぶことになり、観覧車,海賊船、遠芯車、ジェットコースター。 私と気が合ってジェットコースターに、乗ったOさんは、  

「私は未だ死ねない。未だ死ねない」

と握り棒を固く握り締めて、キャーキャー悲鳴をあげている


 [何よ、乗ろう乗ろうって誘ったくせに目をつむったままで。私ちゃんと明けてるよ。いつ死んでいいもの、特攻隊員はかくありしかってね」 

かぶっているスカーフを顎の下で結び直した。

  
「守るも攻めるも、くろがねの!」
  
「いやだあ、そんなの!私三十年生まれだもん」
  

「私の娘と、あんまり変わらないのね.あの子の小さい時、動物園で乗ったけど怖かったわあ、デズニーランドの時も、息子が大学生だったからまだ怖かった。今何もくない の、壮絶!爽快!」
 
大声で早
口に言ってるのだど声が風で後ろにとんで行く。

 巣作り症候群は、私達の年代までくらいで、今は熟年離婚、離婚予備軍などといわれるようになった。

 風の便りに、Oさんの息子さんが結婚されたと聞いた。
肩の荷を下ろされたことであろう。

 俳句

  * たんぽぽや白きラシャ靴歩みそむ

  * たんぽぽを繋ぐながさや母待つ子

 

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集団就職

2007-04-18 11:29:13 | Weblog

 「上野は俺らの心の駅」だと歌った井沢八郎が逝って、

この国の高度成長 期を担った団塊世代の時代が、終わっ

たと言われる。  

  もちょっと前、戦後の糸偏景気を支 えた女工さん達も、

やはり集団就職で あった。

 朝食のベルが鳴ると、大勢が一斉に 広い廊下をどど

どっと、不気味な緊張の音を立てて走るのである。

 御飯を掻きこみ、アルミの食器を、か らからと洗う

と人より少しでも早く 工場に入り何台もの機械に湯の

の繭 の糸の先をつけて周る。  個人の成績に一点

価を掛けて能率 給がはじかれる。私は、厚生課で、

400百人程の給料計算をしていた。 

 絹糸がすたれ工場が閉鎖になってか ら、同期会を

五十回も重ね、それも解 散となると今度は出生地に

って結婚 した人達が松本や諏訪で、有志の会を

 開いて、全国発信するようになった。

 宴会の始、諏訪大社の、おんばしら の木遣りを

いはっぴを着た二人が来て、 実に良い喉を聞かせて

くれた。  

 「十二歳や十五でねー募集人さんに 連れられて県

外までも行っただよねー」

 青春時代の話が、往時の雑魚寝の部 屋さながらに

夜明けまでも続く。

 翌朝 シャトルバスから見える諏訪湖は凪 いで、

あひる汽船が浮かんでいる。万 だの桜も静謐だ。

 会社発祥の地ではなかったか、立ち 湯の前を

った。  何故立ち湯なのか詮索しなくて良い福

利 厚生が整い出した時代に働いた平均年齢七 十

歳のお別れは「来年迄死なないでね ー」であった。

 俳句

    * ふるさとは桃源郷よ麦青む

    * アルプスに抱かるる里鯉幟

        *  ああ上野駅聞く掌の中に寒卵

    * この辺り女工哀史や葛の花

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さくら 2 [ 花行脚 ]

2007-04-11 08:30:08 | Weblog

 4月4日俳句の仲間4人で、豊臣秀吉と徳川家康が戦った長久手の古戦場の桜を観た。
 駅から眺めると淡い色の里山が、桜でおおわれて、遠景の風情が誠に良い。
 武勇者の塚のあたりを胡蝶が舞っていた。
資料館で鎧や兜を見ていると外が一転俄かに掻き曇ってぱらぱらと雹が降った。
 季節はずれの通り雨をやり過ごし、七人の武将の家紋が、アブストラクトに建つている側の瀟洒なレストランでランチをした。

