おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

O B 会 ( そ の 2 )

2015-10-31 18:12:25 | Weblog

  忙しかった十月は終わった。
例年の事ながら来るべき予定のものは来る。
 今年の片倉のOB会は又しても一昨年と同じ吉良吉田の三河湾リゾートリンクスであった。車に乗れるなら私の場合東へ走れば良いのだが、乗れないばかりにホテルの迎えの車にのるべく名駅に集合した。それも良いことには常連の顔を確め合えることである。
 今年は役員のHさんが来られなかった。五歳位上のHさんと私は転勤族の多い中で生粋の会社所在地の関市の育ちであった。成就はしなかったけれど妹はこの方の奥様に私はお祖母さまにお見合いをお骨折り頂いたこともある。
 亡くなった従姉とも自治会で知り合いだったと言っておられた。
東海、中国、四国、関西、のまとめの定時総会は、新社長の挨拶に始まり去年今年の決算予算、新事業など、しゅくしゅくと進行し昔懐かしい社歌を歌って閉会となった。
 一年ぶりの旧交を温めあう宴会を心行くまで楽しんで、からおけルームで二時間も延長したのも毎年のことである。
 世話役の本部の役員が現職の方たちなのでOB会員からみると息子のような人たちである。
 それだけに間違いなく事は進行し次の日はホテルや、もうそろそろ鴨など飛来してもよさそうな湾をバックに全員写真を撮り、バスは吉良家の墓所へ連れて行ってくれたり、西尾市にこんなお城があることを私は知らなかったが鍮石門をくぐった所にある資料館の見学をしたり本丸の写真を撮った者には桜のころの写真をいただいたりと楽しかった。 紅葉も秋の陽に輝いてきれいであった。
 名駅へつきそれぞれに別れて行ったが先週、話相手もなくミステリー旅行で彦根城へ行ったことを思うと昔の仲間と行けるのは又とない幸せである。
 来年も元気で逢えることを願うばかりである。

    俳句   ゴージャスなホテルのロビー秋日和

 

 

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実 に 老 人 が 多 い

2015-10-22 08:29:02 | Weblog

   日進でコーラスをやっている友人を誘って伏見の白川ホールへ「ラニマ・コラーレ演奏会」を聞きに行った。
 開演が14時なので赤池の寿司御殿でお昼をしていると先日のOB会には顔を出さなかったKさんが、テーブルについて、友達を待って居られた。
 何年ぶりかの言葉を交わし、其処を出て鶴舞線の地下鉄に乗ったら友人が、「左の方が話しかけて居られるよと言うので見るとこちらはこの間のOB会で、ご一緒したSさんであった。
 まだこの五月に九十二歳のご主人を送ったばかりと涙ぐんで居られたが御器所で下りて行かれた。 
  会場に着くと自由席なのでもう満員で二階席しかなかった。招待券をいただいたMさんは私より三歳年上の八十五歳で最高齢であるが背が高くておかっぱ頭なので二列目に並んでいてもなんの遜色もない。
 このブログに何年も前に載せたことがあるが、メンバーの内の一人であったご主人は亡くなって今はおられない。アベマリアから始まって二十曲余り、ソフトな女性、力強い男性、心にくい混声合唱と聞いていて、まろやかな気持ちになれたあっという間の二時間程であった。このグループの実績は年齢と共に高い。
 総勢五十人くらいであろうかコスチュームは白やブルー、ローズ等と変わったけれどМさんの二人横の方の顔に見覚えがあるので、後で聞くと松坂屋へ勤めていた方とのことで職域担当で出入りをしていた私は納得した。
 このところ二十五度の夏日が続いて過ごしやすく上着を手にしながら「楽しかったね」と秋茜の空を眺めて帰って来た。 
 さて次の日、処理する事は一日一つずつにしている私は兼ねて予約の愛知医大へ白内障の紹介状を持参して行ったら「全く白内障ではありませんよ」と目の検査をして眼鏡の度数の計査をして帰された。
 白内障の手術をすると世界が変わると誰もが言うので、変わった世界を見て見たいと思っていたが非日常は見ることが出来ず又今までの続きである。
 それにしても昼の間は行く先々が年寄りばかりが多くてバスの中で逢った幼稚園児が殊のほか可愛いかった。

