おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

 羊  雲

2010-10-25 09:39:36 | Weblog

 十月も余すところ一週間となってしまった。
 司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み終わった。
 梅雨時に旅順へ旅行した折、ブログの紀行文にこれを読まなければねーと書いたら、それを見た方が八巻揃ったのを届けてくださった。
 周りの人は殆どが読んでいて、改めて明治から太平洋戦争までを知らなかった自分の遅れていることを恥じた。
 「坂の上の雲」は個々の登場人物の描写を面白く併記しながら十年もかけて、四方八方手を尽して調べ上げて書かれた小説と言うよりは膨大な叙事物語である。
 島国の日本が単体で独立して棲息してくるには、外交上の利害関係で摩擦を生み衝突しあい、恐るべき破局を産む戦争を引き起こしながら歴史はつくられてきた。
 解説には坂の上に浮かんだ「雲」の全景に向かって登って行く若者達の群像は、その目標の理想世界とそれにこめた作者のエネルギーと公刊されたのち、広く日本人一般の目をひらいて、新しい知見で感動させた点で、この作者の代表作の一つであると批評がある。
 私としては出生の秘密を知ったような自分の立ち位置が変わるような感慨を覚えた厳かな歴史書であった。
    

     俳句 小屋出る兎追ひかく親子かな 
        小さき檻兎何度も子を産めり

 

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あ る 秋 の 土 曜 日

2010-10-17 08:01:10 | Weblog

 兼ねてより案内の来ていた四人姉妹の一番下の妹の主人の三回忌法要に参列した。
 十六人の身内がねんごろにあげられるお経に唱和してから、すずらんの間の墓地に移動しカードを入れて出てきたお墓に遺影と位牌をかざりここでも焼香をした。
 別室で仕出しのおときをいただいて散会となった。
実家の名代も兼ねて出てきた同じ市に住む三番目の妹が栄オアシスで高速バスに乗るので送って行った。
 コンパルでコヒーをしてさて此処での打ち合わせが肝要なのであった。
 トリエンナーレを覗きたい私は芸文へ行けば良かったのに、そんなには歩けないわと彼女が言うのでNHKの二階へ行ったが水、水、水だけの催しものだった。
 土産にういろうを買いたい彼女のために中日ビルまで行き地下街では、妹はセーターを私は鞄を買った。
 ベロタクシーで長者町まで行こうかというと来る時に名鉄バスセンターまで乗ったから通ったと言うし若宮通りでは名古屋祭りの行列のスタッフ達が、支度をしたり待機してたりしているのが見えたと言う。
 前もって誘った今日の四時からの御園座の歌舞伎の顔見世興行も拒否されていたのであった。
 四姉妹のなかでとりわけ丈夫で機転の聞く彼女も私と同じで齢をとったなあ、もう一日ひとつづつで、ヒールのある靴で法事にきただけでも大変なことであったと美濃行きの15時7分まで30分程を待って送った。
 そのまま外へ出て三越まで斜めに行くと丁度大名行列のパレードが信長は過ぎたけれどえんえんと秀吉や家康が四辻でパホーマンスをして練り歩いていく所であった。
 何層にもなっている人垣を避けて一寸南へ移動して歩道の縁に腰をかけて目の前を通るときの写真を30枚も撮った。
 地下鉄のロッカーに荷物を預けて置いてⅠ時間に1本のバスをもう1台遅らせてパレードを見せて帰すべきであったと不器用な案内を後悔している。  


   俳句 陵苑のシステムにほれ秋陽射 
      
子供のみ祭りみさせし若き日々
      ベロタクシー翁の遊びし秋の今

 

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晴耕雨読

2010-10-07 17:15:52 | Weblog

 今迄[悠々自適]とか[晴耕雨読]とか結構なご身分の人のことくらいに思っていたが、最近になってこの言葉の本質や理想郷とも思える生活状態が少しずつ身にしみて解ってきた。
 健全な精神や健全な肉体と共に経済的な余裕も必要で、そのいずれが欠けてもこの境地を充分に味わうことは出来ない。
 私はかって結婚したての頃、三年間を姑と共に暮らした。彼女は諺をよく使う人で、日常の会話より折に触れて聞かされた諺のほうが記憶に残っている。
 例えば「蒔かぬ種は生えぬ」から始まって「物は入れようで入り、
人は使いようで切れる」「七年たばって(ストック)一時の用にせよ」「女は着物の一枚より髪」「悪銭身に着かず」「虻蜂取らず」「石の上にも三年」「石橋を叩いて渡る」「薬は九層倍百姓は百層倍」等々と、とりとめもないことではあったが、良く聞かされたのは「親の意見となすびの花は千に一つの無駄も無い」である。目の前の事になぞらえてたんたんと呟いていた。
 当時は又始まったとお経のように思っていたが、亡くなって四十年経った今、事あるごとに思い出すのは、姑の嫁教育は効を奏していたという事になるかも知れない。
 最近では静かに自然に逆らわず、晴れた日には衣食住など身の廻りりのことをするのがこれからの自分の使命なのだと自分に言い聞かせ、諺とも付き合いながら晩年を過ごそうと思っている。
暑かった夏も彼岸すぎから涼しさも加わり一挙に花をつけてきたプランターの茄子を前にして、「実にならない花もあるよ」と眺めている。
 ゴーヤもミニトマトもよく生ったけれど「百層倍」とはいかない。あれは米とか豆類など穀物の収穫を願う例えであろう。
 さしずめプランターの作物を整理して、蒔かぬ種は生えぬの言葉通りラデッシュや小松菜に衣替えをしよう。これらの植物の成長が楽しみである。
 庭木のくろがねもちも伸びすぎた枝を少しずつ伐り、木犀も咲き終わったら背を低くしようと、整形外科で、電気治療を受けてきては頑張っている。従ってご褒美に、雨の日は読書ざんまいとなる。

    俳句 久々に針事すれば蚯蚓鳴く 
       英傑に序列ありけり秋祭り

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