おそまきながら市の老人会にはいった。
町内ごとに組織されていて選べるクラブが八拾ほどもあるようで、老人力の立派さに圧倒される。
四月からと言われた通りさっそく日帰り旅行に誘ってもらえた。四月二十一日行き先は奥浜名湖の「井伊直虎の墓」であった。
女性の役員が迎えにきてくれて集合場所の「岩崎公民館」から市のバス二台で出発した。
行き先は今テレビで放映している奥浜名湖の女城主直虎の墓である。直虎は織田信長と同じ年代を生きた女性で、静岡の遠江の国井伊谷で誕生、井伊谷は「国人領主」とよばれ上の言うこと(今川家)を聞いて居ればいい領主であった。
ところが独り娘であったがために家を継ぐために大叔母の息子直親と婚約したが、今川義元の理不尽な仕打ちでそれが果たせず出家して「次郎法師」と名乗るがいろいろあって、後に還俗し井伊家の家督を継ぐために、女城主となった。
身内の幕末の徳川直粥が安政の大獄を行ったり、日米修行通商条約を終結するにいたるので、両者はたたえられているのである。
その井伊家の寺へ参ってきた。広大なとは行かなくとも、ひっそりとしたたたずまいの老人達には適度に歩ける新芽の若若しい森で、どうだんが、白い小鈴を連ね、おんつつじもすがれなく、めずらしいしゃくなげも立派に咲いて緑のもみじの木の大きい事と言ったらやはり何百年もの寺であった。
昼食は「かんぽの宿」で百人近い宴会がありからおけもして、途中「うなぎパイ」やら味噌饅頭のみやげ物屋へ寄ってくれて皆無事で帰ってきた。降りもせず陽気も良くて楽しい旅であった。
俳句 のどかなり知己の笑顔に笑み交わし
」
町内ごとに組織されていて選べるクラブが八拾ほどもあるようで、老人力の立派さに圧倒される。
四月からと言われた通りさっそく日帰り旅行に誘ってもらえた。四月二十一日行き先は奥浜名湖の「井伊直虎の墓」であった。
女性の役員が迎えにきてくれて集合場所の「岩崎公民館」から市のバス二台で出発した。
行き先は今テレビで放映している奥浜名湖の女城主直虎の墓である。直虎は織田信長と同じ年代を生きた女性で、静岡の遠江の国井伊谷で誕生、井伊谷は「国人領主」とよばれ上の言うこと(今川家)を聞いて居ればいい領主であった。
ところが独り娘であったがために家を継ぐために大叔母の息子直親と婚約したが、今川義元の理不尽な仕打ちでそれが果たせず出家して「次郎法師」と名乗るがいろいろあって、後に還俗し井伊家の家督を継ぐために、女城主となった。
身内の幕末の徳川直粥が安政の大獄を行ったり、日米修行通商条約を終結するにいたるので、両者はたたえられているのである。
その井伊家の寺へ参ってきた。広大なとは行かなくとも、ひっそりとしたたたずまいの老人達には適度に歩ける新芽の若若しい森で、どうだんが、白い小鈴を連ね、おんつつじもすがれなく、めずらしいしゃくなげも立派に咲いて緑のもみじの木の大きい事と言ったらやはり何百年もの寺であった。
昼食は「かんぽの宿」で百人近い宴会がありからおけもして、途中「うなぎパイ」やら味噌饅頭のみやげ物屋へ寄ってくれて皆無事で帰ってきた。降りもせず陽気も良くて楽しい旅であった。
俳句 のどかなり知己の笑顔に笑み交わし
」