おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

年 の 暮 れ

2015-12-31 05:50:56 | Weblog

今年も一年たんたんと暮れようとしていた。

 十二月二十三日、四姉妹の内一番下の妹がなくなった。
名古屋ドームの近くのティア大幸のお通夜に長男の運転で長女との三人で駆けつけた。実家からも、弟夫婦と長男が来た。
今流行りの家族葬で先ず、安置してある仏の棺をのぞくと、きれいに化粧された顔は母に良く似ていた。メルヘンチックなしつらえの会場は祭壇やら大きなバラが小花を従えている様は派手で優美でセンスの良かった妹の喜びそうな雰囲気であった。
 脳梗塞で倒れてからも明るく振舞った二十年であった。この妹は好きどうしの結婚で一番幸せなカップルであった。
三菱レーヨンの所長をしていたこの人の夫は、専門分野でテレビにも二、三回出たこともあった。
 定年したら海外旅行をして周るはずであったのに先に倒れたのは妹だった。続いて夫も倒れてしばらくして夫がなくなり施設に入ると新築した岐阜の家の管理に二人の子供の内の女性の方が毎月名古屋から通っていた。涙ぐんでいるこの子の二十年はご苦労なことであった。長男はJТで海外勤務も長かったし今は家族をこちらに残して東京へ単身赴任中であるが立派な喪主ぶりであった。
 見舞いに行くといつも孫自慢をしていた。二人づつの孫は大学生であったりしてもう大きい。
 私達四人姉妹も今や二人が病気で来れなかった。
 名古屋の三姉妹は良く愛車で近辺の旅行に乗せていってもらっていた。その三姉妹で北海道旅行をしたのが最後であった。ハワイへ行った時はもうこの妹は一緒でなかったなあと思い起こしている。長島で二回ほどした従姉弟会にも母は来たけど彼女はもう施設で車椅子でこれなかった。あの世で母に逢えただろうか。
 今日の私は独り居なのに、うるしの三段重にせっせと正月料理を仕立てている。とんだ一年のしめくくりであった。

              俳句   あふれくる思いに潤む冬の月

 

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俳句王国

2015-12-22 13:39:44 | Weblog

 NHK「俳句王国がゆく」の公開録画が、みよし市の勤労会館であった。
この番組は全国各地をまわり、地元の人達と俳句を通してその土地の魅力を再発見していく俳句紀行バラエティー番組。事前の申し込みで入場整理券を送り、客数を掌握しての開催である。
 私達三人も誘ってくれた句友のEさんの車に乗せてもらって参加した。助手席には東京から単身赴任してきている五十歳くらいのEさんの美人の娘さんが一緒であった。
 開演時間になって四百人程の長い行列が前に進みだすと、NHK俳句のテキストによく登場する(「笹」主宰)
の名古屋の伊藤敬子先生が居られたので挨拶をした。
 高野ムツオは(「小熊座)主宰)の俳人で師の演出はU字工事、田中英夫を入れた六人と進行係や先生など十人で、はでなしつらえにして六人が出す俳句の批評もしながら一句ごとの対決には会場に優劣のうちわを上げさせた。点数のついたのぼりも並び、賑やかな紅白句合戦であった。
 振りむくと伊藤敬子師もうちわを上げ下げしておられた。結果は地元の東海勢の勝利であった。事前句で(当日句とは言っていたが)観客の中から優秀句として四人が名前を呼ばれて長老の
   ○ これすべて木曽路の水よ冬至風呂
をはじめ八歳の小学生、足の悪い中年男性、カヌーを読んだ女性、の四人が壇上に上がった。この様子は十二月の二十四日の三時から四時までEテレで放映するそうである。
 日短かな二時間余をスムースに終わり途中ダフネでコーヒータイムを持ち三人を送っていただき、その都度助手席の娘さんが降りて挨拶をしてくださり、NHkの広報部の副部長さんとは言え陰のスタッフとしてこうした方の力も大きいことを思った俳句王国であった。
                                      俳句  築山の万両ばかり覗き見る 

