おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

伊吹山ドライブ

2014-08-25 08:39:35 | Weblog

 此処のところ豪雨だったり、地すべりだったり日本列島の気象がおかしい。
そんな中、今日は晴れて傘も持たず八時に、日進駅の集合場所に立っていた。明治牛乳が「伊吹山ドライブ」バス旅行に招待してくれたのである。
 伊吹山と言えば高校生のとき懐中電灯を持って麓を夜出発し長い行列をして登り頂上で御来光を拝み、社会人になってから職場の方を案内して同じように登って以来である。
 娘が社会人になってから伊吹山(標高千三百七十七米)へドライブに行くといったので、そんなコースが開通しているのだと羨ましく思ったことである。今年は開通五十年だそうである。
 直行の山登りと違って緩やかな斜線コースをぐるぐると周っていくので、辺り一帯の山並みは充分楽しめた。下を見ると恐いくらい上ってきている。
 千二百六十米のところにある駐車場から頂上までが登山道で歩けば四、五十分で帰れたものをバスの臨席は四歳上の杖を持った男性で、相談する人も無いまま、その広場で、頂上を目指さない人達と一緒に待っていた。
 琵琶湖や左に見える竹生島や建造物の恋慕観音像や芭蕉の句碑「そのままよ月もたのまし伊吹山」の写真を撮ったり、スカイテラスの店で、明日招待されている孫の家の新築祝いに持っていく土産を買ったりした。
 今思えば上まで行かずとも、お花畑の端なりと此の目で確かめるべきであったが、遊べる時間が少なかった。
 長浜に下りて、昼食となった。今迄、にしん蕎麦は何度もいただいたことはあるが、鯖の蕎麦は初めてでほろほろと身が崩れてけっこう美味しかった。
 アーケードの街を散策して、琵琶湖名物の小鮎の佃煮を二パック買った。
 お盆も終わり平日なので、渋滞もせず高木ミンクへは寄ったが時間通りに日進駅に着いた。
 夕方、バスの運転席の前のガラスには時折雨粒がついている位の天候でまあまあの小旅行であった。

  俳句 お花畑行けぬ未練や湖を望む     
      いかだばえ近江のそれは山椒入り

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 墓 参 り

2014-08-16 15:52:41 | Weblog

 八月十三日実家の墓参りに行くとて、供華をかかえて妹と栄オアシスから高速バスに乗った。
 いつもなら一時間で着くところを渋滞にまきこまれて、九時四十五分に乗ったのに十二時過ぎまでかかった。
 駅の場所も変わってしまっていて「タクシーが拾えるかしら」と言っていたのを、運転手の機転でジーゼル駅に出来た二つ先のバス停で下ろして呉れると待っていたタクシーにすぐ乗れた。
 春頃に変わったらしくて、今浦島の感である。
 実家に着いて仏壇に手を合わせ広々とした夏座敷から庭を見て「なつかしい」と言うと「よかったらここに住んだら、此の間の台風で、大屋根が崩れそう」と弟が言った。
 弟夫婦との四人でお墓に出かけたが孫を見せたい弟は歯医者の子供のところに、孫を連れに寄ったがここも嫁さんの実家の墓参りに行く所でついては来なかった。
 八基もある墓に鬼灯の入った供華を挿して読経をすると、さながら両親に功徳を施したような気になって晴れ晴れしい。
 関に来たからには鰻か鮎よと言って四人は観音様の通りの鰻屋に入った。朝抜きできた妹は「死ぬほど美味しい」と大げさである。
 帰りは三時すぎのバスに乗って一時間で栄についてコンパルでお茶をした。

 今日十五日は我が家の盆供養である。

 タクシーを予約してをいて日文へ11時からの追善供養の参詣に行った。
 大勢の人で三百人は下らないであろう人達と共に先祖代々と夫の霊に焼香し読経をして、講話を聞き気持ちばかりの献納をした。
 外に出ると娘夫婦と、那須塩原から里帰りをしている孫が待っていた。私は孫の車の方に乗り、お墓へ直行した。
 お花は未だ健在だったが、やはり鬼灯入りの盆花に供え変えられた。
 私が実家にする事を子供は踏襲する。
 私の読経で手を合わせ日頃の感謝明日への祈りを済ますと、又もや「ひさご」へ行きひつまぶしをとった。
 今朝テレビが「木曽路」の牛肉の不当標示を放映していたので、そこは避けた。
 家の仏壇の夫の写真にもお供えをして冷茶を飲んで帰って行った。
 私は十八日まで盆提灯を灯したままにして、安堵して休む。

  俳句  まか桶の水かけらるる墓の石

コメント (3)
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土 用 明 け

2014-08-08 07:26:11 | Weblog

 今頃、七夕の画など入れていては人が笑う。
 暦の上ではもう立秋なのだから。
 例年の如くこんな所がと言う地域が集中豪雨の憂き目をみたりしたが、この辺りは梅雨らしい梅雨を見ることなく連日、三五度以上の炎暑を繰り返している内に梅雨も明けてしまった。
 七月末日、暑い暑いと言って家に居るよりはと、話し上手なKさんと平針の健康センターへ保養に行った。
 三十年ほど前には、ここしか無いと言う感じでチケットを買って置いて孫連れで夫と良く行ったものである。
 その後スーパー銭湯があちこちに出来て、短時間で働く体をよみがえらせる機能の椅子の施設のあるところに若者の客を取られて、演芸場もどきの畳敷きの休憩所の施設は年寄りが亡くなっていくぶん寂れる。
 昔のままの広いスペースの薬湯や天然温泉につかって石畳を歩いて足を強化した。
 おしきせの赤い上下服を着て、広間に陣取りKさん肝いりのビールで乾杯し鮪丼を食べた。
 一寸良い気分になったのでからおけ二曲歌った。
 一時にデビュー前の女性歌手の誰かさんが、あでやかな和服姿で舞台に上がり後援会の皆さんであろうやんやの喝采に一曲ごとに渡されるチップを恥ずかしげもなく胸に花束ならぬ札束と飾り一人舞台を勤めた。
 終わってもう一度お湯につかり、送迎バスは二人きりで赤池についた。
マックの百円コーヒーを飲んで涼しい店内でクルリンバスを待った。さすが、今世情を賑わせているチキンナゲットは売ってなかった。
 Kさんはひとしきり、私が話しだけで知っているだれそれさんの事を思い切り喋れて満足そうであった。
 朝九時半に出て六時過ぎに帰ったら庭木や野菜がぐったりしているので、ホースで水をやりかけた途端ズボンの上から蜂に刺された。
 ひどい痛みであったが、虫さされを塗って包帯で縛ってをいた。治るだろうと多寡を括っていたが一週間たっても、そちらの足の脛は熱くて腫れ気味なので明日はお医者に行こうと思う。

    俳句   栄光の甲子園決め凌ゼン花
                    百合増へしこの一画に一人棲む

コメント (2)
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