おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

三 月 尽

2017-03-31 19:15:51 | Weblog
三月は暇な月だったような気がするので、五年日記の一ヶ月をつらつら見てみる。
 やはり月水金のゲートボールをやめたので毎日が、つまらないような寂寥感に襲われているのだと判った。それと去年の五月に自転車で転んで痛めた腰が治っていないので、一日二千歩を歩くようにしているのが、損をしているようではがゆくて仕方がないのであった。 
 三月暇だったといっても小豆島へ旅行に行っているし、図書館では六冊本を借りてきているし娘と買い物がえりに食事はしてきている。十年間続けていた町内の役員は下りたが、俳句は二箇所エッセーは一回出かけて行っているし、このブログも俳句と俳画を描いて更新しなければならないし背が低くなったので洋服のお直しに、食べることは毎日である。人の見舞いにもいっているし、自分の医者めぐりは四ヶ所が必須である。
 老人クラブに入ったらさっそく四月の日帰り旅行があると知らせてきた。要は生活改善のせいである。せかせかしない事に順次慣れていくことである。こうした三月をふまえて人との交流を少し増やしながら、さみしさをつきつめないように暮らして行こう。明日からは四月である。桜が咲き始める。 

    俳句    寒暖の差の激しくばこもりたし
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あ ち ら の 病 人 こ ち ら の 病 人

2017-03-22 21:17:28 | Weblog
昨日、豊田保険衛生医大へ句友のМちゃんの見舞いに行った。
 これまた句友のHさんのご主人が二人を車に乗せていってくだすったのである。愛知池や愛知牧場の前を雨の中随分遠くまで走りしかも道中の「みよし」の街は、無機質なコンクリートが多い新興住宅で季節の花などは望めない。先に大きな駐車場を控えた大きな病院があった。
 Мちゃんは三階の病室に居て殊の外の喜びようで腸閉塞を手術したばかりの人とは思えぬいい顔をしていた。
 Hさんのご主人が一緒なのにもかかわらず、お臍の横に穴をあけたことや便の色がバナナのようにきれいだったと平気で話すのは、もうHさんは三回めの見舞いなのだそうな。
 今日は私が愛知医大病院へ月一回のちょっとした、定期検診に行き「元気だった?」と言う先生の誘導尋問にひっかかって、幼稚園から高校卒業まで、一緒だったいわゆる竹馬の友のТちゃんが、この間、肩までお湯につかって風呂に入ったのが、朝この寒いのに二十センチになってしまった湯に座っていてたまたまやって来た娘さんに「お母さんなにしてるの」と引き出されて医者へ連れられて行かれたと話してくれたが、それから何度電話をしても鳴りっぱなしで、けいたい電話を持たない人だから連絡がとれないんですよ。娘さんところは豊橋で小児科医院だから・・・この病院じゃないかと思いながら「プライバシーにかかわることなのだから」とか言って教えてくれないんじゃないかとこちらが決め込んで聞かなかったんですよと自分の馬鹿さかげんをしゃべった。
 帰りに11時3分のバスに乗れば、途中下車してN内科で血圧の薬をもらって来れたのに12時3分にしか乗れなかったので、明日もまた医者行きである。
    俳句  街になり土筆痩せしが胞美味し
若さぎの天麩羅美味きこと一寸
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小 豆 島 旅 行

2017-03-11 16:36:24 | Weblog
第38回とよしんまごころツアーに参加した。
「瀬戸内海の絶景とぐるっと一周小豆島の旅」と言うので今まで、あっちこっち旅行には行っても小豆島には行ったことがなかった.
 「二十四の瞳』は、一九五四年(昭和二九年)に公開された、木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演による映画で、 日本が第二次 世界大戦を突き進んだ歴史のうねりに、否応なく呑み込まれていく女性教師と生徒たち の物語である。当時感激 して、何度も観た映画の舞台になったところだったから一度行ってみたかったのである。
 原作は壷井栄で小説も何度もよんだ。Aさんのご主人が集合場所まで車で送ってくれて6時50分には銀行の職員に見送られて出発した。
バスは途中のインターで5台が結集した。150名くらいずつで組んである。伊勢湾岸道を走って、この前行った姫路城を右に見て、なおも神戸方面へ走り、「和ダイニング三日潮」で昼食をすますと姫路からはフェリーでこれがけつこう長かった。
 2号車にゲートボールの試合にはいつも一緒だつたKさんがいて挨拶をした。
 小豆島につくとオリーブ公園で見学やら散策やら買い物をした。小豆島は、オリーブの島であった。行きも帰りも塩の満ち引きで見えるエンジェルロードを通ったが半分は水につかっていた。湯元温泉につくと四人部屋で温泉に入って浴衣に着替えた。大宴会では飲めや唄えやで、からおけも盛況であった。
 Aさんはついたテーブルの方と知り合いらしく話もよくはずんでいた。
 翌日は「ニ十四の瞳」の映画村の見学である。私はこれが見たくて来たのである。あの時代のなつかしい建物も点在していてスペースも沢山とってあって圧観であった。
手延べそうめんをつくるところやら、しじみ汁の試食やら、朱印帳を押してもらう寺参りやらと、ガイドのつく旅行は至れりつくせりである。みやこホテルの昼食を最後、帰路になったが、ビンゴゲームで楽しませたり、果てはデコちゃん先生の「ニ十四の瞳」の白黒映画を見せてくれたりした。
帰途はあまり渋滞もせずに、それぞれの出発した銀行の駐車場についた。久し振りに行き届いたサービスの旅行に行くことが出来て銀行も顧客の お守りが大変な世の中になったことと思った。

     俳句  小豆島オリーブゆれる春の島
「 二十四の瞳」観る島春めきし
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三 月 誕 生 日

2017-03-02 13:22:05 | Weblog
ピンポン「花屋です」娘から誕生日おめでとう」と札のついた立派な花束がとどいた。
今流行りの擬似鉢植えで何本もの、薔薇、百合、ポインセチア、紫の霞草、緑の葉物もふんだんに活けられている。
 三月一日今日は私の誕生日である。
 毎年そうとは言わないけれど旅行に連れて行ってくれていたが、今年は後輩のAさんと九日、十日と豊田信用金庫の旅行に「小豆島」へ行くのでこうしてきたのだと見える。
 業者が下駄箱の上に置いて行ったので、先ずはハトロン紙とリボンをはずす。横には干支の鶏の陶器の置物があるはずなのに毎年いただいていたこのAさんの実家が窯元を廃業されたので、買ってこようとおもいながら、もう三月である。
 供養もせずにキッチンには、ちょうど十一個今年で全部揃うところであった。
 お昼を食べに外へ出て曾孫の写真を整理するのにアルバムと干支がなかったら、雛の内裏様の玩具でもと思っていたのに干支も雛も有るかどうかみるのを、すっかり忘れてしまっていた。ならば紙雛でも作って空になっている台座に置こうとしたが、折り方も忘れたので、俳画の本をはがきより小さく切って台座の屏風に立てかけると丁度良い風情である。
 私八十四歳の誕生日。よくもここまで、生きたものである。この上は何としても老人力で来年八十五歳までは頑張ろうと思えてきた。
 三月は例月のように句会が二つ、エッセー教室、信心の会、医者巡り、旅行、フエステバルの打ち合わせと盛りだくさんである。
 とりあえずは買ってきたアルバムに曾孫の写真を日づけ順に並べて貼っている。このほうがカメラの画像に置くより見やすい 。


      俳句    雛の席写真の婆は四代目
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