おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

女優  南 田 洋 子

2009-04-24 22:42:22 | Weblog

 最近寿命が延びたせいで認知症を患う人が増えてきた。昔もそれ相応にあったのだが、家族が外に漏れないようにしっかりガードしていたりした。
 近頃では介護の名のもとにオープンになった。今回も元俳優の南田洋子の現状を夫である長門裕之の困惑と言う形でドキュメンタリー番組をやった。
 元々タレント夫妻で有名人なのだからギャラも多いのであろう。現在の南田は日常会話さへママならず自身の芸名すら認知出来ない。長門も高血圧症をかかえる身で子供は無い。
「消えていく妻の記憶」昨日の洋子は今日はいない、今日の洋子は明日はいないと長門はアルツハイマーの恐さを語っているが、その病は本当に喪失する速度が速く、去年は小学生今年は三歳児と言う類らしい。
 不治の病といわれた結核がストマイの開発によって治るようになり、癌が抗癌剤で緩和され日常生活に支障を来たさないまでになってきている。認知症にもアリセプトと言う治りはしないが進行しない薬があるようであるが、副作用があるらしい。
 南田洋子と私とは生年月日が全く同じである。なので不安も笑えぬものがあって、来月浅間温泉で行われる同期会で逢う筈の友達に夕べのテレビ観た?と電話をかけた。
 彼女が言うには、今五十歳の息子が三歳の時東濃の付知にある渡合温泉の手前の、高樽の滝でロケがあって二、三日逗留された時南田洋子に抱っこしてもらって撮った写真を見ながら、あの人がこんなになってしまってなあ、と話合ってテレビを観ていたとのこと。
 それは三谷英明が、つり橋から下に落ちる役だったとか私の心当たりのない映画だが、初共演の「太陽の季節」の南田洋子と長門裕行は青春そのもののあこがれのプロフィルであった。

  俳句 自転車を漕ぎ皆勤の卒業子
     葉桜になりて戻れり散歩道

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三 日 見 ぬ 間 に 桜 か な

2009-04-15 23:34:28 | Weblog

 来客があるのではと思いコンビニへお茶受けを買いに行った。その七、八分の間に行き違ってポストに足跡だけが残っていた。
 そこいらに姿がないものかと、
公開している満開の桜の学院の校門あたりを見てみたが姿は無くて爛漫と咲き誇る桜の景観であった。
 翌日は美容院へ、次の日は母の法事で出かけていて、さて十三日朝日新聞の「あいち俳壇」が明日の締め切りなのに気づいて、慌てて十四日の消印に間に合わないものかとポストへ投函に行って驚いた。
 あの桜が無い。あたり一帯赤い桜蘂の木々ばかりで夜来の雨のせいか、
がらりと景色が変わっていた。たとえようのない程がっかりと気落ちした私は、咲き始めてからの半月あまりの長い間華やいだときめきをもらって気も張って居たのだと分かった。
 そめい吉野は終わった。見納めと認識しないうちに終わってしまった。本当にがっかりした。
 
気を取り直して今日は整体へ行った。先日美容院の予約時間に遅れまいと市のクルリンバスが四月から、時間や停留所が変わったので、一筋北を走るようになったバスに出くわそうと一区間を走りに はしって、飛び乗ったので今頃膝が痛むようになったのである。
 膝に注射を打ってもらったその足でスーパーで買い物をして振り分け荷物で帰宅した。私が車に乗れないなんて此処に来て本当に不自由をしている。
 途中蕨を摘んだ頭の上ももう葉桜めいていた。

大島りょう太の句の
 
○世の中は三日見ぬ間に桜かな
のようにがっかりしているのは私だけではあるまい。来年は早くから予定を立てて吉野の桜を見にいきましょっと。

 俳句 ○ 奥美濃の和紙漉く里や夕朧
    ○ 文庫本顔に落として朝寝かな

 

 

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 桜 咲 く

2009-04-08 18:17:45 | Weblog

 桜の花の満開の日曜日娘夫婦と、大人ばかり三人で鶴舞公園へ花見に行った。
 
此処は何年振りかであるが、花も噴水も奥行きの広さも以前のままで、懐かしい。
 
早々に敷いてくれたビニールシートに座って木の芽田楽や、こんにゃくおでんにビールを少々飲んだりして、たこ焼きや、とうもろこしも花見らしく買ったりした。
 上を眺めると、枝にたわわな満開の桜はあたりに甘い香りを惜しみなく漂わせている。花の下にはシートが隙間なく敷かれていて、現役の頃新入社員に席とりをさせて、営業全員で夜桜見物をしたことを思い出した。そぞろ歩きを始めると 
チューリップも赤の円陣、黄色の円陣と陽に輝いてゆれている。
 池の畔では、写真を撮ろうと三脚を立てて白鴫、青鴫、鴛鴦と根比べをしている人がいる。黒い鯉に緋鯉も混じってむらがり、僅かに散ったはなびらをつついている。
 
子供の小さい時は今のようにカートなど無く、御器所へ出るほど歩かなかったので、擬宝珠をつけた橋の欄干があるのを始めて知った。それは今は亡き(百歳位の)叔父が、動物園で撮ったと言っていたスターもどきの写真の背景と同じなのに気づいた。
 
この鶴舞公園は戦前は動物園であったことを最近になって知った。
 
花をバックに一輪車に乗って投げられた刃物を受けたり、可愛い人形を歌に合わせてあやつったりなどの大道芸もあちこちでやっていた。
 大道芸の後方で先日整形外科で並んで腰痛の電機治療を受けていた句友のOさんに出会った。
 ひょんな所でよく逢うわねーと挨拶がわりに掌をぱちんと叩きあって別れたが彼なら八十六歳くらいだから、動物園のことを聞いてみれば良かった。知っておられたかも。 俳句部はすでに卒業されている。
 私達は、ゴスペルのライブの人だかりに腰をおろして聴きほれたり、チリかペルーか民族衣装のフォルクローレをしばらく聴き三時頃帰る時地下鉄の通路を公園へ行く人が引きもきらないので夜桜見物はさぞかしの人であろうと話し合った。


 俳句  花の下過不足なしの私なり 
     ゴスペルの声澄むライブ春惜しむ

 

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