 4月五日 愛知学院大学の構内の桜を、一人で散策した。毎年この季節に一般公開される。満開の二千本からの桜はみごとなもので、あれも良いこれも素敵と人の立ち姿を撮るように、カメラにおさめた。若木はういういしく古木は枝や幹が、絵に描く墨のように黒くて、たわわな花の群れも厚くて貫録である。

 キャンバスの食堂の前には、いくつものベンチごとに灰皿がしつらえてあって嫌煙の時代に、これはこれはと感激した。

「入学おめでとう」の垂れ幕が、輝かしく新しいスーツの学生が三三五五あるいているのも、穢れが無い。

 四月六日 名東病院を出てからバス停二つ花のアーチを地下鉄藤ヶ丘まで歩いた。幹周りが五十センチも六十センチもあるものは木肌に苔が生えたように黄色っぽく、しのぶも生えているようだ。名駅で用を足し、本来なら去年が金婚式であった筈だからと丸の内の那古野神社へ、花見の足をのばした。
 古老に聞くと同じ境内に東照宮とが並んでいて式場も、両方にあるとのこと。スタンスはどちらだったか、挙式に列席した存命者はわずかである。

 場所とりの茣蓙をしくところも更々無いほど、出店や床机がいっぱいで、今夜がかき入れらしい。ビールと木の芽田楽を頼み、おじさんをした。
 ここの桜は、古いだけに、うんと背が高く花で花で青空がみえない。山雀が蘂をつつくと、ひとひらふたひら花びらが散る。
 今年は寒かったので、花を見る間が長いようだ。

  俳句  * 抜きん出て春光返す摩天楼

      * 初蝶や水際の子等の肩に舞ふ

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

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しばしの憩い

2007-04-04 19:30:35 | Weblog

   バスの中で、話しかけられたのが始まりである。

名刺の 裏は
、写真家、俳人協会同人、書道塾、碁会所、広報、街 頭ルポライ


ター等と薬の効能書きのように盛り沢山であっ た。

  しばら
くすると写真展の案内ハガキが届き「今朝の、 あいち俳壇の慶応の人

読みました」と、一行書き添えてあ った。
 
   「* 端居せ
し祖母慶応の人なりき」

という私の入 選句のことである。とも
あれお礼でもと重い腰をあげ、そ の人の

写真展の会場である
スタジオへ出掛け彼と間近に 対面した時、亡くなった父が

そこ
にいるようで思わず息を 飲んだ。前回はバスの中でサングラスに帽子と

万博行きの 出で立ちだったため、彼の顔がはっきり
見えなかったので ある。

 それからは、俳句の添削をしてもら
ったり提出用の短冊 の句の手本を墨書し

てフアックスしてくれ
たりした。

 「先生と言うのはやめてよ」と再三いわれても止め
ない ので観念されたようだ

話しているうちに同い歳であること
 が分かった。

 携帯のメールでやりとりした戯れ言の俳句は、

  * 朝顔の紆余曲折の蔓の先     (先生)  

  * 今更に火中の栗は拾はまじ    (私)

  * 雪解けてふぐり現す陶狸      (先生)

  * 椿の実割れて再び華をなす     (私)  

  * 落椿裏を返せば笑ひけり      (先生)

  「何が笑ったんですか」と問うと「落ちた椿の花で.す強いて言えば花の蘂で

す」との答えだった。

  この五月に、時節柄マイ・パソコンを持った。見たい ものがあるという情熱

と集中力は、我ながらあっぱれ、マ ニアルと首
っ引きで、とうとう先生のホーム

ページが開い た。写真、短文、
俳句と夜中の二時まで画面を拡大してみ たり

それを六十句も
ノートに書き写したりした。  感想を求められたので、「八面六

ぴの編集に、おこがましくて、いずれお茶をご一緒した時にね」とメールした。

 月に一度は会っているが、

  「* 人の世を沈思黙考蝸牛」 から音沙汰がない。

 めぐり遭わせてくれた仏に手を合わせ ながら、知りすぎて疎んじられるかもと

思い

      「* 新茶汲み語り合うのも縁かな」

などと、こうした 憩いもあるのかと思っているのである。           

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