今年も一年たんたんと暮れようとしていた。
十二月二十三日、四姉妹の内一番下の妹がなくなった。
名古屋ドームの近くのティア大幸のお通夜に長男の運転で長女との三人で駆けつけた。実家からも、弟夫婦と長男が来た。
今流行りの家族葬で先ず、安置してある仏の棺をのぞくと、きれいに化粧された顔は母に良く似ていた。メルヘンチックなしつらえの会場は祭壇やら大きなバラが小花を従えている様は派手で優美でセンスの良かった妹の喜びそうな雰囲気であった。
脳梗塞で倒れてからも明るく振舞った二十年であった。この妹は好きどうしの結婚で一番幸せなカップルであった。
三菱レーヨンの所長をしていたこの人の夫は、専門分野でテレビにも二、三回出たこともあった。
定年したら海外旅行をして周るはずであったのに先に倒れたのは妹だった。続いて夫も倒れてしばらくして夫がなくなり施設に入ると新築した岐阜の家の管理に二人の子供の内の女性の方が毎月名古屋から通っていた。涙ぐんでいるこの子の二十年はご苦労なことであった。長男はJТで海外勤務も長かったし今は家族をこちらに残して東京へ単身赴任中であるが立派な喪主ぶりであった。
見舞いに行くといつも孫自慢をしていた。二人づつの孫は大学生であったりしてもう大きい。
私達四人姉妹も今や二人が病気で来れなかった。
名古屋の三姉妹は良く愛車で近辺の旅行に乗せていってもらっていた。その三姉妹で北海道旅行をしたのが最後であった。ハワイへ行った時はもうこの妹は一緒でなかったなあと思い起こしている。長島で二回ほどした従姉弟会にも母は来たけど彼女はもう施設で車椅子でこれなかった。あの世で母に逢えただろうか。
今日の私は独り居なのに、うるしの三段重にせっせと正月料理を仕立てている。とんだ一年のしめくくりであった。
俳句 あふれくる思いに潤む冬の月
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