ここのところ毎日が忙しかった。
人との出会いがあれば、出会いの数だけ話題が発生する。
五月二十日去年亡くなった夫の姉夫婦の納骨をするというので十時に迎えに来た甥の車で桑名の朝日町のお寺まで、姉の息子夫婦二組とそれぞれの見届け役ということで姉のほうが私その夫のほうが妹のIさんということで、六人が大きな車一台ででかけた。見初められ結婚で滑り出しが良かった割には訳あり夫婦で別居中に片方がなくなってしまっていたのを、両方がなくなったところで、一緒に納骨となったのである。持つべきものは子供である。
全員がこれで安心となり、帰りには喪主の修業時代の同僚の「四季」という多度山の山並みの見えるレストランでおいしいコース料理をいただいて四時ころ家に帰った。
翌日は月一回のエッセー教室。例年のように「石火光中」と銘打つ冊子を編集するところまで来ているので、休む訳には行かない。まだ入部されて一年未満の男性で、最初から物語性のあるものに挑戦ししかも文章が上手な一級建築技師のSさんは、やはり才能があるというのか先生のクレームもつかない。
二十二日は、五十歳代かろの「もめん」という機関紙の文友が例年のように東山植物園の五月を歩いて周り、タワーで昼食である。カメラを向けても今年もかと同じところを撮ってしまう。話がご馳走なのであるが、主宰がご主人の事を過去形で話されるのでおかしいと思ったら一週間前になくなられたとの事、今までこのブログでそれとなく何度も触れた事があるが、三人のお子さんがある先妻をのかせて妻の座に着いた、純情一途な人で子規の孫の子供とか従姉とかである。
二十三日は先日亡くなった君子さんの忌明けの三十五日なので甥の運転で本家の刈谷まで行った。君子さんは女の子三人産んだので、接客は至れりつくせりで残された旦那様もまずは安心であろう。
浄土真宗のお経を唱和する仏間の鴨居には、私にとっても懐かしい先祖の写真が並べてかけてあったので、カメラに納めてきた。参詣の十六人でお品書きの充分な「日月」とかいう料理屋でおときをいただいて四時過ぎに帰宅した。 ひとつずつかたずいていく。
俳句 田になりてひがな蛙の鳴くと言う
三重と岐阜麦秋続く国境