城好きな夫が生前、白鷺城が良いと言っていたので、「城も方々行ったけど「姫路城へは行ってないわ」と不用意に娘に言うと連れて行ってくれることになった。
赤池発八時のクラブツーリズムの団体旅行である。伊勢湾岸道路は長島方面は目新らしかった。この旅行会社の旅は長い時間乗っているのが、ひと辛抱なのだが、今回は娘と一緒なのでそれも苦にならない。昼食は社内食で美味しい弁当を作ってきてくれて来ていた 。
窓外は朝方の雨もよいのせいか深山のそこかしこに霞がたなびいていて梅は咲いていたが桜には未だちょっと早かった。
そこからはバスは通れない広場に着いて日本のマチュピチと呼ばれている天空の城跡へ登り始めた。小型2台に分乗してしばらくいってから、歩き始めた。
マイペースでなら行けたであろうが、料金所まででギブアップしたのがかえすがえすも残念である。団体の足は速すぎる。
竹田城は一五七七年頃赤松広季が三〇代の
若さで築城し関が原の戦い後、江戸幕府の方針で廃城となったのだそうな。険しい地形にありながら曲輪のすべてを石垣で取り囲んだ総石垣の城郭であって山頂に築いた城郭としては最後の近世のものだったらしくて、石垣の粋ばかりをいくつもみて、下を見渡せるのが絶景なのらしかったが,「だったら人力車をセットしてね」と小声で言って娘にこずかれた。
四時過ぎにはホテルについてゆっくり入浴しバイキングでビールを楽しんだ。きらびやかな外のネオンを視ながら二人でワインも飲んだ。
翌日は待望の「姫路城」へ朝早い時間から登りはじめたが此処も後わずかのところで、天守閣へは急な階段と聞いてお菊のばんちょう皿屋敷の井戸から引き返した。
満々と水をたたえるお堀の舟めぐりをとスマホで申し込んでくれようとしたが、予約客でだめであった。
下の広場で日本で初めて法隆寺とともに世界遺産に認定された、一三三三年に赤松則村が京都に兵を進めている途中に築いたといわれる白鷺に外形が似た優美で威圧感のある最近より白く塗りかえられた城を写真に撮ったりお茶をしたりゆっくり。
遠くを行く人力車が、見えたので、ここにはあることを認識した。娘はすでに夫ときたことがあるのらしかったのに殊の外万事に気を遣ってくれて今回姫路城までいけたことに感謝である。
俳句 梅の咲く里見渡せり姫路城