                            
冬至風呂加齢臭をばやっつけて

 

 

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ニッシンハーモニーフェスタ

2015-12-10 09:26:17 | Weblog

 にぎわい交流館から十二月五日に催された「にっしん活動祭」第七回ニッシンハーモニーフエスタの結果アンケートを出してとメールが来た。
百ブースも参加するフェスタは、「にぎわい句座」として初めての参加で他にカレー選手権、ファッショショー、映画などのある圧倒されるような、大きなイベントであった。
 総体的にものが見られない私と違って句友達は、その都度みにきていたらしく慣れたもので当番の時間をやりくりしてスタンプラリーをして廻ってきたりしていた。
 私は当番の割り振りがなくてフリーなのに、朝一から俳句のブースに着ききってスタンプを押したり俳句の印刷物を渡したり芳名帳に名前を書いてもらうのにやっきになっていた。市長も側近のS氏もO市会議員も寄ってきて署名をくれた。
 昼になるとТさんがカレーの試食に行こうと誘ってくれて、この方に先程と二度も断ってもとIさんとの三人で二階の行列に並び食事をし、大ホールで映画「マダム・イン・ニューヨーク」を見たりして一日が終わった。
 展示風景は、バックの黒に短冊の白が良く映えて氏名も添付し、尚且つそれをワープロでうってコピーしたものを六十枚用意したのが二枚残っただけなのも、先生始めみなの力の結集であった。Sさんの言われた通り集客数抜群の展示会で楽しかった。
 
帰りに近くの娘の家に寄ると婿殿が見に行ってサイン帳にサインをしようとしたらその前に人だかりがしていたので書かずに来たとのことであった。
後日知ったのであるが、長久手市役所職員の孫もフアッションショーに女性グループを参加させたのだそうである。
 アンケートには若いスタッフでよくこれだけの催しが出来た事と絶賛し、来年も参画したいと答えたのは言うまでもない    

        俳句    戦争の始まりし日や十二月

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温泉と句会

2015-12-02 19:17:57 | Weblog

 後輩のAさんが二六日(風呂の日)だからと「花しょうぶの湯」を誘ってくれた。ゆっくり入って帰りには外で食事もして二人とも、いい気持ちと言って帰ってきた。ところが次の日、家の中で電気コードにもつれて床にどたんと転んでしまった。転びながらこれはひどいわ、と思ったのに暫らくそのまま伏して居れば良いのに立てるか心配ですぐ起き上がった。
  ○着膨れてまろぶバストのバウンドや
 こんなにバスとでバウンドするとは知らなかった。痩せた人なら打撲か骨折であろう。
十二月一日の句会を成就させるまではと気を張って居たのにこの有様である。
 三十日一人で「ござらっせ」の炭酸温泉に行った。
花しょうぶと違って此処は本当の温泉水である。意識して長く長く浸かってきて両脇の痛みにロキソニンをのんで対処した。
 当日は、気候の変わり目のせいか、二人の欠席者と新入会員一人があり先生は風邪を引いておられたが楽しく終わることが出来た。
 次は五日に行われる「ニッシンフェステバル」の展示である。早めに句会を終えてブースに展示する俳句の短冊を皆で貼り付けて完成させた。
 前日の搬入と当日の撤去の人員配置も決まりスタンプラリーの人に推すゴム印はNさんが持参してくれると言う。
 集客力が良いからとのSさんの一言で参加することに決まった「にぎわい交流館のお祭り」、繰り広げられるファッションショーやカレー選手権、音楽ステージなどのような華やかさは無くても会場を飾る一場面としてのブースの存在感をアピール出来るようにつとめたい。

    俳句  難転ずを信じて活ける十二月
         無人駅降りて紅葉彩最中

 

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