日本漢字能力検定協会が発表した「今年の漢字」は、例年のように清水寺貫主が墨痕あざやかに書かれた一字、それは「偽」であった。
偽、偽、偽、今年ほど政界、官界、産業界、介護、食品、料亭に至るまで嘘固めが、発覚した年は初めてである。 元はと言えば、お金がすべてと言う考えが、はびこってしまい、それに伴う欲望を追求する余り、一つの嘘の上に、二つ三つと嘘が塗り固められて行ったからである。
勧進かなめの国の財政が八百三十四兆円という超赤字で国民一人当たりが六百五十四万円の借金を背負っていることになり、ますますふえ続けるばかりだ。
手を打とうとすれば、年金財政のごとく悪の温床が、次々と露呈し国民は老いも若きも裏切られる。ワーキングプアの存在や較差のひろがり、少子高齢化はなどと人並みに心を痛めていては、一票の投票権しかないこの婆様は、拳銃ならぬ取り越し苦労の毒気にやられてしまう。
日本は高齢化率の速さで世界の三冠王となってしまった。もはや、わが身がどうなるか考えても、どうにもならない。
去年の大晦日の日記を見ると「今年は本当に良い年であった」と、自分のおこなったことのあれこれ、行ったところの何処其処を書き連ねている。それを読みながら、毎年似たようなことをして自己満足しているのだなあと思った。
全国民、年代という帯で大同小異同じようなことをして、人生を送っているのだということに気がついた。
現役を引いた私の年代では、丈夫な者は、趣味、生きがい、趣味で自治体もそれを顕彰するので、趣味とその発表会が花盛りである。水を得た魚のようにエキスパートの域を超えてプロになって行く人も出る。
私はそんな世相やら、自分の立場に立脚して、平凡ながら来年の決意は、「ものを見て、聞いて、感じる心」を主題にして未だクリアしていない病と死の年代へ、燃え尽き症候群で突入しても良しとすることにしようと思う。やんぬるかなである。
三月にブログサイトを開設してから、読んでいてくだすってた多くの皆様、良いお年を!そして来年もどうぞよろしく。皆様方に幸多かれと願います。合掌。
俳句 ○ 数へ日の髪くしけずる穏やかさ
○ 福寿草入れて寄植出来上がる