おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

こんなところに日本人

2017-02-22 18:21:39 | Weblog
最近中日新聞のメーテレ案内に「こんなところに日本人」と言うタイトルで外国へ尋ねて行くありさまがのってくる。
 珍しいので良くみる。二一日には「世界の村で発見。カナダ先住民の街、バンクーバー朝日軍最後の一人、伝説九五歳横断3000キロ、賀来千賀子 」とあったので興味津々で見た。
 先の「後藤紀夫、バンクーバー朝日」岩波書店に出てくる人かと思ってみたが「朝日最古の写真(1915年)」の青年達のメンバーでは顔つきが変りすぎてみつけることは出来ない
 賀来千香子が年齢を尋ねると「96歳、日本人の家内は他所で病気療養中」とのことであった。この写真に無いのは、1914年以前の移民排斥の嵐に翻弄されるバンクーバーの日系カナダ人社会より以前の人らしい。 
 しっかりした物言いの人である。若かりし頃の写真でこの人と指差し確認してみたかった。
テレビでみる街は野球の盛んだった頃は繁栄していたのに、今は賀来千香子が苦労して尋ねるさびしい田舎街であった。
 それにしても、苦難の中で最初の日本チーム作りとの目的を達成して夫婦で外国の土として果てようとする最後の日本人は褒め称えるだけの人であると思った。


  俳句 
     寒明けの灯ともしころの冷気かな

     折れさがる枝落ちもせず春一番
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日 米 首 脳 会 談

2017-02-13 17:52:53 | Weblog


「あす未明日米首脳会談」という新聞の見出しと、共に九日安部首相はトランプ米大統領と会談するため米国に出発した。
十日(日本時間十一日未明)にワシントンで会談する)とある。トランプ大統領が選出されてから彼の思い切った発言や施策等「信頼」「防衛」「経済」など、私でさえどうなることかと胸を痛めていたのだから世の人々はTPPがとやかく言われ出した頃から、本当に心配をされていた事と思う。
 国会中継を午前と午後とをみていても、首相の顔が何となく冴えなかった。
ところが十二日の新聞の「日米で新経済対話」の見出しの下のトランプ大統領との握手している写真の顔の朗々たること。
「両首脳同盟強化を確認」「「共同声明尖閣に安保適用明記」と副題が付記されている。 
まだまだ難問は出てくるとは思うけれど、安心、安心、先ずは首相の笑顔で安心した。これからが大変だとは思うが、一国の首相はこうした笑顔が大切である。

      俳句  平和の句スクラツプ高三糎
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定年の年のハワイ旅行

2017-02-03 06:44:36 | Weblog


 私の参加する文芸誌「もめん」が103号でついに廃刊になった。一手に引き受け2003年から15年余りよくも此処までよくも無料で続けていただけたものだ。
あらためて1号から繰ってみると、この天然ぼけのわたしのハワイ紀行が、シリーズで載せてくれてある。
同好した二人が亡くなっているので、記念にここに再投稿しておこう。

    「 ワイキキビーチ」
1999年2月8日名古屋空港をたって2月13日迄、日本を忘れる旅に出た。メンバーは声かけの叔母と、その娘夫婦ニ組と孫一人、私と妹の八人である。レイを首にかけてもらってタラップを下りた翌日ワイキキビーチに行った。
 常夏の島ハワイは3月まで雨季とのことであるが、空気はさらっとしていてそのせいか人はまばらであった。肌を焼こうと若者達が、カップルでねそべっていたり、80歳をこしていようかと思う白人のばあさんが、浮き輪の中にお尻りを落としてぽかーと浮いていたが大きいサングラスは顔だけは焼けないでと麦わら帽子も大きい。
 叔母の孫の美奈ちゃんは、ガーナの青年と英語でぺらぺらしゃべって笑っている。大学生の彼女は去年カナダに研修で滞在したので、英語が堪能である。「御婆さん、おばさん」の日本語を覚えたようである。彼達とその周りで泳いでいた私達5人に叔母がカメラをむけた。美奈ちゃんとそのいけめん青年は肩を組んでおさまった。
 帰り際砂浜をあがった所に老人とわかる5人グループがギターなどを合奏していた。水着にガウンをはおって聞いていると1人だけ東洋人の顔をした人がマイクに向かって岡春夫のハワイ航路を歌いだした。あああ あこがれーの ハワイ航路・・・リーダーの帽子のリボンにチップを挟むと、立ち上がって慇懃に断られるので「ジャパンソング」にと言ったら、オーケー、オーケーと笑顔がこぼれた。

