おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

眼  鏡

2013-03-26 13:29:48 | Weblog

 イヤホーンをつけても耳が聞こえぬようになったと言うMさんが、体調の勝れぬ私に見舞いと称して一途に車を運転して来てくださった。
 茶飲み話は耳のことから目へと移り眼鏡のことになった。
そのテーブルの上の籠にあった眼鏡を見せたら「売るほどあるねー」とおっしゃるので、ここにもこれもと十五程を並べた。
 サングラス三ケ遠近両用四ケ老眼鏡など、「捨てれば良いのにね」と言うと「眼鏡はそれぞれ来歴があるから文章を書くには困らないね」と言われた。
 1・2と視力が良かった私が六十歳の時初めて和光で遠近両用をつくって嵌めたときには、下を向くと足がもつれるようで、恐かったものである。
 手にした眼鏡を「これは森英恵のデザインのフレームで気に入っていたのに、ある日、車の助手席に乗る時ドアにぶつけて割れたので買ってくれた娘にばれないようにと、すぐに修理に出したら片側レンズだけで、二万円以上もしたのに、又膝で敷いてしまったんです」
 「今は流行のこの横長をしてるんですが、眼鏡の三木から、お誕生日おめでとうと電話がかかってきたので、その内、修整に行きますわと返事をしておいたんですが十二万円もして未だ一年ですのよ」
 「一番多いのが老眼鏡で」と言うと
 「私もそれが多いな」
 「これだけあっても、これがきっかりと言うのがなくて、どこへ行きたい?と言われれば、即座に眼鏡市場へと言いますわ」等と話した。
 Mさんが帰られてから、気が付くと、パソコンで購入した時に送られてきたケースに入ったのがまだ三ヶあった。
 十八ヶもの眼鏡を眺めながら最近の私の読書のことを思った。
 図書館に井上ひさしの「自伝的小説」が無かったので代りに借りてきた「手鎖心中」は一晩で読んでしまった。
 息子が貸してくれた五冊の内「阿片王」や「名古屋地名の由来を歩く」のノンフィクションはすぐに読めた。
 それなのに「大女優物語」に至っては若い頃シナリオまで携えて観に行っていた映画のことであるのに、読み始めるとすぐ眠くなって、睡眠薬程の効果しかないので体調のせいか眼鏡のせいかと考えた。
 けれどこれはこの本の構成の不味さで、マリリンとリズとオードリーをその都度 からませて書いてあるので、煩雑でわかりにくいからであって、あながち眼鏡のせいではないと老顔鏡をいとほしむことにした。

   俳句 初蝶のもつれて飛べリ軒の辺に
       みず木の芽ふくらみ外より目隠しに
       先客に酒供へられ入り彼岸

コメント (4)
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  傘  寿

2013-03-12 07:12:40 | Weblog

 やはり年代の替り目相当のことが起きた。
私の八十歳の誕生日は三月一日であったが、その前日から人から聞いていたノロ ウイルスかと思う程の下痢に悩まされる事になった。
 二日娘一家が、ホテルオオクラで傘寿を祝ってくれ、三日は孫宅の新居へ息子一家と曾孫の初節句のおよばれに行った。
 
勿論体調の悪さは薬で押さえて、ひたかくしであった。
 五日は自分が責任者である句座を終へ、六日はかねて仲の良かった句友宅へエッセーの主催者と一緒にお悔やみに行った。見送ったのも今年になって二人目で何ともやりきれない。
 やっと自分の時間が取れたので医者に行き下腹のCTを撮った。
 
「そう悪くは無いようですよ、もっと早く来ないといけませんがね、ノロだったかも知れないのに、お薬出しておきますから」
 と午前中最後の患者であった私には話もそこそこで、三十五日分もの粉薬をもらってきた。
 医者の処方の薬は効かないので、正露丸を飲んで十日の無限図句会に行った。体重が二キロも減って句会では始終上の空であったが、ここの役員も三月決算の収支報告書を書き上げて自分の役も終われるのでやれやれである。
 そうこうしている間にも季節は移ろい夏日もあったりしたので梅は満開で、野辺は芳香に満ちている。
 今日十一日開催のゲートボール定期大会は黄沙の中で行われ、岩崎は八チーム中三位にもなれなかったが。記録係を務めた後暫く休むと宣言して来た。
 ストレス解消の拠りどころをなくした感はするが、月水金と自転車で出かけて行くのは荷が勝ちすぎるようになった。
 明日は昔の職場の友達グループがランチを誘って来ている。声掛けが病気平癒をした人なので、話を聞きたいので行く。彼女は医者を変わったら卵巣癌が見つかったと言うことであった。
 私もお医者へ行って「治らないのですけど・・・」とCTを見せてもらって詰めに持っていこうと思う。
 ふだん断捨離とかと判ったようなことを言っているのだけれど、結局はこうして果たさなければと思う必然を抱えて、年齢とか病気とかでそれが出来なくなって未練たらたらこの世から消えて行くのだと見える。
 いづれにしても、今年は大変な年になりそうな予感がする。

  俳句  笹鳴きと重なる園児のわらべ歌  
       笹鳴きを気にせず園児大合唱

コメント (3)
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