おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

  コ ン デ ィ シ ョ ン ニ 題

2012-05-30 17:46:28 | Weblog

 市の老人クラブのゲートボール大会があった。
迎えの車の座席の後ろに座っていてシートベルトをしていなかったので、信号で急停車した時前の座席の背で鼻をしこたま打った外は体調は良かった。
 四月から、この「おにゆりの苑」の製本をしていて、神経を使い夜中の二時頃になると目が覚めてしまったりしていたが十七冊を製本し終わった昨日は心晴れ晴れと夜中に雨が降ったのも知らずに熟睡した。
 力強い選手宣誓がありプレイボールの声が響いた。ところがグランドの土が雨を含んでいて重くて打つ球は飛ばないわ、足下はぬかるむわで、グランドコンディションが悪すぎる。
 これを始めて二年になるが、こんな状態なのは今迄経験が無い。五人一組のチームが三人もゲートをくぐり抜けられないのでは話にならない。
 相手のチームは力強く打ってそれなりに点数を上げている。三人残ったままで、惨敗であった。
 二試合目は発想の転換をしてホームを替えて打ったら通った。十一対七で勝ったが、三位決定戦には至ら無かった。
 日々運不運が伴ういろいろのコンディションがあるが、先日の金環日蝕は運が良かった。欠け始の六時二十分に二階のベランダから見ると丁度黒い雲が太陽の周りだけ開け右肩が欠けるのが見えた。 
 気を良くした私は、サングラスなのに、七時三十分には金の指輪を連想させるような、輪になったところを庭から空を仰いで見
た。
 こわごわ覗いた一瞬であったが、人によっては、前々から準備万端怠り無く金環とスライドのネックレス状態を心行くまで写真に収めた方があってそれを頂けそうである。
 孫の結婚式のアルバムに記念に入れようと思っている。

  俳句  芍薬を素直に活けて丈高し

 

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金 環 日 食

2012-05-20 12:51:30 | Weblog

 明日の二〇一二年五月二一日の金環日食が見えるのは一二九年ぶりとの事である。
関心のある人は、わくわくと胸を躍らせながら早くから、それなりの準備をしている。
 今までにそれに類する想い出は小学校の通学途中で男子生徒が、ガラスの切れ端に墨か絵の具か、黒く塗ったものを県道の道端で披露し合い太陽に向けて目に当てて、それを覗かせてもらったことがある。
 単に日蝕の類であったと思うが、辺りがしばらく薄暗くなった記憶である。六月に小学校の同窓会があるので、当時の悪がき連に聞いてみよう。
 私は今何冊もの製本をしていて、不器用なので背がうまくいかないので、アピタでそれようの糊をさがしていると、男の子を連れた婦人が日蝕グラスが今売り切れたといわれ、がっかりかりしていた。
 それを聞いていた私は今迄他人事のように思っていたのに、急に金環日蝕を見たくなった、見ておかねばと思へてきた。
 昼過ぎにエーデンへその眼鏡を買いに行くにしても、この近くで「朝日の出」が見えるところは何処であろう。お城にしても東の木々が邪魔をしないか、七時二〇分頃は未だ開館していないかも、役所へ聞いてみようにも今日は日曜日である。
 この窓から隣の五階建てのマンションを恨めしげに眺めるのだけれど、それとて愛知学院の学舎にさえぎられて見えないのだろう。
 かんじんのお天気は?などと考え始めるとマニアでなくても胸がどきどきする。

  俳句  もこもこと今日開きそむ花卯木
       卯の花の垣根の家の友なりし

 

 

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 み ど り

2012-05-09 18:11:43 | Weblog

 四十年程前に、日進町へ越してきた。当時はまだ市政が布かれていなかった。家の横に小高い薮があり、表の桜並木のうしろには低い田圃と御嶽山へ続く緑一色の山並みがあって静かな環境であった。
 ここは私の育った古里の匂いがした。ことのおこりは、桜の舞い散る春の善光寺祭りに仲良し三人組で、寺に参り後ろに山を従えた静寂な寺の中で和尚さんに占いをしてもらったことに始まる。
 和尚さんから「陽を向いてすすむべし」といわれ、どう言うことか聞くと「此処に住んで居たら岐阜へ岐阜に居たら名古屋へと言うように、明るい方へ広い方へと行くが良い」と例え話をしてくださった。私は人の後ろに付いてまわる単細胞の性分であったのに、ならばとさっさと名古屋へ嫁いで来た。しかも180度の転換を願って全く経験のない商売屋へである。
 当時は都会の真ん中で毎日どんなに緑が恋しかったか、舗道のひび割れに芽をだしている草にも、心が震えたものである。
 その後日進へ転居をしたが、名古屋に職をえて、通勤している分には仕事やら生活やらで、緑をたいして意識をしなかったが定年になり夫をなくしたりすると、周りを緑で囲まれているのは心がなごむ。
 先日まで枯れ木と思っていた木や、花が終わった途端の桜が急に芽を吹き出して、若葉が萌黄色となって陽に輝き、日一日とそのかさを増やして膨らみ始める。この季節は雑木林も道の並木もさわさわと五月の風にそよいでいる。
 外ばかりではない。猫のひたいほどの我が家の庭も私が手をつかねる程いろいろ込み入って伸びて来た。
 毎日少しづつでもと、昨日は梅と椿に鋏を入れた。藤は毎年花も咲かせず蔓ばかりを伸ばす。枇杷も頭上花を抱かぬまま大きな若葉を広い空に向って伸ばしている。くろがねもちの太い幹には蔦が覆いかぶさっている。
 ねずや槙にも、慌てず騒がず、わたしの剪定ぺースを待ってもらうとしても、雑草みたいに繁茂してくる低い草木達はどうしたものであろう。
 紫陽花は八方に広がりお茶は一人分だけでもと、ニ番茶を摘んで揉んだ。一日花のしゃがも、提灯花やしだも増えて仕方が無い。
 原因は私にあるのである。一株頂いたり買ったりしたものが、はびこってくるのである。このようにみどりに追いかけられても未だ昨日は土を二袋も買ってきて、茄子とトマトとピーマンを植え、さらに緑のカーテンにとごーやを植えようとしている。
 老前整理はこんなところにもあるのであるが・・・痩せたしゃくやくが明日には花を咲かせようとしている。
  
   俳句   封切らぬ玉露そのまま新茶揉む

 

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