おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

高齢者教室の史跡見学

2007-09-27 00:04:33 | Weblog

  私達の市には市が運営する65歳以上の高齢者教室がある。年に一回近在の史跡見学に連れて行ってくれる。

  私は俳句部に所属しているが、部も、単独に吟行に行くので9回生ともなると一度整理をして置かないと忘れてしまう。

  順不同だが、合同で行ったところは、大垣博(祭り)、曼荼羅寺、六華苑、大正村、俳聖殿、木曽三川、昭和村、金華山、吟行は、馬籠宿、九華公園・七里の渡し跡、松平郷・岡崎市奥殿陣屋,永保寺、鳳来寺、長島町、中部国際空港、八町味噌の角久・岡崎公園などである。今年は犬山と可児の境に位置するリトルワールドであった。

 緑豊かな愛岐丘陵の地に123万平方メートルの敷地を有し世界で初めての野外民族博物館として1983年3月に開館した。私は4回目であるが、意外と男性の皆さんが初めての方が多いようで、これまで如何に家族や子供の為に働いてこられたかと言う事であろう。

 近年「国際交流」「異文化理解」などの言葉を耳にするが、こうした中、さまざまな民族の文化に触れ理解を深める事が出来る。22ヶ国33施設の野外展示場があり「生きた博物館」として世界の生活や文化に手軽に触れ学ぶ事が出来る。しかし最近では簡単に外国へ行けるようになってきて、増して先年長久手では万博が開催されたりしたせいか93年に行った時のような賑わいはなかった。

 火曜日はサーカスは休みだったが、ロンドンバスは走りタイのタクシー、トウクトウクに乗った。チマチョゴリを着たり、サリーを着て写真を撮っている人達もいた。

  オール歩いて周り健脚ぶりを娘一家に笑われた私であったが、今回は男性3人女性2人のメンバーで乗り降り自由な園内バスの乗車券を使い早くにイタリア館で、カンッオーネの曲を聴きながら、きのこの生クリームパスタを頂いて、ネパール仏教寺院や韓国の農家や地主の家を見て歩いた。木槿や曼珠沙華が咲いていた。

  お茶をして休み、13時半に帰途についた。熱中症にならないように、病人が出ないように、気を遣ってくれるバス4台での、高齢者の史跡見学であった。

       俳句

  * 草の花乱れる庭のありにけり * 裏木戸の味噌甕あたりちちろ鳴く

  *  葉鶏頭のいただきちぢみ韓国亭  * アリランの哀しき唄や鰯雲 

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当世 虫の音 事情

2007-09-17 01:25:08 | Weblog

  地球温暖化現象と耳にするだけでも、不穏になるのに、此処へきて政局までが、総理大臣の欠落で大変なことになっている。

 九月になって冷房を止めた部屋は、暑くてなかなか戸が立てられない。昨今は生活様式が変わってきたので、裏街を歩るいていても団扇をばたつかせながら、その風にほっとし目をつむって、つくつくぼうしの声を聞いているような姿が垣間見られることもなくなった。

 茜色の夕焼け空を惜しみながらやがて、夜の帳が下りる頃いっせいに虫がすだきはじめる。今が一番盛んな時である。もっとその声を聴きたいものと郵便ポストへ行くのに、学院の森の側の道を歩いてみた。

 子供の頃父が寝物語りに叔母の文章を、母に読んで聞かせていたのを思い出す。小川を渡るとなお一層虫の音が高くなるとか、美辞麗句であった気がする。その父も叔母も今は、もう居ない。

 一斉に虫の音はするけれど、私の耳に覚えのある叢から、湧き上がるような音ではない。この家も五年程前までは「あれ松虫が鳴きだしたちんちろちんちんちんちろりん」の小学生唱歌そのもので、網戸にして寝ようものなら、まるで虫の音に埋もれて眠るような至福であった。鈴虫はりーんりーんと澄んだ、か細い鈴を振り、きちきちガチャガチャ、何百何千の音が深い闇から湧き上がってきた。

 その内、隣には大きなマンションが,裏には建機リースの会社が来て草花で覆われる筈の空き地が年を経る毎に少なくなって虫の音も半減した。虫にも人にもとかくこの世は変化のしどうしである。

 俳句 * 十匹もバッタを籠に熟睡の児

    * 本丸の井戸の底より鉦叩き

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花火の原風景からこちら

2007-09-10 16:50:29 | Weblog
 

 

