八十五年も生きてきて今更ながら自分の性格が如何に主体性がないかに気がついた。
齢をとったせいなのかもしれないが嫌になってしまう。
試みにこの二三日の生活は、エジプトから帰ってすぐ栃木の孫のところへ行ってきた娘は今度は私を気にして、まず三越へ修理にだしてあったネックレスの三本をとりに乗せて行ってくれた。此処で私は実家へお中元を出すことができた。
娘はデパートでは、いろいろ見ながらゆっくり廻ることが好きであるが、それを好かない私に合わせて、うなぎ丼の昼食をした。
その席で尾張旭のスナイの施設にいる、叔母(私の妹)の見舞いに行こうかと言ってくれた。それは有難うと見舞いを二三買って走った。施設の職員にも叔母にも対応の仕方が、私の比ではなく、遜色がない。
私と妹は筆談であるが、彼女はあの言葉が判ると言う。前に行った時、内緒で御寿司を持っていったら見つかって持ち帰らされたが、主食は駄目なんだって、今日は、ゼリーだからいいよね。と娘が言う。
丁度三時のお茶に広間へ車を押していくと皆にもゼリーをふるまっていた。妹は嬉しそうな表情であった。
一寸大廻りになったが元町喫茶の前に出来たカフェヨシノでお茶をして帰って来た。
さてさて明日は後期高齢者の健康診断がO病院で11:00に予役してある。
天候によって①クルリンバス②マナかで名鉄③タクシー と主体性を持って落ちのないように出掛けて行かなくては・・・・・。
俳句 本土にも白百合多き沖縄忌
例年のように六月、皆で「にぎわい句座」の色紙と短冊の展示会の飾り付けを行った。
今年は額装にしたので、仕上がりがちょっぴり上等になったような気がする。
男性のAさん、女性で背の高いIさんがフックに掛けるのを下で、もすこし右とか左とか言いながら氏名も貼り付けてけっこうな、しつらえになった。
Hさんが大きい鉢植えのあじさいと百合を家から運び込んで添えてくれたのも品が良い。
Iさんは当日でなければ判らなかった人の句を掌握して一人でパソコンやら印刷やら手早く処理をしてくれた。正面の空きスペースには先生と、Aさんと、Hさんが手持ちのこれまた立派な作品で埋めてくれ、芳名録も机に並べて完了となった。
額を仕入れに行ったり、印刷物を作ったり、両面テープで止めたりと、皆の力はフル活動で、今年もやれやれ「にぎわい交流館」ギャラリー、十日間の展示となった。
一日経った今日は見てくれた方からスマホやメールも入り、四方八方有難いことです。
俳句 モネ展を出て唐突な夏日かな