           俳句   消防車見てきた園児秋うらら

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X  デー

2015-10-12 12:40:44 | Weblog

 白内障を手術するのには五日間くらい入院するのだと聞いた。カレンダーが連日埋まっている私は手術をする暇がない。
 ちなみに九日は所属する俳句からの吟行で瀬戸の陶磁美術館へ行ったし、次の日のまだ雨が残っている日曜日には娘の姑さんの見舞いに記念病院へ行った。
 八十八歳転んだ気配が無いらしいのに、右の大腿部骨折の手術でお彼岸頃からの入院である。ピンクの小柄の花の可愛いパジャマでカートにつかまって歩行のリハビリをしておられた。十五日に退院とかで見舞いがどうやらセーフ。
 娘夫婦とお産で帰ってきた孫も同伴してきたので、話が弾んだ。十五日、屋敷の坂を玄関までどうやって上がろうか苦慮しておられた。
「退屈でしょう」と栗きんとんなどと一緒に私の句集の最後の一冊を添えたが、買い物に行くという娘一家と別れてバス待ちの間に、前にあげて二度目ではなかったかと思えてきた。書道家で頭の明晰なお姑さまに「惚けて来たな」と笑われて居はしないか。
 それでなくても今日は先日の「にぎわい句座」で  
   ●吾亦紅名は「あき」でなく「あき子」です
と投句で抗議してきた人の名簿を他に出入りもあるので作って印刷をしなければならない。メールアドレスのスペルが一字違っても一斉発信が出来ないから細心の注意を要する。
 明日はゲートボールの秋季大会で朝八時に会場へ集合である。雨の日が多かったがこの辺でひとつすっきりしたい。
 それにエックスデーと称して熟慮をする日と言う意味でカレンダーの白い日空白を多くして行こうと思う。

     俳句  並びたる陶寂として外は秋 
          木犀の香りの帯や散歩道

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出 た つ い で に

2015-10-04 14:34:50 | Weblog

  仲のよかったKさんが亡くなったので、今年はD生命保険のOB会には行くまいと思って居たのに案内が来ると毎年お決まりの栄の国際ホテルへ来てしまった。
 ハガキに「顔を見せて下さいよ」と愛知OB会長の添え書きがあるのも、曲者である。
 三十数年前に資格試験が通った時「働かせてやって下さい」と挨拶に来られた方で夫に「生命保険なんて必要悪でしょ」などと一応は拒否されて、家の前の鏡の付いた標識に車をあててバンバーをへこませて帰った若かった日の支部長である。その頃は労働組合長を、今や総局のОB会長をと老人になっても、大体こういう事が好きな人である。
 百三十四名の出席者に対して、その道の草々たる、来賓十二名の話が長い。OBとは言えお金の事となると、一生涯それに携わっている人が多くて会社側も何かメリットがあるのであろう。最近出来たらしい第一フロンティア生命の円建てと外貨建ての商品の説明などがあった。
 宴会はフロマチックハーモニカの吹奏や、会員のカラオケや日本舞踊が舞台をいろどりコース料理や飲み物をいただきビンゴゲームに続き名古屋ナモガールが出てきてナモ閉めで終わった。
 それからが旧交を温める楽しい時間となるところであるが、私は池下から小幡苗代行きの市バスで気になっている妹の見舞いに行った。
 不明確ながらある程度の意思の疎通は出来食欲はあるので元気だという寝たきりの妹のベットの横で僅かな笑顔に一喜一憂し、夕方まで居て、つききりで看病している甥に車で家まで送ってもらって帰った。
 極端に入院を嫌がるらしい妹の介護を相談もないのにどうこうしたらと口出しする立場ではなく可哀想さが先にたつ。
 お互い最後は、平穏に終わりたいと思うことしきりである。

     俳句  病窓の高きに香る金木犀

 

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