東北大震災の波及で心理的に気落ちしていて、日常茶飯を繰り返していると、折角花散る中の茶房で一緒にお茶をしてくれたり、池の端で「亀も花見をしてるよ」と写真を撮って心持ち気を引き立ててくれる人が居ても、空虚な気持ちに埋没して行く時は救いようが無い。昔父がよく言っていた「木の芽時は頭が痛い」を思い出す。
ここは一番自分で気を引き立てなくてはと、今日はブログの更新をすることにした。
図書館から「ⅠQ84」の3と「老いの耄碌」の順番が来たと知らせがあったので、借りに出かけ、バスを降りて近道をしていると、田圃の畦にずらーと土筆が並んでいるので、うわー今年初めてと摘んで帰り卵とじにするとお酒のあてに春の味がした。
翌日、Hさんから「筍掘りに行かない?」と電話が入り7時20分の約束をしてガスタンクの薮え出かけて行った。
2年ばかりの間に田舎道だった所が町並になってしまって、早朝とは言え自転車の前籠に入れた鍬の柄が擦れ違う人に当たらないかと心配した。
私より二歳上のHさんが大きいのを見つけて掘って居られるのに、私は剥いたら皮ばかりのようなのを5本掘った所え、男性二人がビニールの袋の中身を見せながら「もう今日は無いよ」と近寄ってくるのも例年通りである。
薮の中の地形もここだけは何年も変わらないが、もう二人には転んだら危ない遊び場になってしまった。
その翌日はゲートボールのSさんが蕗をこいできてくれるといっていたので、期待しながらも、こいで来るってどういうこと?と思っていたら土に植えるようになるべく小さい苗や根っこを持ってきてくれた。
絶やしてしまったので蕗の薹が出ないと話していたことを覚えていてくれたのである。
此の時季行きは無視して自転車を飛ばすが、ゲートボールの帰りに弁天池の土手で一ヶ所蕨の出るところがあって、素通り出来ずに一握り摘み始める。以前は山うども、たらの芽もあった。鎌で刈るほど芹の生えていたところは、今私が通う整骨院になっている。
この池もボートを浮かべてお好み焼き屋を始めた人があったが長続きしなかった。
三月、中州の島も畔の繁みも余りにきれいにしてしまったので、留鳥もいなくなってしまって、黒鶺鴒が五、六羽ちょんちょんと歩道を走っている。釣り人一人居ない。
前述の隣町の杁が池公園は住民の憩いの場として定着した。
俳句 枝振りの歌うが如し花万だ
一人居の物憂きときは暮れ遅し