おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

           福井の旅

2008-08-28 09:00:39 | Weblog

 まだ8月だと言うのに見渡す限り金色に波を打つ稲田は坂井平野である。

 あわら温泉旅行に、[もう1人参加者があれば福井まで旅館のシャトルバスが頼めるから行ってよ]と知人のKさんに誘われた10人目の私は、行程表もない。

 このメンバーはユニーのOBの旅好き同好会で、リーダーはすらりと背の高い美人のMさんと言う女性であった。名鉄バスセンターから福井行の高速バスに乗って敦賀、武生と3時間ばかり経過する間に、Sさんが生まれ故郷の産だという山形米の見事に大きな美味しいおにぎりを、配ってくれた。いつも作ってきてくれるとのこと。私より1歳若くて他の人はそれぞれ5,6歳くらいずつ若かった。

 宿に着いて夕食までにと湯殿に行き、なめらかでつるつるになれそうな泉質のお湯をよろこんだ。露天風呂の岸壁の向こうは海を連想するけれど、見渡すと田圃であった。

 Mさん達3人は湯めぐりに隣のホテルへ出かけた。料理は鮑や蟹やら雲丹やら海の幸づくしで味もよかった。隣は郵便局員(今は何と言うのかしら)80人の大宴会で、私達も負けじと大きなからおけルームへ行き、男性の2人が古い艶歌をたんたんと唄いMさんのダンスやSさんの花笠音頭や他の人の麦畑やらで2時間はあっと言う間に過ぎた。エレベーターではアンダンテカンタビーレが小さくながれていた。

 翌日は、運転手さんの案内で滝谷にある真言宗智山派、国指定名勝庭園、越の国第5番観音へ行き江戸初期に作定された庭園や文化財などを僧侶の説明を聞いて廻った。

 私は始めての一眼レフのカメラを、首から架けて勝手の分らぬまま覚えるより慣れろと、門構えや、石庭や池の鯉や秋海どうの花等をチャカチャカと撮った。次に行った東尋坊でも何とそれまで曇っていたのが晴れわたって、特有の鉛色の海はどこへやら真っ青の水と岩に砕け散る波の白さをシャッターチャンスとばかり、焦点はカメラまかせで標識とか土産物屋までもやたらと撮りまくった。 久しぶりに楽しい北陸の小旅行であった。

 ※ 俳句 ○ はるばると東尋坊に来て愁思

      ○ 太鼓の音遠くに聞こへ盆の月

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        この夏の日日

2008-08-18 10:58:01 | Weblog

 この夏は高校野球の、東邦高校の最後の盛り上がり方が面白かった。が1点がおぎなえずに負けた。

 原爆忌も過ぎて野球やオリンピックのテレビばかり観て居る訳にもいかず、盂蘭盆に備えて、家の周りの手入れや夏座敷にするのをこころがけた。

 絨毯2枚を巻いて除きふすまをはずしてふた間を続きにして盆提灯を飾った。

 13日に息子と娘との3人で墓掃除に行き35度の暑さを逃れて喫茶店で冷たいものをのんだ。

 15日には、夫の姉が甥の運転でやってきて、大人ばかり6人の昼食をして親交をあたためた。義姉は90歳でもかくしゃくとしていて、終戦記念日でもあるこの日名古屋空襲で長女をなくしているこの人に、お悔やみ一つ言うことを忘れた私のほうがよほど可笑しい。

 16日は県美へ中部総合展を観に出かけた。毎年券をくださる娘の義母様の書は今年は襖より大きい赤い地にグリーンの縁取りをつけて「諸行無常」の4文字だった。地色の訳をきかなければ。

 中部総合ともなると玄人の出展なので、こちらの気分も知的に高揚し絵画が特に良いと思った。

 帰りにリニモで古戦場まで乗って、長久手町の花火を観に行った。 古戦場駅から、花火会場まではおよそ2キロの道のりである。(ひさご)で鰻をたべてこの町に住む女子大生の孫にメールすると、マレーシアに旅行に行く支度で忙しいから行かないとのことその下の高校生に電話すると、近くに居て友達と2人で現れた。

 紺の浴衣に喋結びの帯で番茶も出花の可愛らしさだ。ふたりにお小遣いをやってそぞろ歩いていると、石段のところで、あっと言うまに捲かれてしまった。いい面の皮である。

 車止めのコンクリートに腰を下ろしてやがて揚りだした花火をみた。さまざまな仕掛けで舞い上がり舞い散る花火は庶民のくったくを空に吸い込んでくれる仕掛けでもある。青田を浮かび上がらせて暗さをバックに空いっぱいに拡がったり、しだれたり金の真砂のお品の良さを見せたり連発模様を描いたりとあきさせない。

 写真に撮ってあとでプレビュウ出来るカメラを買わなくちゃ。2000発も打ち上げるとかで夏の夜を満足し早めに切り上げて、行きの倍もの道を歩いてくたくたになって帰った。帰り際にもう帰るわと孫に電話すると「気をつけてね」と近くの声が入ってきた。

 俳句 ○ 花火の音絶えて中天月煌と

    ○ 人けなき残暑の街の白き風

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         閑話休題

2008-08-10 08:58:50 | Weblog

 子供達は夏休み、大人は盆休みの近いこの時期私は相変わらず何かと忙しい。

 連日35度以上の猛暑の中をリハビリとは言え医者通いも命がけである。行きはバスがあるが、帰りは1時間も待てなくて2キロを汗だくで歩いて帰る。

 途中の池が、さざなみも立てずに厚い水草で覆われていて暑苦しい。栄養が良いのか凄まじい繁殖の嵩で池の景観を損ねているが市が除去するのか、ひょっとするとまだ郷の管轄なのかも知れない。

 そんなことを思いながらせっせと歩いていると、水の部分に鳩より小さい雀より大きい小鳥がひょこり姿を現した。

 水の輪が出来たと見ていると、つと潜ってしまい、待てども姿を現さない。こちらもガードレールから身を乗り出さんばかりに目を凝らして見ていると10メートル位離れた水草の間に姿を現した。親も兄弟もいない。単独行動である。

 すぐ水に潜るので、鳥って魚みたいに水の中に居られるのかと、今度の潜水時間はどれだけか10分以上長いなあ、あ、先ほどと三角の位置の水草の間につと出てきた。留鳥の子はこうして育つのかと解ったような結論を出して歩き始めた。

 その池の土手に蕨の羊歯の群生を見つけて来春は早朝にここで蕨を摘むことにする。野苺の実が呆けてわずかしかついていない。先月の句会は検討句が(いちご)で、せっかく最高点だったのに摘むと言う発想にならなかったの?と講師の採点が無かった。 作句に欠かせないちょっとしたペーソスに欠ける自分の性格の欠点は自分がいちばん承知している。

 この街道も開発が進み家や学校が建ち始め野いちごや木苺を見て歩けるのも、今しばらくかと山百合を1りん折って正午の道を帰宅した。

 俳句 ※ 野苺を手折りて供ふ野の仏

    ※ 片蔭もなき道のりのなほ遠く

 

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