 終戦後、初めて長良川で花火が揚がるとき、父が頼んだトラックに職場の方方と共に私と妹も荷台に乗せて連れて行ってくれた。近くなると大きな音が空に響き、はやる思いが高揚してくる。前年ここで、戦火を逃れた人々が大勢水にとびこんで亡くなったことを忘れたかのような復興の兆しである。茣蓙や筵をしき川風を受けてしばらく待つ間に手持ちの、お弁当を広げた。土用だからと母が作ってくれた、あんころ餅や木の芽味噌の付け焼きは、暑苦しく、隣のむしろの席の稲荷ずしが羨ましかった。

 その内真暗な空に大花火が大音響と共に拡がって、ほうと感嘆の声を発して口をあけたまま仰いで見ていると、次は朝顔であったり大輪の菊であったり、しだれ花火であったり忠節の橋ではスターマインが、川幅いっぱいに光を降らせたりした。その感動が忘れられずに毎年のように行っていた。

 結婚してからは、主人は歌舞伎ならともかく、約束していてもいつもはぐらかされて一緒に行ってくれたことがなかった。大きなお腹をして一人は背中に負ぶって名古屋から観に行ったときは、花火が終わると電車が開通して足が確保出来るまで銭湯に入って子供を遊ばせていた。

 何年もしてやはりそれに思い入れがある妹と出かけた。甥二人に可愛い洋服を着せて連れて来た。饗演たけなわになり、大人二人が掻き氷を手に大満足をしていたら川原の石のでこぼこが嫌いな都会の子は、「ママ早くかえろ、家で加藤茶見てたほうが良かったよう」と言う心外な始末であった。

 そこえ行くと孫を連れての我が日進市の花火は最高であった。うちわ片手に、たこ焼きを買ってやったりしながらどよめきの声に仰ぐ花火は、主人も一緒で得心の行く見物であった。此処何年かは緊縮財政で中止されている。

 今年は、大須でフォト俳句を一緒に見た仲間と別れて港の花火に一人で行った。一期一会の人と待つ事二時間、梅雨の晴れ間の打ち上げは、さすが4200発港の開港100年の記念と言うだけあって、35万人とかが酔いしれた。結婚祝いや誕生祝いのメッセージのもあり「ワイドメロデイー花火」は海上の五隻の船から180メートルの幅で打ち上げる光と音の芸術であった。

 来年は水楼(十八楼)に宿をとって振り出しの長良川の花火を眺めたいものである。

  俳句 * 裸子の競いて淵へ飛び込めり

       *  竹落ち葉筏をくずす鯉の背な

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外食チエーン店の招待旅行

2007-09-04 21:33:50 | Weblog

 今年の八月は、記録的な暑さで、家でフーフー言っているよりはと、外食チエーン店の当選懸賞はがき「日帰りバスの旅ご招待」に行った。友達や連れ合いを誘った人は、一人分は¥11,000円の実費である。私は長野や静岡えは良く行ったが、山梨は行ったことが無いので、やはり一人で来た五十代の方と友達になり四十五人が指定席で楽しく出かけた。

 ホリデー旅行の一番先の、土産物店は、山葵とか、ほうとう、栗饅頭、威勢の良いお姉さんがバスのなかまで来て宣伝をした。そこそこ買って次は、巨峰狩り、ぶどう園まで歩いて、せいぜい二房、お隣さんは若いので三房以上召し上がったそうな。そのあと二十分で食事処え着いたものだから、ギブアップ二段重ねで品数あっても不味い。     同じ場所にある、私にとって本命の武田信玄の菩提寺である恵林寺に参る。織田信長に焼かれて全てが炎上する時「心頭滅却すれば火も自からすずし」と寺と運命を共にした快川国師は余りにも有名である。徳川家康に再建された面影を残す美しいお寺であった。赤いその字が染め抜きになった幟旗が道に並んで立っていて、風林火山を口ずさんでバスに戻った。

 次に停まったのは、ワイン工場、ワイナリーでしこたま試飲、ロゼ、白、赤と買い込んだ。最後はジュエリーのお店、買わせるのがホリデー旅行の本命かなあ。そうとすると滞在時間が長かったわりには、イミテーションは買っているが、何万円と言う買い物をしている人はいない。温泉が無かった分、甲州までも行けて目先や色をかえて充実した旅だったけれど、はて何が何のための旅行だったのかと考えることしきりだったが、次の日新聞をみていて納得、この主催チエーン店は、今は、麺類、今度パンの業界に手を拡げるとのこと。単純に日頃の感謝今後とも宜しくと取れば良い。私が知る限りでは三十年くらいの店だが、良く伸びたものであることよ。

 コンコースを歩くのにワインがたいそう重かった。

 俳句 * 旗振って兵士送りし葡萄郷 

    * 夕星や野菊に埋もる道祖神

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