おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

一週間ばかりすぐ経ってしまう

2015-09-25 20:12:21 | Weblog

  九月十九日松坂屋へ、アール・ヌーヴォーのガラス展を観に行った。
デュセルドルフ美術館ゲルダ・ケプフ・コレクションと銘打って百四十点の作品を通じて、ガラス芸術の粋をこらしていた。
 ガレの「マツヨイグサの花器」「台付き鉢」{マイセンの筒型花器]
などジャポニズムの色濃い作品等があった。思ったような派手さではなく、会場一帯が落ち着いた雰囲気のイメージでどの作品も花や生き物があしらわれていた。
 私は今までにガラスものの製作はイタリヤへ行った時と長野で二三度長い棒状のものを火の上で吹いて形のあるものを製作しているところを見学したことがあるが、こうした芸術品はどのようにして作られるのであろうか。 
 松坂屋を出てから、かねがね心配していた妹の見舞いに行くべく、バスステーションまで結構距離があるのに而も「引き山行き」は北の一番奥が停留所であったのにたどり着くと、これは千代田橋線だから苗代へは行かないとのことだった。
 今は案内所などなくスマートホンなど電話調べなので疲れた身にはおっくうだから、地下鉄で一社まで帰りタクシーで行った。
 私の不手際なことは連絡をして行かなかったので看病している甥が夕方の買い物に出かけていたとの事で逢えなかった。
 「誰かきたようだ」と言っていたとのことであるが、寝たきりで立ち上がることも出来ないのか。
 大和やの守口漬けなど腐らないようなものを裏口に置いて来たが近日又出直すことになる。
 あの賢い三歳も下の妹がと思うと姉らしくもなく逢うのが怖いのである。

     俳句   台風裡吾が海馬こそ不穏なり

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  秋 ぐ み

2015-09-16 16:14:31 | Weblog

  フルーツ等、栄養価とか故郷創生とかで、日常のテレビでこれだけ放映されたりすると、名もないような小さな木の実のようなものは忘れ去られてしまう。
 例えば木苺、桑の実、ぐみ、などがその類である。幼馴染のТちゃんの手紙には、「あなたの家で、ぐみを採って幼稚園のエプロンのポケットを赤く滲ませていた頃が」などというフレーズが、何度もあったりした。
 その、ぐみの木はけっこう背が高く、離れの南側に道具部屋の西まで、棕櫚の木、枇杷の木、柿の木などと並んでいて土塀の上の瓦に、はしごを掛けて上がり気要らず摘んでいたので、言われるまで私にはたいした思い出でもなかった。
 京都から越して来ていたТちゃんの家は終戦後短期間に財を為して五人の子供に相応の財産分与をされたらしくそれは即ち独立強要みたいなもので実家とは余り安易に行き来が出来ないと言うものだったらしい。 
 豊田市に居ればふるさとが恋しいらしく、幼稚園から高校を卒業するまで一緒であった私によくこぼしていた。
 Тちゃんの家とは違って私共は女の子は嫁入りさせたら、それで財産分与はお終いと言う昔風の不文律があったので親のいる内は四人姉妹、吾が子の夏休冬休み等は居りたいだけ滞在したものである。
 弟のもとへとついで来た義妹がよく出来た人で、早く夫を亡くした母と終生喧嘩をしたことが無い人であった。母の最期にも自分の腕に抱きかかえてスプーンでおも湯をのませて居たので子供の私にも出来ない事と感心した。最近もお姉さん達の目の黒い内はこの家を壊しませんからねー」と言った。
 しかし所詮、兄弟一族たむろするのはその者達の健在な内で、今年盆に墓参りをしてきた私達も、自分で運転して行って一泊してきた守山区の妹から携帯にメールが入らないので不思議に思って居たら帰ってきてから倒れたのらしい。
 独り居の私にもそれ相応の生活があるので、すぐには飛んで行けないがこの連休に、様子伺いに行ってこようと思っている。彼女もぐみを採っていた仲間である。

   俳句   同窓会いつまた逢へる吾亦紅

 

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歌に恵まれた日

2015-09-05 10:46:32 | Weblog

 オリンピックのエンブレムが白紙撤回されたり、安保法案「違憲」のデモがあったり、大きく株価がさがったり、トルコ難民が多かったりと非日常的な放送がなされると、私などは自分の立ち居地と言うか主体性を失ってしまってブログを書く気になれない。
 間もなくやってくる敬老の日には母が生きていたら「百歳」なのかと思うと、いつまでも夏ばてを引きづっていてはいけないと思い始めた。
 
二日は句の会があって行けなかったけれど、次の日その会を退会してート、「あいあいの家」の責任者になられたKさんの新装なった介護保険デイサービスの家を句友七人で、お祝いに行った。
 介護予防の脳トレいきいき教室など文字の並べ変えクイズ、や間違い探し、ポピュラーソングを何曲もと、日進体操などをやって、おやつ代を含む七百円の食事をいただく体験をして来た。
 Nさんなど早速朝のお手伝いの申請をしていた。地域の老人会の募集があってもに来ても「私は老人じゃありませんから」と断っている私は小さくなっていた。
 その日の夕方五時にMさんが、約束をしていた「佐藤しのぶ」のコンサートに横に母親を乗せて迎えに来てくれた。
 県美迄車で行けるとはありがたいことであった。「花のまち」「赤とんぼ」「リメンバー」「うみ」「さとうきび畑」が一部で、その美しい ソプラノ は大きな会場を拍手で鳴り響かせ二部では「口づけ」「ハバネラ」「ある晴れた日に」「かわいい坊や」などオペラからの独唱曲を」歌い、その間にドイツ人のピアニストが「マノンレスコー」からの間奏曲を弾いた。
 酔いしれた群集がアンコールをせがむと「ふるさと」を歌ってくれた。計らずも今日私はお昼に「あいあいの家」で皆で歌ったのと此処とで二度も遭遇したことであった。
 帰りにMさんのお母さんから「白川ホール」でのコーラスの招待券を頂いた。
 私は、こうして自立した人生設計をする訳でもなく「三K」の「健康」「家庭経済」「家庭」は程ほどにクリアしている。

       俳句  それよりは大きくなれぬ吾亦紅 

            基礎工事始まりにけり月見草

 

 

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