[アクシデント」
 ワイメアフォールズパークに着くと、まずはカヌー漕ぎであった。濡れるからと大きいビニールの筒抜けを渡され、腰から下につけてください、と言われた。私は白ズボンが汚れると困るからと膝上パンツの上からはいた。ガイド嬢は19歳まで九州に居たと語った。
 すばやく叔母の年齢を見てとると、「この人には漕がせません先生と一緒に乗ってもらいます」と的確なお達し。私は妹とペアを
くんだ。カヌーは初めてだけど、若い頃ボート大好き人間だっ たせいで、要領をつかむと、前の妹と呼吸はぴったたり、随分遠くまで漕いだ。ターンしたい方の水を搔くと方向転換できる。日本と違う木々が淵に影をおとしているし花も咲いているが、ハイビスカス以外の名前は判らない。
 岸に上がる時、妹はガイドに手を預けて下りた。あわてんぼうの私は舟の左側の水に足を入れて、もう片方も入れると軽くなった舟がひっくりかえるのと救命胴着の端が水に着くのと一緒でざんぶと首まで水につかってしまった。
 叔母は先生と娘の靖子ちゃんと三人で乗っていてこちらを向いて笑っている。「まあこんなに濡れて」とガイドがバスタオルで服の上からたたいてくれた。コルセットとズボンを脱いでおいて正解だったたと思うことしきり。
 外目には何事もなかったように取り繕っていた。草原で昼食をとる時テーブルに挿し掛けられた大きなパラソルからはみ出していたら、乾かそうとしているのを知らぬ従妹の主人の林様に「あまのじゃく」といわれた。滝の飛び込みショーをみたりフラダンスをしたり、思い切り楽しそうな妹と反対に、中の洋服が乾く間わたしの、心はびしょ濡れであった。

[セセさん」
 私達八人が二人づつで宿泊しているのはリージェントホテル。裏がカウアイ通りに面していて、そこを左に行ったところにABCストアがあり、その辺りは食堂や料理屋が並ぶ商店街である。
 高校の英語の先生である靖子ちゃんのご主人同伴でリムジンで行ってアラモアナや免税店ホテルなどで買い物をしたのに又そのABCストアでチョコレートやワインを買った。店を出ると角にテントを張ったアクセサリーの店があった。買うつもりも、のぞくつもりもなかったのに、巧みな呼び込みに叔母と妹と私の三人が足を止めた。固定した芯棒に金の鎖を巻きつけたのを長あくひっぱって、「14金、14金」と言う。見ると今日本で流行っている太めの扁平な鎖である。好みの長さに作ってくれると言う。刻印がないと言うと横文字の保証書にサインをしてみせる。30年同じ所に夕方から店を出していて名前はセセだという。片言の日本語で48ドル、日本だったら5、000円とまくしたてる。嫁と娘に何か買おうと思っていた矢先だったので3本買った。
 ハイネックのセーターにするので短くて済むからと値切ったら、イニシャルのペンダントをつけてくれた。
 叔母はネックレスを8本も買ってブレスレットを3000円で作った。妹もブレスレットを買った。一生懸命な人柄に惚れたのだがセセさんの、亭主は広くも無い店の中でテレビを観ていて私たちには無関心な様子である。次の日其処を通ったらセセさんの顔が笑ったのでせせーと声をかけた。再び訪れることがあれば、また、逢って見たい人である。

      「 最後の夜、」
 パイナップル畑を窓外にバスで30分も走ったかしらナデアクルーズの始まりは乗船客の記念写真であった。
一向の八人の内女性はムームー等ロングドレス、先生宅はトリオの柄で決め、林様は白ズボンと皆一寸おしゃれである。
「椿姫の乾杯」でも聞きたいような浮き浮きした気分で席についた。あまり冷えていたので、ボーイさんに「冷房もっと上げて」と言ったら快くすぐ上げてくれたので、思いつく片言で「ザットライトエクスキューズミー」と言ったら妹が「今、何て言ったの?」と怖い顔で睨んだ。
 鯨が塩をふいているとの情報にあらかたの船客が甲板に出たがそれらしいものは見えなかった。水平線に夕日が沈むのは圧観で皆、さかんにシャッターを押している。船室の窓際にはハネムーンカップルがロマンチックな感慨にひたっている。
 飲み物は銘々のオーダーなのでロゼをたのんだ。フルコースのお味はまあまあで、メインはオージービーフであった。そのうちショーが繰り広げられカンツオーネに聞き惚れたり、サンバにみとれたり、果ては全員でフラダンスを踊ったりして、揺れない船で楽しい時をすごした。私の本音は真珠湾を見たかったのだが、ハワイ最期の夜は更けた。舟を下りるとスコールが通った後らしく椰子の木やアスファルトが濡れていた。

         俳句  タラップを首にハイビスカスのレイ
             
             クルーズの岸に笑まへり仏桑華

後日談
 春休みに、中学二年になる外孫が遊びに来た。
ハワイのアルバムを丹念にみていると思ったら、ホテルからダイヤモンドヘットを写したのや、ビルの様子をみて、「おばあちゃん、おばあちゃん、私達が泊まったホテルから見た風景とおんなじ」と言う。「水着のまま歩いて行ってワイキキで泳いだとか食堂が吹き抜けのテラスだった」とか話が合うのでそこのマッチを持たせて帰した。
 夜になって、はずんだ声で、「やっぱりリージェントホテル同じだった」と電話をかけてきた。去年の夏休み二週間研修に行った折の彼女は、最期の一日を異空間で遊ばせてくれたホノルの宿泊が案内書の一流ホテルと言う以外には気にもとめていなかったようである。
 この子がハワイで結婚式を挙げたりするかもしれぬ。せいぜい長生きしましょうと思ったことである。(1999.2)ちなみにこの娘は今は結婚して一児の母である。(2017.2月)
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