おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

しょう懲りもなく

2012-08-29 17:52:05 | Weblog

 またその案内にのってしまった。
丁度五年前の九月四日のブログに「外食チェーン店の招待旅行」と言うタイトルで詳細を書いたことがある。
 今度は明治の宅配とまとでホリデー旅行と同じ銘銘なのに、細かい説明のパンフが無いまま、旅行参加証の葉書を持参して、朝早く名駅西口に集合し、「山梨の葡萄狩り」にバス一台で出発した。
 どうせ暇人だから、其れは良いことにして、中央道をひた走って甲府に入ってすぐのぶどう園で大きな巨峰の房を鋏で切って食べた。
 昼食は前回と同じ恵林寺の山門前の食堂で内容は今度は良かった。
織田信長に焼かれて炎上する時「心頭滅却すれば火も自からすずし」と言って寺と運命を共にした快川国師の書でも掲げてあったら見たいものだと、今度こそと期待して行った。
 が、やはり寄らせてはくれず、昼食がせいいっぱいで、買い物ツアーよろしく甲府の名物や、ワイン工場やジェリーの店では充分時間を取った。
 私は手持ちのブレスレットが金属製でかゆいので、アメジストのを調達したが、みよしから来ていた方で、仲良くなった人は、アクアマリンは、身体に良いからと十五、六、万円もするのを買われた。
 そういう人が何人か居れば主催者側もバス会社も土産物屋も丸く収まるのであろう。先回駅のコンコースを歩くのにワインが重かったので、ワイナリーで試飲しただけにして饅頭や山葵を買った。
 同い年の東海市からの方は、「この齢でついて行けるだけでも有難いと思いましょうよ」と、おっしゃり一期一会の挨拶をして別れ九時半に帰宅した



  俳句  噴水に背を向けて掛け風入るる 
       積乱雲アルプスの空陣取りぬ
       アルプスの裾野のけむり草刈女
       葡萄刈り一房を手に甲州路

               

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 思 索 が で き な い

2012-08-22 15:29:04 | Weblog

 つくつくぼうしの鳴き声に蟋蟀が代わる夕方がやって来るようになった。
私は先ばかり見て後ろを振返ることのない習性を改めることの出来ない毎日を過ごしている。
 
八月十二日息子の運転で可児の方から実家の墓参りに行った。高速が、何キロも渋滞するのは中央道へ入る車が多いせいであった。義妹との三人で供華やら線香やらを手向け、ねんごろに参ったが、何基もの墓の内、苔むすような江戸時代からのを息子は穢いと言う。価値観の違いで、墓も何々家の墓と一つで立派なのにしてしまう時代になったのかも知れない。
 十三日は嫁ぎ先で、初盆を勤める娘夫婦が忙しい間を縫ってきたので一緒に墓参りをして浜木綿で会食をした。
 お墓に「大関」のワンカップが供えてあったのは、この間結婚した孫であろう。
 十五日は夫の姉親子が来てくれたので盆らしく、家で会食をして親交を暖めた。九十四歳耳が遠いがまだまだ元気である。
 十六日は明日のごみの日に備えて少々藤の蔓などを伐る。
十七日は盆前に行きたくても、行けなかった美容院で髪をカットしたりお美顔をしたりした。
 十八日は図書館へ行き村上春樹のエッセーを返して、
津村節子の「紅梅」を借り、佐野真一の「あんぽん」は八人待ちなので、予約をしてをいた。
 その足で赤池から大須のワキタギャラリーへA氏等グループの写真展を見に行って目の保養をした。今は病気療養中のTさんと一緒に来て、かき氷をたべたりしていた店で、陣中見舞いの水羊羹を買っていると、急に雷雨が来てスクランブルの交差点を走って「ワキタ」へ飛び込んだ。
 ニュースでは大木に寄って雷にやられて死んだ若い二人のことを言っていた。
 十九日は本命の句会に出席したが、はかばかしくなく入選しないのに入選句をそれ専用のブログに打ち込んでやる苦しさは人の良い限りで笑止千万である。
 明けて二十日は八時までに集合して今月のゲートボール大会であった。熱中症にもならずに二勝したが、リーグ戦はせずに散会した。
 今日から二日間はエッセーの「石火光中」の製本で、またまた交流館へ二日間缶詰である。
 九時半のバスの中へ昔の同僚から来月の二十四日国際ホテルでOB会よと携帯が入った。
 この二十七日は宅配の明治が、ホリデー旅行に連れて行ってくれるし、娘は娘で、八月末に箱根の美術館を見ながら一泊してきましょうよと誘ってくれているしそんなこんなで前ばかり見て後ろを振返らない私を、母があの世から「そう言うのを何処にでも生えるくそ苔と言うのよ」と戒めてくれているような気がする。

