おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

恵那峡の紅葉

2023-12-08 14:01:40 | 2月尽
 十一月の初めに稲武の大井平公園へ孫と曾孫との四人でこれからと言う紅葉を見に連れていってくれた娘が又もや恵那峡のもみじを見に行こうと誘ってくれた。今度は親子二人である。私の為に車椅子を乗せて来てくれた。 中央道を走ること二時間、独身時代に行った事があるが記憶が定かではない。途中「中津川」とか「岩村」とかの標識を見ると岐阜県生まれの私は懐かしい。簡保の宿だったという「ゆずり葉」と言うホテルにつくやら、昔の友達に電話をしてみた。彼女は居て「九十三歳でもまだ車に乗っている」と元気だ。「こんなに風光明媚な所から何の変哲もない関市に働きにきてたの?」とその時の他の友達のことなどを話しあった。 一風呂浴びて飛騨牛の鍋などもある豪華な夕食をとると、苦しくなったので、カラオケなどはせずに、ベットに入った。娘に翌朝起こされて窓外を見るとなんと、なんと我々が飛行機の上にいるよう。外は一面の霧の海であった。向こう岸が見えない。朝食をすますころには霧が晴れて(着いた時のような)窓外いっぱいの紅葉が見えた。恵那峡の観覧船に乗るべくホテルを後にした。混んでいたので一船待って次ぎのに乗ると、車椅子は船長のすぐ後ろで説明がよく聞こえた。約百年も昔に木曾川を大井ダムでせきとめてできた人造湖とのことである。船内からは大井ダムの両岸にそそり立つ軍艦巖怪石(というのだそうな)の壮大な渓谷美と紅葉を、ゆっくり楽しむことが出来た。水にたむろしているのは、美しい色鳥であった。 乗り降りに至れり尽くせりしてくれる娘に、知ったかぶりをしなければ大井ダム周辺や観覧車周辺、ビジターセンターあたりを走ってくれたであろうのに、「岩村」や「大正村」までも走ってくれた。水曜休みが多くて商店街はほとんど閉っておりガラス戸ばかりで、ひっそりしていた。空いているところで土産を買って昼食し帰路についた。   私たちの年代の者が明治村、大正村、昭和村などと、はやしたてたがこれからの時代それらはどうなっていくのであろうか。  今回は恵那峡の紅葉に堪能した一泊旅行であった。      恵那峡やもみじと奇岩を渡船より
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