おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

 姫 路 城

2016-03-24 20:24:31 | Weblog

 城好きな夫が生前、白鷺城が良いと言っていたので、「城も方々行ったけど「姫路城へは行ってないわ」と不用意に娘に言うと連れて行ってくれることになった。
 赤池発八時のクラブツーリズムの団体旅行
である。伊勢湾岸道路は長島方面は目新らしかった。この旅行会社の旅は長い時間乗っているのが、ひと辛抱なのだが、今回は娘と一緒なのでそれも苦にならない。昼食は社内食で美味しい弁当を作ってきてくれて来ていた 。
  窓外は朝方の雨もよいのせいか深山のそこかしこに霞がたなびいていて梅は咲いていたが桜には未だちょっと早かった。
 そこからはバスは通れない広場に着いて日本のマチュピチと呼ばれている天空の城跡へ登り始めた。小型2台に分乗してしばらくいってから、歩き始めた。
 マイペースでなら行けたであろうが、料金所まででギブアップしたのがかえすがえすも残念である。団体の足は速すぎる。
 竹田城は一五七七年頃赤松広季が三〇代の
若さで築城し関が原の戦い後、江戸幕府の方針で廃城となったのだそうな。険しい地形にありながら曲輪のすべてを石垣で取り囲んだ総石垣の城郭であって山頂に築いた城郭としては最後の近世のものだったらしくて、石垣の粋ばかりをいくつもみて、下を見渡せるのが絶景なのらしかったが,「だったら人力車をセットしてね」と小声で言って娘にこずかれた。
 四時過ぎにはホテルについてゆっくり入浴しバイキングでビールを楽しんだ。きらびやかな外のネオンを視ながら二人でワインも飲んだ。
 翌日は待望の「姫路城」へ朝早い時間から登りはじめたが此処も後わずかのところで、天守閣へは急な階段と聞いてお菊のばんちょう皿屋敷の井戸から引き返した。
 満々と水をたたえるお堀の舟めぐりをとスマホで申し込んでくれようとしたが、予約客でだめであった。
 下の広場で日本で初めて法隆寺とともに世界遺産に認定された、一三三三年に赤松則村が京都に兵を進めている途中に築いたといわれる白鷺に外形が似た優美で威圧感のある最近より白く塗りかえられた城を写真に撮ったりお茶をしたりゆっくり。
 遠くを行く人力車が、見えたので、ここにはあることを認識した。娘はすでに夫ときたことがあるのらしかったのに殊の外万事に気を遣ってくれて今回姫路城までいけたことに感謝である。

    俳句  梅の咲く里見渡せり姫路城

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兼 題 俳 句

2016-03-15 07:47:51 | Weblog

 日曜日顔を出した息子が、送ってくれると言うので「サガミ」で昼食をして句会に入った。机の上には「ホワイトデー」ということで、Iさん肝いりのチョコレートが一枚づつ配られていたのも心が和む。  
 が、
それからがいけない。兼題俳句の「千鳥」の選である。物を作ると言うことは有形無形にかかわらず、生まれ持った才能と、その都度勉強したり、見習ったりして身に蓄えた技術を発揮するものである。
 俳句もご多聞にもれず、学んだ銘句からそれ相応に選句をするのである。 「千鳥」を知らないから動物園に探しに行ったという人やユーチューブでなんども「千鳥」を確認して詠んだと言う人。電子辞書から鳴声を机の上に再現して響かせ作ったと言う人もいる。私も千鳥を知らないので、 「だから兼題なんて」と、烏か椋鳥かが、夕日を浴びてねぐらに帰ろうとして群れているのを頭に描き、
     ●浜千鳥鳴きて塒に群れ渉る 
 などと安易に言葉を並べただけで投句をしたが、ベテランには、顰蹙をかった。
 もう一句の兼題は「侘助」であった。侘助は椿の一種で我が家の庭にもある。
 私は抹茶が好きなので十時か三時には必ず点てる。今日はお隣さんに実家のある葛飾柴又のお土産に頂いたとても美味しい饅頭をお供にした。  
 時節柄、侘助と抹茶はセットとして良く詠まれその句が沢山でるであろう。だったら私はそれをやめて、近頃書院づくりの家は少ないから実家のそれを句に詠もうと 
      ●侘助や書院のしじま愛しけり 
 と安易な句を出して置いた。
 結果、四点のみの得点で、しかも先生が「十七などという少ない字数の内に、や、
けり、という強い切字を・・・」をと言い始められて、あ、しまった。私としたことが、知りきっている間違いを起こしてしまった。ちなみに男性のGさんは   
      ●侘助や茶筅の泡の細かかる 
 と形容詞でとめてみたといわれる。
 総じて女性より男性のほうがしっかりした句をだされる。遊び半分でやって置いて後悔する私は今夜は早く寝て、またまた明日は掛りつけの医者への逃避行となりそうである。 

   俳句 春しぐれ姉妹語らふいつまでも
       花辛夷考も活けたる大き甕

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 


   

 

 

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誕生日の後先

2016-03-03 08:58:50 | Weblog

 ここのところ連日忙しい。
二月二十七日二人目の曾孫の初節句に呼ばれて、息子一家と孫宅へ行った。早くからポポちゃん人形を用意していたのと、途中で「おこしもの」をお供えに買って持って行った。
 本来はこちらがするところを、働いている息子夫婦や、孫夫婦に代わっていつも向うの親御様が、ご馳走やらお茶のしつらえや、土産の支度まで至れりつくせりにしてくださる。
 お雛様は昔のように段飾りではなく、ガラスのケース入りなのでちび達につかんであそばれる心配はない
 曾孫達は三体目にもなったポポちゃんの髪を解かしたりミルク瓶を口に当てたり、抱っこ紐で首からさげたり、車に乗せたりしてご機嫌である。シリーズになっているのらしい。

 次の日は施設を変わった妹の見舞いに名城線で志賀本通りの「若葉の里」まで行った。介護度四には変わりは無いが、車椅子で広い食堂に居た。頭はしっかりしているので筆談を交わした 。
 二十九日は講師の
      ○  閏日を宝のやうに思ひけり  の句のように「ござらっせ」で温泉に入り美し処で髪の手入れをして保養をした。
 散らし寿司やら赤飯やらで夕食を済ましたところへピンポーン「私」と娘が「明日誕生日でしょ」とカラフルなチューリップの花束を抱えてやって来た。羊羹に抹茶を嗜むと勤めの帰りで夕飯を作らねばとすぐ帰って行った。姫路城へ旅行に行く日を決めて置いてよ、一緒にいくからとのことであった。
 さあ三月一日私の誕生日。
    ○  訥弁となりて年豆八十余   
 丈夫で居れることが幸せである。いつものように、仏壇に手を合わせてから「にぎわい句座」に出席する。女性が一人増えて十七人にもなった。近郊文芸に掲載する四人はいつもの顔ぶれで変わり映えがしないが俳句は上手い。
 帰ってパソコンをみると、二、三か月療養しているNさんから投句をして来ていたが、当日なのと朝から出かけた私には間にあわなかったのでその旨メールをした。御歳九十歳来月お待します。
 誕生日の花を届けてきた娘はこの五月初孫の男の子の初節句がある。我が家の階段下の物置には孫の時の端午の節句飾りがあるが男の孫の家はおみなご二人である

     俳句   雛飾り妣配りける茶の子かな
           こぶし咲き妣大島の似合いけり

 

 

 

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