おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

コロナ禍の最中のドライブ

2020-10-21 18:57:20 | Weblog
10時になるので、お茶受けを北海道展のお土産に頂いたマルセイバターサンドにしようか、家にある紅葉饅頭にしようかと迷っていると、「中津川へドライブに行こう栗ご飯を食べに」と娘が誘いに来た。
 彼女の運転で中央道を走りながら、亡き夫と秋は松茸を春には筍をと休みの度に良く走っていたことを思い出した。又去年は同級生のSさんが紅葉狩と桜の信州へ走ってくれたが久し振りだとこんなに遠かったかと感じながらコロナの自粛の最中、来年早々の夫の17回忌をどうやってしようかと思ったりしゃべったりしていて、未だ紅葉には早い「小里川ダム」についた。
山岡と言うと結婚前の現役時代、父親が娘さんを連れて就職に来て、長話をしていかれたことがあったが、私は始めてのところであった。
 日本一の大きい木造水車が大正時代の石橋や電気設備も保護されていて湖畔の憩いの場となっている。
 12時になったので「おばあちゃん市」道の駅の食堂で栗ご飯定食をいただく。土地の味噌をつけた串刺しのおでんやら、天麩羅の揚げ加減と言い野菜の炊き合わせもいい味で味噌汁や酢の物やところてんまでセットされていて、量的にたべきれない私は餅米の栗ご飯をおにぎりにして、手提げにいれた。
 水車の写真を何枚も撮り友人にスマホメールをした。コナラやアカゴ松を下に臨む橋は、川幅いっぱいの長さなので、途中で引き返し、道の駅でボロ餅と茄子を買った。娘は名物の寒天を買っていた。 紅葉には早過ぎたが道中の「川上屋」で出来立ての栗きんとんを買ったりして3時半にはもう家に着いていた。別れ際に「又行こうね」と言ってくれた。毎日体重計に上がっているが、体重はなかなか減らない。
          「天高く馬肥ゆる秋」母の文
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  デ イ ケ ア ー

2020-10-10 14:55:48 | Weblog
娘が老健のケアマネージャーを連れて現れた。私が転んで要支援2になったからだ。
 今迄その世界の事にはとんと疎く、考えた事もなかった。午前中週二日の人から、一日中で週四日の人とか、様々な時を施設で過ごす人の多いことにびっくりした。
 転んだ脚の筋肉補強に、行ってみたらとその施設に娘に連れられて行き、後日一人で体験することになった。
 朝の8時半に迎えの車が来て私一人タクシーに乗ってる感じで、先方についた。30名位の人がいるる部屋に案内されて、「この机の列の担当のスガです」と「挨拶」されたので、「総理大臣ですね」と言ったら、そばに居た人が「私がトランプ」といわれた。隣の女性も紹介されたが名前を覚えただけで、どさーと持って来られた週刊誌を読んでいた。
 やがて名前を呼ばれると機械に足をつっこんで筋肉を鍛えたり、自転車漕ぎをしたり、片足立ちをして何秒か計ったりした。女性の担当者に背を流してもらって入浴をした。
 席についてしばらくすると、昼食で丼ではなく、白飯を頼んだ。洗面所にはそれぞれの歯磨きが並んで居た。
 昼過ぎは来月の壁に貼るポスターの色塗りをした。私とお隣さんのが貼られていた。
 夕方4時Ⅰ0分になると五、六人同じ車に乗って送られ、私が一番先に、トランプさんが腕を組んで手提げを持ってくれて玄関の戸を開けるところまで送つてくれた。
 とっぴょうしのないことで、2,3の友達に電話をしてみると、午前中で週2回をもう2年半、1日中を週4回行くとか、3時半迄で週4回行くとか多くの方が、行って居られる人が多くてびっくりした。
 気の強い私が「そんな所へは行かないわ」と怒らないようにケアマネさんと、さまざまな話を進めすすめてくれた娘にカレンダーの予定表を指差しながら「月曜日しか空きがないわ」と週1ならこの話に乗るべきだと思えてきた。
 私のために家の中もトイレや廊下とか、お風呂に手すりが取り付けられた。
今思えば息子と母を見舞いに行った時丁度この状態であったのは一人の男性の斜め向かいに黙って腰掛けていて、私を誰だかは判った様子であっただろうが、息子は「僕のことは判らなかった」と言う。その母は92歳で亡くなった。その齢までは、5年で5年はあっと言う間だから、息子や娘の顔を潰さないように、この話に週1で乗りかかりながら、足の筋肉を鍛えようと思った。   敬老日会いたき人を探せども
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする