ゲートボールの仲間のIさんが花火を見に行こうと車で迎えに来ると言うので二時間前から、しゃりっとした今風の浴衣を着た。帯に迷ったが母の形見の博多を当てるとするすると馴染んだ。
もう一人の仲間のKさん宅に車を預け、見晴らしの良い田圃道まで歩いた。Kさんは家から見えるので出かけて来ない。
田中の一軒の小屋の裏へ廻ると実り始めた稲を前に二人掛けくらいの小さい土管がまるで、しつらえでもしたかのようであったのでタオルを敷いて着物の二人はそれに並んで腰掛けた。
間もなくどーんどーんと目の前に花火が揚がりだした。空いっぱいに赤や黄や緑や青やピンクや紫やら色を変え形を変えした美しさに二人は言葉を失ったり、又は歓声をあげて呆然と酔い痴れた。
お互い胸の内に去来するのは、孫の小さかった頃、夫ともども家族で見た折節の花火見物の光景である。
孫を連れてのその頃の花火は、まるで頭からしだれ花火が降りかかるような鮮烈な思い出である。そのうち夫と二人になると、お酒を飲んでいる彼を残して、自転車で弁天池まで行って側にあった陸橋で知らない人達と遠花火を眺めたものである。
私達は今と過去を、道を埋め尽くしている観衆の内の若い人達は、今と将来を夢みてひと時の休息をしている
花火の功罪はそれぞれで、川開き頃夏の初めに行なわれたり、大きい河川のないところでは、盆行事の一環として秋口に揚げられたりと各地様々である。
この日進市は夏祭りに行われていたが緊縮財政の為に数年間は中止になったままであった。
ぼおっと眺めている詩情の好きな私は去年から復活して揚げ始めたのを大層喜んだ。
それが何と翌日の新聞に、でかでかと日進市での花火大会で福島県川俣町の業者が製造した花火を打ち揚げなかった問題で、市長と商工会の会長が二二日に川俣町を訪ねて、お詫びと今回の騒動の経緯を説明すると載っているではないか。原発の被害がそんな形で当市にも及んだのである。
心ならずもそのストックした花火が八十発程あるらしいので来年も揚げることになるであろう。そんなこととは知らぬままIさんと来年を約束して別れてきた。お一人様二人づれの楽しい花火見物であった。
俳句 花火見に母の形見の博多帯
子の家とへだつ花火の裏表
復活の花火に酔ひし人散りぬ