    俳句  両親の留めるを聞かず簗に這ふ  
 
         捥ぎたての雫たる枇杷給はりぬ

 

 

 

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  約 束

2012-08-11 06:15:59 | Weblog

 何年か前に妹と取り交わした口約束がある。
 「互いに掛けている養老保険の満期が来たらお祝いに旅行をプレゼントし合いましょう」と言うものであった。
 先日私が「来年の三月に満期だけど何処へ行く?」と聞いたら「やっぱりハワイね」と言うことだった。
 「二人では寂しいから、その下の妹も連れて行ってやりましょうよ」と私が言った。
 先日通知が来たので読むと八十歳の誕生日ではなくてその歳の契約応答日なので六月なのであった。未だ先のことである。
 どうしてハワイなのかと言うとやはり叔母の保険が八十歳で満期が来たからと自分の子供の二家族とその契約を私が手続きをした担当者であったので、私達夫婦も誘ってくれた。夫が「俺は遠慮して置くわ」と言ったので代わりに妹が行ったのである。拾五年以上も前のことで外国旅行は初めてだったので、随分楽しい思いをした。だからやはり遊ぶならハワイと言う事になったのである。その時のメンバーは叔母と従妹の一人が既に亡くなっている。
 大体私の人生、人にも自分にも約束は一向に無しで来てしまった。
 今ロンドンオリンピックで盛んにメダルを手にする選手達は、それぞれに目的をかかげその向上到達に厳しい努力を積んできた人達である。家族や周りの人達にそれに付随した約束ごともいろいろあったであろう。
 私としたことには、「願いとして叶わざるは無し」」の信心をしていながらその願いたるや「よかった、よかった」と言って死んでいけますようにとの願いであって、偉い人になりたいとか、お金持ちになりたいとかを標榜したことがない。
 やっとハワイへ行きましょうでは人が聞いたら笑うであろう。しかし私は思うのである。来年六月迄の一年近くと、三歳若い妹の保険の満期が来るまでの通算四年を丈夫でいてこそのこれだって私にとっては一大事の約束ごとなのだと。
 「たわぶれに遊びをせんとや生まれけり」である。

  俳句  音絶へし宵のしじまに秋立ちぬ

       公園に鳩舞ひ遊ぶ原爆忌  

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この八月

2012-08-03 17:50:12 | Weblog

 連日三十八度以上もある猛暑の八月がやってきた。
知り合いや妹達に「生きてる?」と電話をかけたいけれど、みんな賢くやり過ごしているに決まっているから私もお盆の声を聞くまではと自分なりに、この暑さを楽しもうとテレビのオリンピックを観て日本に声援を送っている。
 アナウンサーが「メダル、メダル」を連呼し、今や日本の獲得数は金、銀、銅共に各種目合わせたら三十個ほどにも為るのではないか、それは全体の何割くらいなのであろうか。
 子供の頃祖母や叔母に映画を観に付いていくとその度にニュースで「前畑がんばれ」「前畑秀子」「前畑秀子」と連呼し一生忘れられないだけ聞いた。 終戦になると日大の古橋広之進と言う東洋のトビウオが新記録を出して世間を騒がせていたが、敗戦国の汚名のもとに参加させてはもらえなかった。
 千九百六十四年の東京オリンピックはそうした重圧を跳ね返そうとでもしたのか派手な入場行進をやったのを家のテレビで観ていた。
 この頃から日本も急速に変わり高度成長期へと突入して行った。
 私自身はその波に乗り切れなくて、オリンピック観戦どころではない子育て時代に入り、それをクリアした長野オリンピック頃には、誰と言って応援する選手もなく漫然と大滑降のスキーを観ていた気がする。
 母がよく「テレビも観る気になって観ないと心には残らないわ」と言っていたが年齢と共に世間に疎くなって行くものらしい。
 昨日今日の私はコンクリートの場所にホースで水を流してきれいにしその上に広げた絨毯を裸足になって甲板員よろしくモップで二畳敷きを二枚洗った。座布団の側も剥いで洗った。毎年の土用頃の行事である。
 先ほどテレビで家電製品の小物を使用してある部品の再生を32億円復活する為に回収業を認可制にすると言っていたが、時既にかっての「さおやー棹竹ー」みたいに「要らなくなった小物の電気製品はございませんか」と宣伝カーが街を流して通って行った。
 この暑さもオリンピックも今暫くの辛抱である。村上春樹のエッセー集「おおきなかぶ、むずかしいアボガド」を読んだがエッセーも人それぞれである。

 俳句 医者帰り大き炎帝沈みおり

     蜩の程よく鳴きてとぎれける

 

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